PLAYNOTE ここんとこの読書と二兎社裏日記その2

2011年01月12日

ここんとこの読書と二兎社裏日記その2

[雑記・メモ] 2011/01/12 10:34

49時間WSが終わってから、時間堂の脚本執筆と二兎社の稽古場助手であちらこちらへふらふらしている。合間合間にまだ諦めてない小説の構想をメモったり、6月の翻訳・演出に思いを馳せたり、カナリア派の台本を読み返したり、8月の公演に関して巻き起こった重大なトラブルに関して考えたり、何と言うか、ふらふらしている。右足は執筆、左足は稽古場にしっかり根がついていて、集中していないわけじゃないのだが、休憩替わりに別案件を考えているので、どこにいても気の休まる気がしない。

エロティシズム (中公文庫) 自家製 文章読本 (新潮文庫)

今朝は珍しく早起きして読書なぞしてみた。ここんとこ58演出・WS講師と演出系の瞬発力ばかり使っていて、文章についてのナルシシズムがとんと鈍ってしまっている。

先週は澁澤龍彦の『エロティシズム』を再読。『悪魔の絵本』執筆時に読んでいたものだが(併せて『悪魔のいる文学史』)も)、今読んでも新鮮、と言うよりは、ほとんど内容を忘れている。薬物およびアルコールの大量服用のために物忘れが激しい時期に読んだものだからだろう。おかげで楽しい。澁澤龍彦の文章は、単語には難解なものが多いものの、実に平明達意であると思う。そして何より脳味噌ひしゃげていて、痛快である。

今朝は井上ひさしの『自家製 文章読本』を1/3ほど読んだ。昨夜も虚しく真っ白い原稿を見つめるままに夜が明けたので、少しでも文章家としての気分が醸造されれば、という一心で手にとったのだが、内容に引きこまれてしまい、危うく完読するまで読み耽ってしまうところだった。

「話すように書くな」という一章が、井上ひさしらしく好戦的でひねくれていて、しかし論理的に磐石。

 ……このような次第で書き言葉にはパラ言語(注:身振り手振りや話し方など)の援軍はまったく期待できない。そこで「話すように書け」などと信じていると文章を綴ることが、苦行とまではいかなくても、人間にはやや不自然な、もっといえばかったるい、そしてじれったい作業となる。むしろ「話すようには書くな」と覚悟を定めて、両者はよほど違うものだというところから始めたほうが、ずっと近道だろう。

 そのとき書き手を支えているのは、自分の中に眠っている力を、言葉であらわすよろこびだけである。自己発見のよろこび、文章を綴るときの援軍は悲しいことにこの一騎だけだ。

(改行・注は谷)

井上ひさしは、言うまでもなく大劇作家である。岸田戯曲賞があるなら井上ひさし戯曲賞があってもいいだろう、というくらいの大作家だ。しかし彼は台詞を話し言葉と思っていただろうか。俳優によって話される言葉だということは、重々想定していただろうが、しかしいわゆる通り一般の、市井に溢れている「話し言葉」と、彼の書いた「台詞」は大きく違っていたはずだ。

そして今、永井愛の現場にいる。彼女もまた、いわゆる自然な、日常の話し言葉と、演劇的な話し言葉の違いを明瞭に感じている人である。稽古中に何かの弾みで、何かの説明のために、「いわゆる現代口語的なもっともらしさじゃなくて、本当に演劇的な……」というような言い回しをしたように記憶しているが、この感覚は忘れたくないな、と強く感じた。

現場の俳優たちからも、日常の模写が演劇じゃないんだ、俳優は圧縮し強調し展開させることが仕事なんだ、とでも形容したくなるようなスタンスを感じる。沢口さん・栄作さんにとっては、客席数220というのは、今までで一番小さい劇場なのだそうだ。さもありなん。稽古場で聴くには波動がでかくて、たじろぐ感じがする。根岸さんも強い。カチンと芯が通っている感じがする。劇場に照準を合わせて、人前に出るのだということに照準を合わせて、演劇であるということに照準を合わせて、モノ作りが行われている感じがする。

声がいい。イメージが明確である。オーラがある。

日刊「シングルマザーズ」、更新しました。リーフパイとうなぎパイのことについて書きました。

寝違えてしまった首がどんどん痛くなっていく。どういうことだ。さっぱり集中ならない。糸でも切れるならさっさと切れて、出欠でも何でもしてくれれば病院にでも行けるのに。喉の具合、と言うか、気管支の具合も相変わらずよくない。しおらしく煙草を減らしてみたり断酒してみたりしたが一向よくならないから、開き直ってしまった。僕の場合、しおらしく反省したり萎縮したりすると、逆に世界が膨張して俺を嘲笑うというケースが大変に多い。もうやらない。

朝食には蕎麦と餅を食った。昨夜は昨年から冷凍してあったアジを焼いて食った。いずれも美味であった。節制したい。

モーツァルトを聴いている。モーツァルトの五度! どういうことだ!

まとまったことが書けないのは、本のことで頭が一杯だからなのだよ。子どものような心で、子どものような話を。そして、実生活の模写ではない、演劇的な言葉や状況を書きたい。

しかし首が痛い。