PLAYNOTE Rajiv Joseph『Bengal Tiger at the Baghdad Zoo』

2011年02月27日

Rajiv Joseph『Bengal Tiger at the Baghdad Zoo』

[読書] 2011/02/27 04:54

世田谷パブリックシアターで行われている戯曲購読ゼミっつーのに参加している。今週金曜初参加。青山学院大学教授で英米演劇に多くの著書を持つ外岡尚美先生という方のホストにて、戯曲を読んで、あれこれ議論する、みたいな奴なんだが、俺はまだまだ勉強したいし、翻訳や海外演劇に関して聞きたいこともたくさんあるので、無理くり時間を作って参加するようにしている。大変だけど。戯曲一本ちゃんと読んでから授業に参加するなんて、イギリスにいた頃を思い出すわ。

で、2009年初演で、2010年にピューリッツァー賞受賞、今度ブロードウェイでロビン・ウィリアムズを主演にフィーチャーして再演されるというRajiv Josephの『Bengal Tiger at the Baghdad Zoo』を読んだ。

イラク戦争の話である。なんかすげー話だった。

主役は虎。虎くんである。動物たちが逃げ出してバンバン撃ち殺されたりしていたバグダッド動物園で、最後に残った虎くんだったが、「ほーれエサだぞー」みたいにして腕突っ込んできた米兵の腕を食べちゃったことで逆ギレされ、撃ち殺されてしまう。その後は、何故か成仏できずに幽体でふらふらしつつ、

「俺は本能に従ってお昼ご飯を食べただけだったのに、どうして幽霊になんかなってんだ。髪に罰せられたに違いない。でも待てよ、おいコラ神さまのポンコツ野郎。俺が残虐だって言ってもな、そりゃ本能だし、その本能作ったのはてめーだろ。どういうことだ、ファッキン神さま」

と謎に哲学的な悩みを繰り広げる。虎くん面白い。

それとは別に、アメリカの若い兵士が二人くらい、イラクの翻訳家兼フセイン家の庭師が一人、ウダイ・フセインその人など、イラク戦争にまつわるいろんな人が出てきて、それぞれの立場から物を盗んだり恫喝したり腕をなくしてオナニーできなくなって娼婦を買おうとしたり、まぁいろいろあるんだが、煩雑過ぎるのでここには書かない。

いくつか驚いたんだが、未だにアメリカ人ってのは「神さま! おい、どういうつもりだ!」みたいな言説が、たとえ芝居の台詞であっても飛び出てくるものなんだな。「神はいない」なんて、「冷たい牛乳がぶがぶ飲むとお腹こわす」とかと同じくらい当然マターかと思ってたわ。

例え物語の筋立て上便利だったからという理由だろうが、神さまがいるってのは大変便利なことなんだろうね。神さまの影すらない俺の生活の中では、何かどえらいことが起きた瞬間、人間不信や絶望感が蓄積されるだけで、実に無味乾燥である。反面、まぁいないだろ、と思いつつも神さま文化のある人にとっては、神とは何だと問うことは、すなわち人間とは何だと問うことに繋がるし、一つの人間的理想が想定できるということは何かと便利な気がする。

虎くんは最終的には「わかった! 俺は神さま見つけたぜ。俺、食うわ。虎だし」みたいにしてお庭で獲物を待ってるとこで落ち着くんだが、これが大変アイロニカルに響いてきた。虎くんは自分の神を見出した! これはすなわち、自分とは何か、ということを見出したということである。

反面、人間の方は、虎くんに、「神さまって何かって? ほれ、てめーの身の回り見渡してみろ、それが答えだ」みたいに言ってどっか行っちゃう。虎くんが「俺はこう生きる!」「虎的にはこれが真実!」と主体的な生を再獲得したのに対して、人間の方は「世界の現状、これが答え」と従属的な生、現状追認しかできない、ペシミズムとしても実に弱いペシミズムに陥ったまま、場から姿を消す。

人間だって、虎くんのように、自分の神を見出したいはずだ。前述の通り、神を見出すということは、自分の生き方を、信念や理想を見出すということに繋がる。

全体的に非常に混沌とした芝居であったが、それは即ち混沌とした世界や人間の置かれた状況を混沌のまま描いたからだろう。アメリカ人もイラク人もどちらにも肩入れせず、虎という役との対比ですべての人物が相対化して描かれている。

虎もまた狂暴な存在だが、虎の暴力には近接する妥当な理由がある。ごはん食べたい。それに対し、人間の暴力には妥当な理由はない。ムカついたから銃ぶっ放したり、虚栄の蓄財のために民衆を弾圧したりと、まぁやりたい放題好き放題なわけだが、腹減ったから食べちゃう→虎の本性、なのだとしたら、嘘をついたり虚栄にすがったりすること→人間の本性と読むこともできるかもしれない。

本当、アメリカという国が日に日によくわかんなくなってくる。こういう芝居書いて、ブロードウェイでも上演されるくらい人気を博して、人間とは何ぞやみたいなことを考えるだけの知性はやっぱり持ってんのに、劇中でも描写される傷病兵のトラウマ問題なんか、お前らそれベトナム戦争のときどんだけ反省したと思ってんだってくらい堂々巡りのことやってる。イラク戦争なんか開戦当時からもやもやしたまま始まって、今や開戦理由の大量破壊兵器すら見つからなかったってくらいお粗末な展開を辿ったのに、反省してる奴としてない奴の差がでかすぎるだろ。

参考: ウソが戦争を引き起こした:イラクの大量破壊兵器存在問題 - 壺 齋 閑 話

いや、僕だってわかるのさ。オイルマネーこそ差し迫った理由であって、建前は建前、「だってお金欲しいし」はわかるんだ。俺もお金は欲しい。ただ、俺もお金が欲しくて、例えば拾った五百円玉をネコババしたり、へらへらとお追従してお昼ご飯おごってもらって昼メシ代浮いたラッキーくらいの悪事は働いているけれど、これは規模がでかくなったらアメリカのクソどもがやったこととそんなに変わらないのかもしれない、と思うと大変怖い。

いやいや、それにしても、明確に死人が出るぞという局面で、「だってお金欲しいし」で動けちゃう人間は、やっぱり俺の想像を超えているな。

面白い戯曲だったが、俺は虎くんほど二本の足で立っていないかもしれない。虎だから四本の足か。おお、そう考えると虎の方が人間よりよっぽどしっかりしてんな。本当、神さまは、どうしてこんな欠陥品を一番最後に作りやがったんだろう? 二足直立歩行のおかげで俺達は、腰痛にもなるしいちいちうんこの度にケツ拭かなきゃいけないし、バランス崩してばかりの毎日だし、でもでも二足直立歩行のおかげで俺は今キーボードを叩きコーヒーを飲む物質的文明社会を手に入れたんだな。手先の進化に比べて、脳味噌の進化が悪かったから、こうもアンバランスに我々は二足直立歩行してんのかもな。