PLAYNOTE 演劇のリアリティと楽器の胴鳴り

2010年12月28日

演劇のリアリティと楽器の胴鳴り

[演劇メモ] 2010/12/28 02:53

2chの元管理人にしてニュータイプ・アウトローとして有名なひろゆきこと西村博之氏が仕掛け人の一人となって(詳細不明)、ニコニコミュージカル『クリスマス・キャロル』という舞台が上演されている。で、ひろゆきのブログにこんなこと書いてあった。本番を観た後で、ネット中継を見たらしいのだが。

ということで、今夜、ネット中継で見ていたのですが、役者さんの顔がアップでわかるし、踊ってるときの動きとかもきちんと見られるし、音声も綺麗に聞こえるので、個人的にはネット中継のほうが面白いな、、とか思ったりもしました。

予想外に好評なニコミュ「クリスマス・キャロル」の作られた経緯。 : ひろゆき@オープンSNS

演劇ファン愕然。なるほど、門外漢には演劇は本番ナマ体験よりネット中継の方が面白いのか! 「生で観たら面白さがわかるから、一度劇場においでよ」という殺し文句を疑う必要があるのかもしれない。

俺がひろゆきの発言に唖然騒然としたちょっと前、僕の友人で、昔一緒にお芝居をやっていたとあるプロカメラマンのブログに、こんな記述も発見した。

(演劇つまらねえという話の流れで)僕らもかつては、演劇をやっていたのにね。演劇って、やると夢中になるけど、見るとつまらないのは何故だろうね。おそらく、役者にとっては舞台に立つ、という紛れもない現実があるのに対し、観客には、客いじりでもされない限り、どこまでも他人の演ずる絵空事だからだろう

僕なんか、目の前に躍動している肉体がある、ということに、絶対的なリアリティを感じていて、それこそが、そしてそこだけが、演劇のアドバンテージだと思っている。それくらい、演劇における「現前性により引き起こされる圧倒的なリアリティ」への信頼は厚いのだが、お客さんにはそうでもないらしい。

ひろゆきが観たミュージカルの主演がホリエモンだったから、彼は演劇のリアリティを感じられなかったのだろうか? 僕の友人のカメラマンが観たのが(何だか知らんが)しょっぱい小劇場芝居だったから、彼は演劇のリアリティを感じられなかったのだろうか?

* * *

これも偶然だが、こないだ東京デスロックのウェブサイトを改めて見ていて、多田さんが「デスロックの考える『演劇とは』について、すごく端的に書いていたのを思い出した。一部引用。

“2007年より演劇の最大の魅力を「目の前に俳優がいること」と位置付け演劇の可能性を追求する “unlockシリーズ”を開始。一貫して「演劇」のあり方、自明性を疑った地点から、アクチュアルな演劇を立ち上げる活動を行っている。”

“2008年より「現前する身体による戯曲の現前化」という演劇の根本原理をもって演劇への再評価を目指す“REBIRTHシリーズ”を開始。”

「俳優が目の前にいる事」を演劇の最大の魅力とし、身体的な負荷によって表出する身体の現前性、「目の前で起きているコト」を利用して戯曲を現前化させる演出が特徴。「観劇とは何か」の答えになりうる作品を目指す。”

TOKYO DEATHLOCK - about us

僕もここ数年、現前性、現前性とバカみたいに多用してきたが、多田さんもこんなにたくさん使っているとは思わなかった。シンパシー。

でも、この「現前性」は、もしかしたら普段演劇を観ないお客さんには、今ひとつ伝わっていないのかもしれない。「いや、わかるでしょ?」と思い込むのは危険な気がしてきた。

* * *

しかしそれでも僕は演劇=現前性の芸術であり、現前性と、出来事の芸術であると思っており、別にこの原理原則を否定するつもりはない。でも、ちょっとは冷静にならなきゃいけないのかもしれないな、と思ったりした。

「劇場に来ればわかる」と、僕が思っているあの圧倒的な現前性は、見る目があって初めてわかるものなのかもしれない。見る目って言うとすげーお高くとまっているようだけれど、いやいや、あらゆる芸術にせよスポーツにせよ、「見る目」は要求されるのだ。

例えば俺はサッカーを見ても選手の技術や能力についてはさっぱりわからない。「見る目」がない。例えば俺は陶磁器の展覧会に行っても、どれがガラクタでどれがお宝なのかぼんやりとしかわからない。「見る目」がない。これが野球とか絵画だったらまだ「見る目」があるからもう少しわかると思うけど、それでも俺はよっぽど目を凝らさないとカーブとシュートも見分けられないだろうし、世界的な巨匠の名作とその辺のパンピーが描いた凡作の区別はついても、例えば美大生の展覧会に行って、どいつが十年後巨匠になっていてどいつが十年後パンピーになっているかは多分わからないだろう。そこまでの「見る目」はない。

俺にサッカー選手の技術が見分けられないように、あるいは陶磁器の良し悪しがわからないように、普段演劇あんま観ないお客さんを劇場に連れてきても、彼らにはあの圧倒的な現前性、目の前でやってる感は、実は伝わっていないのかもしれない。

「何でわからない?」とムキになっても仕方がない。色盲の人に赤と茶色を区別しろと言っているようなもの、俺に陶磁器の審査員をやれと言っているようなものだ。「見る目」がないなら、わからないし、「見る目」がない人には、伝えられないものがある。

* * *

例えば俺は音楽が大変好きで、さすがに一流のギタリストが弾いたギターの音と、「昔バンドやってたんです」レベルの人が弾くギターの音の根本的な違いはわかる。「見る目」ならぬ「聞く耳」があるんだろう。

