PLAYNOTE 書く書く詩歌詩歌

2011年01月25日

書く書く詩歌詩歌

[雑記・メモ] 2011/01/25 00:07

気晴らしに書きなぐって寝る。そして4時間で起きる。

最近の読書メモより。しばらく引用箇所は芥川龍之介『侏儒の言葉』再々読より。

最近また芥川を読んでいる。以前のような強烈なシンパシーを抱いて、ではなく、ある一定の距離を置きながら。全集から大正12年前後の文章を拾い読みしていたのだが、『侏儒の言葉』は風呂とか電車で読み流すにはうってつけであった。短いのでメモも取りやすい。

  • 文を作らんとするものは如何なる都会人であるにしても、その魂の奥底には野蛮人を一人持っていなければならぬ。
  • 文を作らんとするものの彼自身を恥ずるのは罪悪である。彼自身を恥ずる心の上には如何なる独創の芽も生えたことはない。

こういう野生の狼みたいな一面があるところが僕にとっての芥川龍之介の魅力である。神はいない、道徳もない、ただ神経があるだけだ、みたいな理知派の代表格のように捉えられている芥川だが、随筆や文芸論を紐解けば、気炎を上げる青白い精神がぼろっと眼の前に顕になる。個人的には乱歩なんかよりよっぽどキワキワのところまで精神の崖っぷちを歩いていた作家のように思う。

芥川の筆致は職人的だ。そしてその作品は見事な陶芸品のように硬く、しかも透き通った輝きを放っている。しかしそれを焼いた釜の中には、青白く吹き出す高温の炎がほとばしっているように思う。

○Blanquiの夢

 宇宙の大は無限大である。が、宇宙を造るものは六十幾つかの元素である。これらの元素の結合は如何に多数を極めたとしても、畢竟有限を脱することは出来ない。するとこれらの元素から無限大の宇宙を造るためには、あらゆる結合を試みる外にも、そのまたあらゆる結合を無限に反復して行かなければならぬ。して見れば我我の棲息する地球も、−−これらの結合の一つたる地球も太陽系中の一惑星に限らず、無限に存在しているはずである。この地球上のナポレオンはマレンゴオの戦に大勝を博した。が、茫々たる大虚に浮かんだ他の地球上のナポレオンは同じマレンゴオの戦に大敗を蒙っているかも知れない。……

 これは六十七歳のブランキの夢みた宇宙観である。議論の是非は問う所ではない。ただブランキは牢獄の中にこういう夢をペンにした時、あらゆる革命に絶望していた。このことだけは今日もなお何か我我の心の底へ滲み渡る寂しさを蓄えている。夢は既に地上から去った。我我も慰めを求めるためには何万億哩の天上へ、−−宇宙の夜に懸った第二の地球へ輝かしい夢を移さなければならぬ。

ブランキ、社会主義者で革命家のブランキ、だが、え、BLANKEYとちょっと似てないか。言ってることも、名前そのものも。ベンジーというニックネームの由来は知っているが、BLANKEY JET CITYは「ブランキー市長の住む町」くらいにしか知らなかった。英語圏でBLANKEYと検索してもろくな情報が出なかったように記憶している。もしかしたBLANKEYの語源にちょっと関係あったりして。

という妄想。

○事実

 しかし紛々たる事実の知識は常に民衆の愛するものである。彼らの最も知りたいのは愛とは何かということではない。クリストは私生児かどうかということである。

トリビアや豆知識やちょっとした疑問をばかり追い掛けている最近の僕に、ガツンと鉄槌を下した一文であった。

しかし「愛とは何か」ということを深く深く階段を降りながら考えていったときに、その間に辿るであろう思索やその先に見つかるであろう答えなんかが、恐らく誰ともシェアできない切っ先鋭い暴論であることは間違いないだろう。僕がやってるのは演劇なので、そういう奥へ奥へ行く思想はいらねーじゃん、みたいな血迷いも一瞬起こしたりした昨今であったが、考えを改めないといけない。

思想のない文章は、10年、20年で死んでしまうだろう。僕もあと数十年で死ぬだろう。となれば、やることは一つだ。エンターテイメント業界に僕はいない方がいいと思う。

○S・Mの知恵(※S・M=室生犀星)

我ら如何に生くべきか。−ー未知の世界を少し残しておくこと。

個人的に納得。何でもそうだが、仕組みがわかっちゃうと、一気に世界が詰まらなくなる。もう調べ物なんかしたくないわ。音楽だって、あるアーティストを好きになって、まだ聴いたことのないレコードが残っているくらいのときが一番楽しいし、社会問題だって、義憤に燃えて「どういうことだ!」と思っている間は楽しいが、にっちもさっちも行かないカラクリという奴が見えてくるともうもはや気が萎えるだけだ。何も知らずに妄想する方がいい。

それはつまり、子どもの勇敢さを取り戻そう、ということを言っているのだろう。事実を知ることにさして大きな意味はない。

○些事

 人生を幸福にするためには、日常の些事を愛さなければならぬ。雲の光、竹のそよぎ、群雀の声、行人の顔、−−あらゆる日常の些事の中に無上の甘露味を感じなければならぬ。

 人生を幸福にするためには? ーーしかし些事を愛するものは些事のために苦しまなければならぬ。庭前の古池に飛び込んだ蛙は百年の愁を破ったであろう。が、古池を飛び出した蛙は百年の愁を与えたかも知れない。いや、芭蕉の一生は享楽の一生であると共に、誰の目にも受苦の一生である。我我も微妙に楽しむためには、やはりまた微妙に苦しまなければならぬ。

