PLAYNOTE 『人間失格』と『悪魔の絵本』

2010年10月03日

『人間失格』と『悪魔の絵本』

[公演活動] 2010/10/03 13:35
Sun Oct 03 13-36-19.jpg
write a comment here

俺は今、どうしてこんなところにいるんだろう? 八幡山ワーサルシアター、Project BUNGAKU『太宰治/人間失格』開場中、一仕事終えてマルボロ加えながらドクターペッパーを飲む。頭上からお祭りの太鼓やら笛やらが聞こえてきて、目の前でガキがニンテンドーDSをやっている。混乱した風景。僕は割と清澄なる精神で開演を待っている。今日も明日も押せ押せ超満員、お席が苦しくて申し訳ないが、密度のある芝居をしています。

そして僕から数十キロ離れた新宿では、岡田あがさが『悪魔の絵本』で踊るためのスタンバイをしている頃だ。八幡山で演出家として開演を待つ自分、新宿で脚本家として開演を待つ自分、そうして人間としての自分はどこにもいない。

僕は今、どうしてこんなところにいるんだろう?

『人間失格』は一つ峠を超えて安定期。お芝居なのだから、安定させたい、という欲求はない。でも、地に足がついた状態をまず用意してやることができれば、俳優はその上で踊れる。今回はきっかけが多くデザインされた動きも多く、キメキメでありながら、しかし心を震わせることが演劇である。一昨日のアフタートークゲスト、三田佳子さんが仰っていた。どこまで人の心に近づけるか、演劇も映画もそこは同じ。テクニカルを固めれば、その分、心のブレを舞台に乗せることができる。

あぁ、やっぱり割と、クラシカルな人間なのだな、僕は。演劇人としても人間としても。

ゆうべ広田さんに、「人間失格、よくできているんだから、短編じゃなくて長編バージョンを作ったらどうか。あの密度を保ったまま90分なり120分なりに伸ばせたらすごいことになる」と言われた。それは、僕もやりたいと思っている。演出がもう、これ完全にワーサルシアターの規模でやることをしていない。モリエールクラスの舞台でもほぼこのまま演出していける。小さい舞台を大劇場的に使っており、ひずみもあるが、驚きもある、厄介な作品になっている。

僕はいつも、M1の音響が流れてカメラのシャッターが切られる瞬間、心がすっと吸い込まれる感じがする。演劇やってて、気持ちいい瞬間だ。

そうして脚本提供した『悪魔の絵本』も粛々と公演日程を進めている。10/11までだから、うちよりちょっと後までやっている格好になるが、評判は大変いい。
http://stage.corich.jp/stage_done_detail.php?stage_id=21885
早く観たい、と思う気持ちと同時に、観たくない、という気持ちもある。一体あいつは、どうなっているんだろうか。ヒヤヒヤするぜ。楽しみだぜ。

脚本の出来がいい、という声が聞こえてきて安堵するが、自分の脚本は意外と演出家を選ぶものだし観客も選ぶものだから、果たしてそんなにポピュラーになり得るだろうか、という不安もある。色々不安めいたことを書いているのは、ここにもあそこにも、思い入れが多すぎるからだろう。この作品は、脚本提供用に書いたものだけれど、石丸さんという信頼できる演出家に渡すということもあって、ほとんどDULL-COLORED POPのノリで書いている。血肉を分けた子供なのだ。

『人間失格』と『悪魔の絵本』は、今ちょうどあっちこっちと同時上演されているが、内容的にも表裏をなす作品という気がしている。『人間失格』の葉蔵も、『悪魔の絵本』の瀬田賢二も、子供、というよりは自分の分身だ。自分の写し身とでも言うべき人物を演劇に登場させたことは過去にもあったが、それは大抵女性人物だった。男で、しかも自分的な人物は、ちょっと思いつかないな。

* * *

今日の昼頃、アロッタファジャイナに出演中の某俳優さんと、あとコロちゃんと、俺の三人で、演劇の話をした。俳優はどこまで客席と意思疎通できるか、するべきだろうか、という話だ。共演者や舞台上へ向けるアンテナと、観客・客席へ向けるアンテナの比率。どういう状態が俳優にとっていい状態なのか。演劇の話をするときのコロちゃんは熱心でキラキラしている。僕はその横でニヤニヤしている。素直じゃない。

『人間失格』のような、デザインされた動きの演劇でも、俳優の心の震え方というのはやっぱり大きく演劇のクオリティを左右するようだ。いや、それが全てと言ってもいい程だ。形から入るか、心から入るか、はあくまで入り口でしかなく、出口はやはり一緒なんだということを改めて痛感している。

あと12ステージ残っている。だけど、終わってしまうのが残念だな。一ヶ月に一回くらいの頻度で観ていたい。荒らされた舞台だが、美しく仕上がっている。

* * *

やわらかいソファとクッションが用意されている。僕はそこに座ろうとして、服の汚れを落として、コーヒーを入れた。だけど、一度座ってしまったら、二度と立ち上がれない気がしているし、そもそもやわらかいソファとクッションに座っていいものなのだろうか、自分は。冷たくて硬いものにこそ、僕は肌を触れているべきなのだろうか?

いやしかし、こうして劇場でNomakのイントロを聴くと、一瞬で僕は冷たくて遠い世界に引き込まれてしまう。遠くに行くことは一瞬でできるみたいだ。なら、やっぱり、ソファとクッションを捨てたくはない。

だけど、座った後で、それが破れてしまわないかどうか、とても不安なんだ。

* * *

翻案・演出『人間失格』
http://www.playnote.net/archives/001625.html

脚本提供『悪魔の絵本』
http://www.playnote.net/archives/001615.html

是非、観に来て下さい。私は今年で28になります。