PLAYNOTE 合間に見える青空と

2011年01月20日

合間に見える青空と

[雑記・メモ] 2011/01/20 00:14

日々、精いっぱい生きておりますが、日々、気まぐれのように神さまの八つ当たりに引っ掛かって、こけつまろびつ、ほうほうの体で、最近は新宿にはめっきり顔を出さず、主に小竹向原や方南町でやさぐれております。

二兎社の現場では自分は完全に下っ端ぺーぺーなので、普段とは違う演劇とのふれあい方を楽しんでいる。脚本にせよ演出にせよ、責任重大この上ないポジションにいる現場では、一瞬一瞬がヤンキー同士のハッタリのかましあいのようで、隙さえあれば付け入るし、油断を見せれば殴り倒される、そういう殺伐の中で胃を痛めながら、安眠のためにウイスキーを煽り、そうして結果、より胃を痛める結果を迎える。

二兎社の現場で下っ端ぺーぺーに存在しているということは、実は全然屈辱でもストレスでもなくて、先輩方の仕事をつぶさに見、感じ、確かめる、絶好の好機を得ています。演出、脚本、俳優、スタッフワークという様々な要素を大変客観的に見ることができて、毎日メシをおごられているような気分である。実際には彼らは一度も飲みにも行かず一緒にメシも食っていない。しかし、厳然たる信頼関係があり、あるいは切磋琢磨があり、なるほど、これがプロなのだと、いくつかの雲が晴れた気さえしている。

最近、家人にトラブルがあったりなかったりで、何か大変試されているような気がする。それでも気にせずマイペースに仕事をすることこそ恩返しにもなり孝行にもなるのだろう、と思い、ぎゅっと歯を食いしばって机に向かいはするが、しかし情が先んじて動揺もするし余計な世話も焼いたりする。古典仏教では愛とは執着とほぼ意味で使われており、親子の愛ですら俗世の血迷いみたいな扱われ方をする始末だが、愛から執着をマイナスしたものが現代的な意味での本当の「愛」、つまり「愛されるよりも愛したいマジで」的な意味での愛だとしたら、それはどう辞書に記載することができるのだろうか。

今日も今日とて疲労困憊し、チゲ鍋の素が残っていた気がするし楽ちんだからと鍋を作ろうと思ってスーパーで安い白菜やネギを購入して環七を歩いていたら、やたら人懐っこいマルチーズに絡まれた。延々と絡まれた。ピカピカ発光する反射板をつけた首輪をしており、ピカピカ光りながら俺の足元をぐるぐる回っていた。俺はイヤホンから流れる重低音のドラムン・ベースを聞き流しながら、くわえ煙草でニヤニヤとマルチーズを眺めていた。しかし、あの瞬間、俺の六歩くらい後ろを歩いていたマルチーズの飼い主は、俺に対して嫉妬していやしなかったか。あるいは自分よりフリーター風の容貌をした通行人に愛着を示す愛犬に対し殺意を抱いてやしなかったか。そしてマルチーズも芽生えてしまった好奇心を否定し切れず、しかし飼い主に示すべき恭順の間で板挟みになり、苦しんでいやしなかったか。

結果俺は、歩速を高め、ピッチ6のスピードでマルチーズを振り切った。それは俺なりの誠実さの現れだったのだが、果たして誰に伝わっただろうか。

身近なものや、自分の身を置く業界に対して、怒りや不条理を感じることはもうやめたいなと思っている。天下国家を論ぜよとは言わずとも、もっと、もっと、考えなければならない問題があるはずだ。『シングルマザーズ』の現場では、毎日のように母子家庭やらDVやらワーキングプアやらの問題について愛先生からの議論が提出されており、刺激的だ。しかし彼女の書くドラマは、社会派ではあるが人間的で、説教されてる気分はしない。そういう芝居が作れたらいいな、とも思うし、そういう柔らかい物腰で天下国家を論ずることもまた、可能な気がする。したいと思う。愚痴と恋話、噂話で、これ以上人生を浪費したくない。

例えばこの俺が立ち尽くしている足元に、歴史的価値のある土蔵なり土偶なりが埋められていたとして、それを俺はどうするべきだろうか。

結論は出ないのだが、明日は明日が早いので、もう一仕事、もう一まとめしたら、寝ようと思う。

コメント

投稿者:みあざき (2011年01月21日 18:11)

お久しぶりです。世の中はいつだって踏み潰された何かでできているのに、なかなか説教でない議論に出会えなくて、説教でないって表面では言いながら何者かを責めている議論にしか出会えないっていうか自分の論もそうなってきちゃって、近頃もやもやしているので、予定が合えばぜひそちらの作品を味わってみたいです。
大寒もすぎましたがまだまだ身を切る寒さが続きそうです。どうかお体に気をつけて。のしのし。