PLAYNOTE 伊豆・熱海

2010年10月17日

伊豆・熱海

[お出かけ・旅行] 2010/10/17 21:44
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東京を離れてどこかに一泊、なんていつ以来のことかしら、と思って調べたら、もうかれこれ4年半振りだということがわかった。しかもそのときは京都に取材旅行に行き漫画喫茶で一泊。DCPOP第2回公演のとき。旅行の誘いは断り続け欲望も抱かずに芝居ばっかやってきた。

そんな自分が本当に久々に旅行になぞ行ってきた。

頭をリセットするいい機会だった。パソコンを持たずに一日以上過ごすということ自体が異常なのだが、あえてパソコンもイーモバイルも家に置き、緊急の仕事だけ片付けて、本を一冊だけ持ってぶらっと出る。これくらいしないと、右脳と左脳のデフラグには時間が足りないんだ。

新宿から小田急線に乗って小田原まで。小田原で塩辛とビールを買ってさっそく一杯あけたのがまだ太陽の南中から一刻と立たない昼過ぎで、俺は妙にへらへらしていた。その後、電車でパンクだが上品な謎のおばさんに話し掛けられたり、熱海で途中下車して足湯を浴びたりしつつ、伊豆高原へ到着。

伊豆高原は魔窟であった。廃れきった観光地は、女盛りを二回りも過ぎて、それでも露出の高い服や豪奢なアクセサリーをつけてしまう老婆のように、いびつで、薄気味悪く、そして悲しい感じがした。意味不明な個人経営っぽい美術館や博物館が異常にたくさんあるのだが、そのどれもが休館日で、わけがわからぬまま20度はありそうな急勾配の坂をてくてく登り続けた。

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「ガラムマサラ」というカレー屋で神がかった味のカレーを食った後、立ち寄り湯を浴び、地ビールをたらふく飲んで魚料理を食べ、一泊3000円という嘘みたいな値段の宿に素泊まり。

一泊3000円。旅行に行った、とか書くと「贅沢しやがって」と思われるだろうが、そんなものなのです。しかし、演劇をやって稼いだ金で、初めて行った旅行なのだ。沸き起こる感慨を、買ってきた日本酒で胃袋に流し込む。また飲んでる。ずっと飲んでいる。

翌朝、一発朝風呂を浴びて、伊東の街並みを歩く。魚屋の軒先で、専用の椅子に座り眠りこけているニャンコを発見。魚屋にニャンコっていいのかよ、と思ったけれど、ぜんぜんへいちゃらな顔のおかみさん。名前は「グレイ」というらしい。

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「会いたいからー」

何かこの日はたまたま伊東の秋祭りの日らしく、町中をお神輿のような山車のような戦車のようなものが練り歩いておった。五味屋というこれも素晴らしく旨い定食屋でウナギとイクラとウニの定食を頂く。どれも俺が東京で一年暮らしていて多分一度も口にしない類の高級品だが、1500円とかで食えた。

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海辺に行ったら祭りが盛り上がっており、神輿をかついだ男どもが海にそのまま突入していた。そういうお祭りらしい。

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あまりにどシュールな光景で、どう突っ込んでいいんだかわからなかった。

立ち並ぶお土産屋を何となく眺めながら、演劇のこと、文学のことについて一瞬も考えない自分を発見する。一年に一度しか見れないほうき星とか、夏の間に一晩だけつぼみを開く花だとか、それくらい珍しい自分である。自分を正しくリセットするためには、こうまでしなきゃならんのか、という気にさえなるが、確かに今は、暮らしている場所も、働いている場所も、身につけているものも、すべてが演劇や文学に繋がっていて、東京にいると、自分というものがよくわからなくなる。東京というもの自体が、自分にとって、仕事場でしかない。でなきゃ柏の実家に引っ込むもの。

熱海に移動し、何と言うか、よく言えば商魂逞しい、悪く言えば下卑た繁華街を抜けて、再び海岸へ。砂遊びなんてそれこそ十何年振りだが、寄せる波、返す波の一つ一つに魂を洗われるような気がする、くらいのことを言ったって、大袈裟でも何でもない。浜辺で眠ってしまったくらいだ。

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その後、駅にほど近い料理屋で日本酒を二合だけ頂いて帰路に着いた。実家の家族へのお土産に、さつま揚げみたいな何かを買った。これもすごく美味しかったんだ。

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たった一日半の旅行ではあったけれど、自分にとっては一ヶ月のオフに勝るリフレッシュであった。自分はいつも、新しい風景や光景、絵ヅラが観たくて演劇を作っている。想像した絵ヅラが決まると、神さまになったような気持ちになる。いや、実際、そういうときの自分は神さまなんだ。会心の一行が書けたとき、納得のワンシーンが作れたときだけ味わえるあの万能感、全能感だけは、多分、他に誰も味わうことができない、自分だけの特権的感覚なのだと思う。

たった一日半の旅行であったというのに、二日目の後半では家に帰りたくてうずうずしていた。何か書きたい、考えたいという、無邪気な気持ちになったんだ。「やべー〆切来週だやらなきゃ」とかではない、無心の創作意欲と言っていい感覚だったと思う。そういう初期微動、初期衝動が感じられた瞬間を存分に味わっておかないと、創作を続けるということは地獄への階段を一歩ずつ降りていくようなものだから、途中でくらくら来て気が遠くなってしまう。足を踏み外して骨を折ったり肉が裂けたりしてしまう。自分がどこにいるのか、どこに向かっているのかわからなくなる。

無邪気に、無心に、無欲に「何かやりたい」と湧いてきた、それはとても、いい兆候、いい状態ってことなんだよな。なぁ、ロバート? ジャニス? 朝刊のスコアに数学を発見する瞬間、あるいは明日のレコーディングの入り時間を早めたいと思う瞬間、そういう瞬間の彼ら彼女らと、気持ちの上では近づけた、そんな気がする。

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別に伊豆も伊東も熱海も観光地としてはしなびた、古臭い、かび臭いとこには違いない。バブルがはじけてどうしていいかわからなくなった迷子都市だ。だが最高に楽しかった。一生忘れないと思うし、うん、そういう人生になるといいな。明日は明日で恐ろしく、昨日は昨日で恐ろしい。一歩、一歩が恐ろしい、魑魅魍魎の間をすり抜けて抜き足差し足生きているような感じがするが、この写真の記憶がくすんで黄ばむようなことに、どうかなりませんように。