PLAYNOTE あなたまでもが寝静まった後に

2010年08月30日

あなたまでもが寝静まった後に

[雑記・メモ] 2010/08/30 09:16

追われるように仕事をしている。実際、夢の中でまで追い掛けられている。先日、人んちのソファでいつの間にか寝ていたとき、夢の中で催促のメールが来て、わっと目を覚ますと現実に最速のメールが来ていて、そのあまりの符号、あまりの俺の深層心理レベルの怯えにしばし呆然としたりした。シメキリ、という四文字が、もうほとんど亡霊のように怖い。

そうして今日もキーボードを叩いていて、もう九時を回ったから、いい加減疲れてきていて、此処から先は駄文。

人間の細胞は4年か5年くらいですべて入れ替わってしまう、と聞いたことがある。新陳代謝の末、例えばもう5年前の細胞はもうほとんど残っていないんだとか。形而上学的に言っても形而下学的に言っても、「ぼくはぼく」「わたしはわたし」という意識が持てるのは、記憶の連続性に担保されているだけのもので、ぼくはぼくではないし、わたしはわたしではない。肉体的には細胞の新陳代謝で説明できるし、心理的に言ってもほとんど別人のようになってしまう人もいる。僕もその一人だ。

気がつけば明日か明後日でこの家に越してきて一年だし、あと一ヵ月半もすればプルーフとサラ・ケインから一年だ。その間に僕はいろんなことを学んだ。人のために文章を書くということの難しさや、自分のために文章を書くということの不的確さ。あるいは、金のために文章を書くということの不可能性。アメリカで行われたとある実験によれば、報酬の設定は試験の成果に関してほとんど無意味であったらしい。もちろん成果がなければ子供も大人も干上がってしまうが、短期的には報酬で成果は生めないようだ。

情熱を心に宿していなければならない。物を書くということは、自分の前後未来だとか身近な人物の反応気分だとか、そんなことすら蹴殴り倒すくらいの勢いで、向き合わなければまともなものは書けない。最近読んでる『書きたがる脳 言語と創造性の科学』という本がひたすら読みづらい割にひたすら面白いので思うのだが、書くということは考えれば考えるほど不思議だ。

(以下未完)