PLAYNOTE 浅野いにお『おやすみプンプン』

2011年04月05日

浅野いにお『おやすみプンプン』

[読書] 2011/04/05 01:00

あんまりにも歯が痛くて何も手につかず頭も回らず、そんな自分に最悪な気持ちがして、仕方なく漫画でも読むかと手にとったら、あんまりにも傑作で読み終わる頃には痛みが胡散霧消していた。いや、痛み止めが効いただけだが、しかし一瞬も我に返ることなく、引き込まれ続けて読んでしまった。

大人になってからもいろんな漫画を読んだし、漫画もアートで文化だよ、と言うのはまぁ一応わかっているつもりだが、『おやすみプンプン』は一番僕の感受性に近接し、突き刺し、えぐり、悦ばせた漫画作品かもしれない。絶賛し過ぎ? 悪かったね。だがこれは、漫画表現の王道を突き進めつつもマンネリズムを打ち破り、独自の表現スタイルを獲得した化け物作品であると思う。

主人公はプン山プンプン(後に小野寺プンプン)というふざけた名前の人間の男の子。彼が家族や友人、恋人との軋轢に悩みつつ、ひねくれつつ、歪みつつも、成長していく人間ドラマである。

つまり、内容的には王道中の王道で、何ら新しいことはない。だがしかし、バカ、ちょっと待てよ。芸術にとって重要なのは、内容じゃない、表現手法だ。好いた惚れたに買った負けたと、物語の内容は古代ギリシャに出尽くして、でも未だに新たな作品が生まれ、しかも駄作と傑作がバツーンと綺麗に分かれる。それはつまり、表現手法こそ芸術の価値を左右するものであるということだ。

プンプンはいろいろ斬新だが、主人公が何の断りもなく鳥っぽい姿をしている点がまず強烈だ。俺も「主人公が鳥っぽくて、でもそのうち三角形になったりひょっとこになったりする。おもしろいよ!」という全然意味不明の推薦を受けて読んだ。確かに鳥っぽかった。そして、この表現は成功しているのだ。

前述の通り『おやすみプンプン』は、誰もが感じたことのあるような孤独や不安や自己嫌悪を扱った人間ドラマである。普通なら妙に湿っぽくなるところを、この「鳥っぽい主人公」のユーモラスな描写が大いに緩和し、かつ、主人公が鳥っぽいことにより、感情移入がしやすいように出来上がっている。

二つ目の説明はちょっと難しい。鳥っぽい主人公だから感情移入がしやすい、とはどういうことか。プンプンは鳥っぽい。表情には様々なバリエーションがあり、豊かかつ的確なのだが、多くのコマでは無表情のままあちこちをふらふらしていらっしゃる。これが良い。実に良いのだ。おかげで何だかプンプンはいつもそっとそこにいて、でも取り巻く世界が激動しているように見える、だから漫画世界を一人称視点で体験できる。おまけに何だかプンプンはあんまりにもデフォルメされているので、容姿やファッションやその他の個性によって読者が距離を感じるということが起こらない、だからプンプンが自分のことのように思えてくる。

プンプン以外のキャラクターも魅力的だ。プンプンママの愛すべきぶっ壊れぶりも涙を誘うし、雄一おじさんのアーティスティックだが実はただのボンクラというバランスも絶妙。「こういう奴、いるいる」というポイントは抑えているのに、「こんなことが起きるなんて!」と遠慮なく飛躍する強烈な個性。快感だ。物語を読む快感のツボが押さえられまくっている。

ポップに気が狂っていて、だけど脱力系のくだらなさを抱えており、しかし誰しもがどこかで味わったような感情や風景をすっと胸に届けてくれる。青春ドラマと形容するとあんまりにも陳腐な物を想像してしまうが、プンプンはその表現の異質さで陳腐さを完全にぶっ飛ばしている。衝撃の読書体験であった。早く続きが読みたい。