PLAYNOTE 今はもう、上演こそ誠実

2011年03月24日

今はもう、上演こそ誠実

[演劇レビュー] 2011/03/24 03:15

一ヵ月半に渡って稽古場助手を務めた二兎社『シングルマザーズ』を、初日以来、実に一ヶ月ぶりに観に行ってきた。こんなときに演劇とかどうなの! という声が散見され、自粛ムードがひたひたと足音を忍ばせて広まり、そして当の演劇人の中にも迷いと不安が蔓延している中、俺はこの公演を観て確信したぜ。もうビビってる時間は終わった、公演自粛こそ自粛しやがれ。それがひいては被災地支援に繋がるんだ。

開演15分前に丁寧なアナウンスが流れる。もしも余震が起きた際には、というものだ。このアナウンスを入れている時点で震災への対応という点では一つの及第点をクリアしているのだが、二兎社は徹底していた。

開演直前に、永井愛自らがマイクを携えステージ前に登場。地震情報は裏でスタッフがチェックしていますので、安心して観劇して欲しい、万一、避難の必要がある場合には、係員が(と、舞台センターを指さして)ここまで出てきて、皆様をご誘導いたしますので、お席にてお待ち下さい、スタッフ一同、万全の準備で臨んでいる、と。永井愛本人にここまで説明されると説得力が半端ない。こりゃあ家でテレビ見てるより安心なくらいだわ。

ステージ自体も相変わらず素晴らしかったのだが、終演後、もう一発度肝を抜かれた。カーテンコールの最中、曲を一旦止めて、主演の二人からメッセージ。ご来場感謝という言葉はもちろん、万全の準備と覚悟で臨んでいる、ロビーには義援金の募金箱も用意しているのでご協力頂ければ幸い、と。徹底している。

とこの時点で満点と言いたかったのだが、その後、ロビーに出てみてまた目を丸くした。裏に引っ込んでまだ間もないというのに、主演女優の沢口靖子&主宰・永井愛じきじきに、夕方にはヒョウまで降った寒さの中、劇場街の風吹き込むロビー入り口にて募金箱持って立っている!

これね、写真はね、お客さんとか写りこんじゃいけないからと思って、撮影を待ったんだよ。でも、本当に多くの人が募金箱にお金を入れてくれていたんだ。もちろん、ぜんぶ合わせても微々たる額だろうけど、こういう一切合切の取り組みを見てみて、劇場と社会がつながってる感じってのを、俺は強く感じたんだ。

しかし沢口靖子は相変わらず半端ない。稽古期間中も、新人かよ! ってくらいの真っ直ぐさ&誠実さで稽古に臨み、誰よりも台本に書き込みや付箋を残していたし、誰よりも資料や取材にあたることで役作りに臨んでいたが、今回のこれも自分から「やらせて下さい」っつって願い出たんだとさ。もう一回言うぞ、新人かよ! 東宝の大女優さんだろう! しかも募金してくれた一人ひとりに笑顔で挨拶、握手にも応じ、時には写真撮影もOKしているそうだ。1ステージ終えて疲労もあるだろに、メイクも落とさず、ただコート一枚引っ掛けてこうしてロビーに立つなんて。惚れるわ。

この光景を見て、励まされない人がいるだろうか。この対応を見て、劇場危ないと思う人がいるだろうか。

愛さんはこうも言っていた。演劇は芸術活動であると同時に、一つの経済活動でもある。今は東北以外の経済を止めないことが復興支援に繋がる。よく言われていることではあるが、ナベツネが言うのと永井愛が言うのとでは透明度が違う。

僕は実際、今日、二兎社を観に行くに当たって、バスに乗り、外食をし、路上でチャリティーライブをやっていたミュージシャンに募金し、コンビニで買い物をし、観劇をして、量販店で買い物をし、帰宅した。至って普通の観劇前後の行動だが、これを止めない、ということこそ経済活動に他ならない。

それ以上に、今日の二兎社を観て、私も頑張ろう、と思った人は多いはずだ。今回の作品は、貧困にあえぐシングルマザーたちが、それでも強く生きていき、貧しい中にも喜びや楽しみを見出し、人と人のつながりを築き、そして最後には国さえも動かすという話だ。二兎社の誠実な対応も胸を打つ。

アンケートを少し読ませてもらった。新潟から来たお客さんのアンケートを読んだ。この日のために上京したと言う。観に来て本当によかった、こんなときに演劇なんて、と言う人もいるけれど、私はそうは思わない、被災地以外の人たちが日常を強く生きることこそ復興支援だ、というようなことが書いてあった。女性の字だったが、彼女も中越沖地震を経験した方だろうか。

劇場には「こんなときに演劇なんて!」という苦情も寄せられるという。しかし、二兎社には苦情は一件もないそうだ。アンケートにもそういう声は一切ないという。

「こんなときに演劇なんて!」と言う人は、生きていく上で、演劇の必要がない人だけだ。自分にとって必要のないものを批判していいというのなら、俺は「こんなときにサッカーなんて!」とか、「こんなときにショッピングなんて!」とか、「こんなときにキュウリ作るなんて!」とか、「こんなときに遊園地なんて!」とか、まぁいくらでも言いたい放題言える。もちろん言わない。サッカーとかショッピングとかキュウリとか遊園地とか、そういうものがあるからこそ生きていける人だってたくさんいる。

余震は収まりつつある。もちろんあれほどの大規模震災であったのだから、今後半年、いや一年、いやいやもっとかもしれないが、余震はいつ来てもおかしくない。しかし、そんなことを言っていたら我々はずっと家に引き篭っているしかなくなる。そうして東京の経済は死に、被災地支援もできなくなる。

計画停電は続いている。電気は貯められないのだから仕方ない。しかし、だからこそ過剰な節電もまた無意味である。ここは一つ、一挙に株を落とした、俺もまだ完全に信用したとは言えない東京電力の計画停電を信じようと思う。ピーク時以外まで節電して、心を貧しくしたり、財布の紐を硬くしたりする一方では、東京は暗くなるばかりだ。今はまだ、夜景が沈んだ、街が暗くなったくらいのものだが、これが続けば人の心が暗くなり、つまりは未来が暗くなり、被災地の復興だってままならない。

震災から間もない、まだ交通も情報も滞っていた頃とは違うのだ。今はもう、上演こそ誠実。過剰な自粛こそ不謹慎。叩く人、喚く人も出るだろうが、心を強く持ち、やるべきことをやるだけだ。