PLAYNOTE 人気投票化する社会 ~ランキング文化からブログ、そしてTwitterへ~

2010年09月01日

人気投票化する社会 ~ランキング文化からブログ、そしてTwitterへ~

[雑記・メモ] 2010/09/01 11:02
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昭和の後半、ランキングや口コミの台頭により、情報の発信および商品・作品などへの評価は、評論家や一部の著名人のものから一般大衆のものへとそのウェイトが少しずつ移っていった。近年、ブログやソーシャルメディア、そしてTwitterの流行により、その勢いにますます拍車がかかり、いずれ評判や評価はぜんぶ人気投票化していくかもしれない。

自分用のメモなのでざっと書く。

ランキング文化について

今、面白い本や映画を探そうとして、文芸評論家の記事を読んだり映画評論家の意見を求めたりする人なんてほとんどいない。ベストセラーランキングを見て本に注目するし、興行収入ランキングを調べて映画館に行くだろう。ラーメンを食うにしても価格.comで家電製品を買うにしても、ランキングを参考にする人はかなり多いはずだ。

いつ頃からランキング文化がこれほど流行したのか、昭和57年生まれの自分はよく知らないけど、俺が小さい頃にははなきんデータランドだとかカウントダウンTVだとかが高視聴率を稼ぎ出していた。この時点でもう、批評家、評論家による何か難しくて長たらしい文章よりも、単純に「どれだけたくさんの人が買ったか」「どれだけたくさんの人が好きと言ったか」を信じる人は相当数いたように思う。つまり、人気投票化は随分と進行していたはずだ。

人気投票化が悪いと言っているわけではない。一部の批評家がもてはやした作品が市場にわっと溢れ返ることだって異常だし害悪もあるだろう。要はバランスの問題なのだが、今はもう、「みんな好き」=「いいものだろう」という考え方が占める比重が大き過ぎるように思う。

ただ、自分が関心のあるジャンルではみんなそれなりの判断を下すんだ。音楽が好きな人は試聴もするだろうし音楽雑誌も読むだろう、でもそれほど詳しくない人は、メディアに溢れるランキングで音楽を知り、店頭に平積みにされているCDから手に取った。ラーメン通は自分の足でラーメン屋を回り、ラーメン特集をチェックするだろうけど、「たまには旨いラーメンでも食うか」と考えた普通の人は、人気のあるラーメン屋に吸い込まれていく。要は、自分が無知なジャンルほど、ランキングから受ける影響は大きい。

ランキングの影響は、単にランキングを見た人にのみ与えられるのではない。ランキング上位の商品や作品は、自然とメディアへの露出が増え、間接的に知名度や接触する機会を増やしていく。何となくだけど、昭和の後半でそういう傾向は随分強くなったように思うんだ。

これは、「一部の知識人がいいものを選んでいた時代」から、「大勢の一般人が選んだものがいいもの(に違いない)」という変化。そして、「評価する人」が「一部の権力者」から「その辺の一般人」に変わったという流れ。それでもまだ、TVや新聞といったメディアの力は強かった。

インターネット、ブログの登場

90年代後半から、インターネットの普及率が加速度的に上がっていき、00年代に入るとブログの登場でさらに情勢が大きく変化する。

「みんなが選んだものがいいもの」と思う人が増えたとは言え、「何をみんなが選んだか」を伝える役割はTVや新聞だった。TVや新聞は当然スポンサーの影響を受ける私企業である。バイアスがかかることもあるし、資本力のある会社ほど露出の機会も増える。まだ、金持ってる奴が強かった。

ところがインターネットが登場すると、誰でも発信できるようになってくるわけだ。ランキング文化の台頭で、「評価する人」が一部の人からパンピーたちへシフトしたことはさっき書いたけど、ここへ来て、「発信する人」が一部の人に限られなくなり、パンピーたちへシフトした。

ランキング文化に知的権威が殺されたように、インターネット文化が今度は金の権威にトドメを指した。

検索エンジンで出て来る結果は、基本的には被リンク数の多いものが強く、ページ数の多いものほど情報が多い。そして、ソーシャルブックマークの登場により、あらゆるウェブページの中で人気ランキングが形成されることになった。量的な観点においても質的な観点においても、インターネット文化とランキング文化が結びついたと言っていいだろう。

Twitterはどうか

そしてTwitterの登場である。

ブログでさえ「誰が書いてるか」なんてもうほとんど意識されていなかったと思うが、Twitterはさらにその傾向が強くなる。140字の面白い発言はガンガンRTされ、ふぁぼられて、あちこちのTLに飛び火していく。断片化された情報の語尾だけが伝わるようになるし、140字ではもはやまともな批評は不可能、というより、かっちり構築された長文エントリーよりも、キャッチーな短文の方がRTもふぁぼられも増えていく分、強くなる。

ブログはそれでも、アクセスすればブログタイトルが目に入って来たし、デザインや投稿者名で執筆者の存在が明確だったように思うが、TwitterではぶっちゃけTL上に@hogehogeなんて文字列が書かれていても、知らない人なら誰でも別にどうでもいい。プロフィールページを確認する場合もあるだろうが、大抵の場合、「誰が書いたか」を意識するレベルは低くなる。

「評価する人」が、「一部の知識人が書いた長文」から「誰でも書ける文章」になり、最終的には「誰かが書いた短文」になった。
「発信する人」が、「資本力のある会社とメディア」から「誰でも」になった。
そして、書かれる内容は、どんどん短くなり、キャッチーさに流れていく。

* * *

だから何だとか言うわけじゃねーからな。今朝方、自分とこの商品を宣伝するために、高評価を書いていたつぶやきをひたすらRTしまくっている某会社を見て、なるほど、ランキング文化がもたらした人気投票化は、現在も別の形で進行中なのだな、と思っただけである。もう少しちゃんと考えてみたいけど、今日はもう寝る。