 人生を幸福にするためには、日常の些事に苦しまなければならぬ。雲の光、竹のそよぎ、群雀の声、行人の顔、ーーあらゆる日常の些事の中に墜地獄の苦痛を感じなければならぬ。

こういうこと考えてるから芥川は死んじゃうんだよな。以下ただただ列挙。

○幻滅した芸術家

 或一群の芸術家は幻滅の世界に住している。彼らは愛を信じない。良心なるものをも信じない。ただ昔の苦行者のように無何有(むかう)の砂漠を家としている。その点はなるほど気の毒かも知れない。しかし美しい蜃気楼は砂漠の天にのみ生ずるものである。百般の人事に幻滅した彼らも大抵芸術には幻滅していない。いや、芸術といいさえすれば、常人の知らない金色の夢は忽ち空中に出現するのである。彼らも実は思いの外、幸福な瞬間を持たぬ訳ではない。

創作は常に冒険である。所詮は人力を尽した後、天命に委かせるより仕方はない。

少時学語苦難円 唯道工夫半未全
到老始知非力取 三分人事七分天 
(しょうじごをまなんでえんなりがたきをくるしむ/ただいうくふうなかばいまだまったからず/ろうにいたってはじめてしるりょくしゅにあらざるを/さんぶのじんじしちぶのてん)

○或自警団員の言葉

 聴き給え、高い木木の梢に何か寝鳥の騒いでいるのを。鳥は今度の大地震にも困るということを知らないであろう。しかし我我人間は衣食住の便宜を失ったためにあらゆる苦痛を味わっている。いや、衣食住どころではない。一杯のシトロンの飲めぬためにも少なからぬ不自由を忍んでいる。人間という二足の獣は何という情けない動物であろう。我我は文明を失ったが最後、それこそ風前の灯火のように覚束ない命を守らなければならぬ。見給え。鳥はもう静かに寝入っている。羽根布団や枕を知らぬ鳥は!

* * *

閑話休題。

少し顔を上げて、未来のことを考えてみる。掻い摘んで言って俺は、ここ一二年、文芸だの文学だのの未来は大変に暗いという印象を抱いてふらふら生きていた。小説は売れないし、演劇はぺらっぺらになるし、J-POPは定型句の繰り返しに陥っていく。媒体としても旧弊な小説や戯曲は圧倒的に弱い。そもそも小説なんてものが大衆文化であったのは長く見積もってもここ数百年の話なのであって、その時代が終わることに何の不思議もねぇだろう、と思っていた。

そう思うといろいろ馬鹿馬鹿しくなって、心臓を腐らせたまま、唇の周りをハチミツでベトベトにしたまま、布団にポテチの食べかすをボロボロこぼしながら、えーいと言ってお笑いを見たりエンタメを見たりしていた。エンタメしなきゃダメだよなぁ、なんてことばかり考えていた。いや、今でも少し、考えてはいる。

いずれにせよ文章家にとって暗い、寒い、冷たい時代だよなぁこれからは、と思っていたんだ。ただ僕は、昨日の夜くらいになってはっと、本当に天啓でも受けたかのように、一つの結論を手に入れた。詳しく書くには余白が足りないのだが、一言で言えば、文学も死ぬだろう、演劇も弱るだろう、だけど、言葉は死なない。たったそれだけの気づきが、毎晩大量に飲み干すウイスキーよりよほど深い酩酊を自分に与えてくれた気がする。要は、気分がいい。

しかし圧倒的に時間が足りない。自分の気に入らない文章を書くのは、苦痛と言ってもまだ生ぬるい、もうほとんど不可能と言った方がいいようなもんだ。例えるなら、ブスを抱くことを考えてみるといい。ブスでもぎりぎり勃起はできるかもしれない。だけど射精は絶対無理だ。すごく頑張っても無理だ。頑張れば頑張るほど無理かもしれない。バイアグラでもキメてれば少しは続くかもしれないけど、それでも絶対途中で中折れするだろう。中折れした後、いくら腰を振っても、続きはできない。理想的なセックスはおろか、形だけのセックスすらできない。折れてるし。文章が書けないというのは、そういうことと同じことで、何でもいいから書くというのは、いくら根性を入れても、真剣に向かっても、誠実に取り組んでも、あるいは気楽に振舞っても、ダメなときはダメだ。

男は時々何をしてもまったく駄目だというときがあるのだ。
やればやるだけおかしくなるだけで、することなすこと無駄な努力……
ふふ、いいか、そういう時、男はな、酒でも飲んで、ひっくり返って寝てればいいんだ。

アオイホノオ 2 (少年サンデーコミックススペシャル)より。相変わらず島本和彦はたまにとんでもない台詞を残してくれる。これは島本和彦の書いた台詞なのかな。それとも劇中の設定通り、キャプテンハーロックの言葉なんだろうか。でもキャプテンハーロックってこういうこと言いそうにないよな。島本先生なら言いそうだけど。

と、絶望の大風呂敷を広げた後であえて紹介するのだが、同じ作者、島本和彦は、こうも書いている。

manga-jukkun-2.jpg
漫画家十訓

どっちが正解かなんてわかるわけねーだろ。何が起きても変じゃなーい。

* * *

お知らせ。日刊「シングルマザーズ」の更新をしています。普段の僕らしくないマイルドさ余って胸やけしそうな文章書いていますけど、たまにいたずらもしているのでよかったらご覧下さいませ。二兎社面白いです必見。