エレキギターってピックアップで音を拾って電気的に増幅している「だけ」のように見えるけど、ああ見えて実はボディの材質や形状によって全然音が違うものだ。例えばレスポールタイプとストラトキャスタータイプ、一番有名なエレキギターの形状の種類だと思うが、この二つでは音が全く違う。弦の振動がボディに伝わり、木材を振動させて音を増幅させたり削ったりするからだ。

俺だって最初はレスポールとストラトの音の違いなんて全然わからんかった。「見る目」「聞く耳」を育てるには、その音や芸術に触れる時間と、触れる量が、とにかくたくさん必要なんだ。

でも、それでも俺は最初からロックンロールが好きだった。多分、ギターの胴鳴りがどうこうなんてことはちっともわかっていなかったが、しかしそれでもリズムやメロディや歌詞はわかるから、そこを楽しんでいた。演劇に変換するならば、現前世が伝わらない場合があっても、でも物語や仕掛けや衣裳や美術で楽しんでもらうことはできるはずだ。なるほど、なるほど。

最近のCoRichレビューとか見てると、今例に挙げたような「胴鳴り」をしていない演技や演出に対して、「熱演!」とか「好印象!」とか書いている人が多くて「マジで??」って思うけど、それも仕方ないのかもしれない。「胴鳴り」は聞けなくても、フレーズやリズムやパフォーマンスは聞けるし見れる。文化祭バンドとかでヒーローだった連中も、音はまぁ酷いもんだろうけど、大いに観客を沸かせていた。

一度、胴の鳴ってる音を聴いてしまうと、もうスッカスカの音は恥ずかしくて聞けなくなってしまう。友人のバンドマンや音楽家なんかは、音を聞いて一瞬で「あぁ、ひどいね」とこぼしたりする。トランペットの音は、泣いているか、笑っているか、普通の人にはわからなくても、耳のある人にはわかるらしい。

特にオチはない。最近、そんなことを考えていたんだ。

コメント

投稿者:槍子 (2010年12月29日 01:12)

どうだろう。
一流の舞台(何が一流かはさておき)を見れば、大して物が分からない客にも凄さは分かるんじゃないの?
逆に、鍛えられた優れた観察眼で注意しないと良い部分を汲み取れない物は、一般人に見せる物としては習作から二流の間にあるものなんじゃないの?
ぶっちゃけ、狭いコミュニティで、身内同士ある意味で褒め合い守りあっているうちに、外部の審美眼の厳しさから乖離した、甘えた物を作りがちなんじゃないの、などとも思えます。
素人の目は鈍い。当たり前ッス。でも、金を稼いでいるアーティストは、その鈍い素人の心さえ響かせてるって事だよね。

投稿者:谷賢一 (2010年12月29日 01:47)

ああ、反論ありがとうございます。でも、本稿の趣旨がまず、仰るように玄人受けだけするものを疑え、というものですから、大枠では同じこと考えてるんだと思いますよ。

しかし、
〉素人の目は鈍い。当たり前ッス。でも、金を稼いでいるアーティストは、その鈍い素人の心さえ響かせてるって事だよね。
これはちょっと違うと思います。ピカソとかカンディンスキーの絵って何億って値段がついてるけど、わかんない人にはさっぱりわかんないし、マイルス・デイビスのトランペットの良さは初めてジャズを聞く人にはわからない。いいものは全て玄人にも素人にもウケるはずだ、とは言えないと思います。僕も初めてシェイクスピア読んだときはあまりのつまらなさに壁に本投げつけましたし。素人のこころを響かせない名作やマスターピースも必ずある。

ただ、仰るように、玄人受けするものだけ作ってんのは危険だ、という意味では本稿と同じことを槍子さんは仰ってるんだと思いますが。しかし、ある程度触れ続けないと理解できない良さというのは、確実に存在します。

投稿者:谷賢一 (2010年12月29日 01:50)

売れてるものがいいものなら、世界で一番うまいラーメンはカップラーメンだ。by甲本ヒロト。

投稿者:詩森ろば (2010年12月29日 07:39)

わたしも最近、おんなじようなこと考えてます。

話の趣旨とはずれますが、ずいぶん前に
遊園地再生事業団を見たときに、
映像でいま俳優がやっていることを
アップにして映写する、ということを
やってたんですね。
アリーナでのライブみたいなかんじですね。

その映像が、
じっさいに目の前に在る肉体より、
ずっとおもしろかった、というのに
衝撃を受けました。
アリーナクラスのハコならともかく
シアタートラムですから。

いま、わたしはこういう肉体と、
演劇を作ろうとしてるんだなあって
思い知らされたというか。


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それとはぜんぜん別に、
ドイツ演劇の勉強会に出たときに、
芝居のクオリティにもショックを受けましたが、
ブレヒトの「母」なんていう芝居に、
老若男女、多彩なオーディエンスが、
しかも客席にビッシリ集まっていて、
それも衝撃的でした。
素人の目は鋭い、と心から言えたら
創り手としては恐ろしいけど、
それはやっぱりハッピーなコトだなあ、と思います。

投稿者:Kenichi Tani (2010年12月31日 01:05)

遊園地再生事業団の例は面白いなぁ。「こういう肉体」という言葉も、以前四文屋で話したアングラ演劇の肉体のことを思い出しながら考えるととてもよくわかります。

ドイツは話を聞く限り本当に多彩ですね。僕には例えばピナ・バウシュのような前衛が田舎町で延々興業を打ち続けられた、というのが衝撃です。「素人の目は鋭い」と言えそうな環境があるように思います。