PLAYNOTE Only Lonely People

2010年12月25日

Only Lonely People

[雑記・メモ] 2010/12/25 05:59
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新しい力

新脚本のために本の海やネットの海や酒の海に溺れている日々。

どういう偶然か、社会学の古典として有名らしい、デイヴィッド・リースマンという人が1950年に書いた『孤独な群衆』という本の内容に行き着いた。一昨日。原著は読んでなくて日英のWikipediaで概要を読んだくらいなんだけど、恐ろしいくらいに現在の社会情勢を言い当てている。

まず社会はこんな感じで変化していく。

人口成長期 … たぶんベビーブーム
過渡的成長 … たぶん高度経済成長
初期的減退 … たぶん平成

ガキが増えて、経済が発展して、そして人口も経済も減退していく、というのは、日本はもちろん欧米の一部でも、そして中国でも見られる現象みたいだけど、1950年の時点でこれを予測していたのってすごくない? ぼく社会学とか分野外なので、純粋にすごいと思う。

そして、その人口成長期・過渡的成長・初期的減退という変化に合わせて、人民は以下の三つのタイプに変化していく、とリースマンは予言している。

伝統指向型 … 慣習・伝統がはっきり残っており、「恥」に対する恐れから人々は言動を決める。
内部指向型 … お偉いさんとか両親とかの影響で道徳律が刷り込まれ、「罪」の感覚への恐れから人々は言動を決める。
他人指向型 … 慣習・伝統でも、両親から伝わった道徳律でもなく、「みんなこうしてるから」「こうしなきゃ」という不安によって人々は言動を決める。

つまり現代は「初期的減退」の時期であり、僕たちは「他人指向型」、つまり、伝統も失い道徳もなくなって、ただ「みんなこうしてるから」にビクビクしながら生きている、ということになる。これかなり慧眼じゃない?

リースマンの慧眼だなぁと思うところは、「他人指向型」に関して、「みんな」の定義を「対面している人々」だけじゃなくて「マスメディア」も含んでいるところ。どんだけ予測してんだ。そして、我々の世代が恥でも罪でもなく「不安」に動機づけられている、という考察。恐ろしいくらいにピタリです。不安だから結婚もするし、不安だから就職もするし、不安だから悪いことはしない。でも、恥ずかしいから、とか、それはいけないことだから、という認識は、どんどん消えていっている。

大変に衆愚性な時代に陥っていると思うのです。と同時に、マスコミがあんまりにもまともな仕事をしないので、どんどん世界が乱れている。しかしマスコミは言う、「視聴者のニーズに合わせている」。バカがバカに足並みを揃えて、ちょっとずつバカ方面に身を寄せ立ち位置をズラし続けた結果、バカしかいない、みたいな世相になっている。

かく言う私も、最近とてもバカになっているなぁとひしひし実感してもいる。今さら勉強したところで何になるんだろ、みたいなニヒリズムに侵食されている。叡智はもはや尊敬に値せず、「わかりづらい」とむしろバカにされる始末で、ファインアートという言葉はほとんど「よくわかんねー、小難しい芸術」という蔑称になっているきらいがある。どんどん俺もバカになることで、世間と足並みを揃えようとしている感がある。

だいたい、今おもしれーとか言われてる劇団の大半は、バカ向けの演劇だものな。最近の俺含む。井上ひさしの言葉を思い出す。

むずかしいことをやさしく、
やさしいことをふかく、
ふかいことをおもしろく、
おもしろいことをまじめに、
まじめなことをゆかいに、
ゆかいなことをいっそうゆかいに

井上ひさしのすごいところは、バカにもわかるようにお芝居を作っておきながら、しかし賢い人にはもっとわかるように作ってあり、さらにすごいところは、賢すぎる人(=ひるがえってバカな人)をきちんと小馬鹿にするように作っているところだ。なんて素敵な人だったんだろう、って、マジで思うよ。

上に引用した井上ひさしの言葉を、すべてのマスメディアが肝に銘じてくれれば、ずいぶん日本はよくなると思うんだけどな。マスコミがよくなれば、日本はよくなりますよ。そして俺の生活も楽しくなると思う。俺は、演劇で社会は変えられる、とは残念ながら思っていない。ロックンロールなら変えられる。でも、一番変えやすいのは、マスコミなのにな。

以上。

ぐつぐつと沸き返る、煮え立つクラムチャウダーの匂いを嗅ぎながら、指慣らしに少し文章を書いてみるテストでした。孤独な群衆。俺もまた孤独な群衆である。ジョン・レノンの『Only People』という曲も素晴らしい。連関性は、一切無い。

ただ、僕は、もっともっと、連関性のないもの同士を、結びつけるような仕事がしたいんだ。