PLAYNOTE 平田オリザと岡田利規の長い対談がタダで読めた&劇場法について

2010年08月12日

平田オリザと岡田利規の長い対談がタダで読めた&劇場法について

[演劇メモ] 2010/08/12 17:17

こういうのタダで、しかも家で読めちゃうんだから、読むといいと思う。「舞台芸術の公共性と国際性をめぐって」というタイトルで、国際共同制作について、海外のフェスティバルについて、劇場法や今後の演劇界の在り方について、対談されています。

劇場法に関する説明がとてもわかりやすかったので、一部ここに転載しておきます。「劇場法って何?」って人も、ここだけ読めばだいたいわかる。話し言葉ベースだからとりわけわかりやすいよ。

p14~16より抜粋

平田 昨日は、演劇論の話と公共ホールの政策の話、両方しなくてはいけなくて、さすがに少し時間切れの印象がありましたので、補足をさせていただきたいと思います。

恐らく、早ければこの秋の臨時国会で劇場法というものが制定されると思います。図書館には図書館法というのがあり、博物館や美術館には博物館法というのがあって、司書とか学芸員という、そこに働く人々の規定もあるわけですけれども、日本では劇場に関しては何をもって劇場とするかという法律はなく、今、法律がないまま拠点助成という多額の資金が公共ホールに向けて出されているというのが現状です。

これを、劇場というものをきちんと規定して、制度化し、支援の体制を整えていこうというのが劇場法の趣旨だと思います。これは別に僕が提案しているわけではなくて、主に中心になっているのは芸団協だと思いますけれども、私も内閣官房参与の立場でお手伝いをさせていただいています。

昨日の午後のセッションでも意見が出たそうなんですけれども、私たちはこの点においては後発国ですから、後発の有利さを利用して、ドイツ、フランス、イギリス、その他さまざまな国の制度を研究して、一番いいシステムをつくっていくべきではないか。それから、劇場だけが単独で何かを成し遂げられるわけではないので、助成金のシステム、寄付税制のシステム、教育のシステム、そういったものを総合的に改変していく必要があると思います。

劇場のあり方については、今日のテーマとも関連しますが、恐らくフランスの国立演劇センターのシステムに一番近いものが想定されるのではないか。要するに地方の公共ホールで作品をつくり、それをお互いに買い取ることによって、東京資本に頼らずに演劇を回していくというシステムをつくりたい。一方で、フランスは中央集権過ぎるところもありますし、あれはフランスという非常にエリート社会を前提にしたシステムなので、日本型のアーツ・カウンシルのようなものをつくって、そこが評価や助成の選定をしていくべきなんではないかと思っています。

それから、当然、芸術監督とか専属プロデューサーというものが設置義務、とまではいきませんが、設置基準になっていくと思います。ここに対する懸念の声も多く聞くんですけれども、まだ日本では芸術監督というと、鈴木忠志さんとか蜷川幸雄さんとかああいうイメージがあって、なんかすごく偉い人と思われていると思います。けれども、フランスの芸術監督は本当にチャラチャラしてて、早ければ20 代の後半、だいたい30 代でなるものなんですね。40 過ぎて芸術監督になってなければもうなれないと思います。いつも、候補は5人ぐらい決まって、40いくつの国立演劇センターがありますから、だれがなるか、みんなうわさ話をするわけです。そういうのはみんな好きですから。そうすると、45 ぐらいで初めて候補になったとしても、「いや、でも、あいつもう45 でトシだからな」、これ実際によく交わされる会話です。日本では信じられないですね。45 っていうのは芸術監督として多分若いという印象が皆さんあると思うんですが、全く逆なんです。フランスの場合には、初めて芸術監督になるには45 はもう年寄り過ぎるんです。

ただ、それを支えているのに、非常に優秀な劇場専属のプロデューサーがいて、大抵怖いおばさんなんですけど、金庫番みたいな人ががっちり財布は握ってて、相当アホな芸術監督が来ても、思い切ったことができると。3年やってだめだったら変えればいい、くらいの存在なんですね。

これまたドイツはちょっと違って、芸術監督の権限が非常に強いですし、アドミニストレーションの能力もないとできません。誤解があると思うんですけど、芸術監督は演出家出身とは限りませんから、ドラマツルグ出身だったり、制作出身の芸術監督もたくさんおります。芸術監督というのは非常に強い権限を持って、すべてを支配するという印象があると思いますけど、これも国によって全く違うわけです。ですから日本に合った芸術監督制度をつくっていけばいいと思います。

例えば、私もかかわっている埼玉県の富士見市にあるキラリ☆ふじみでは、今回、東京デスロックの多田淳之介君という32~33 歳の若い芸術監督を市民が選定しました。私が選定したわけではなくて、市民の方たちが選びました。これは彼がずっと劇場で契約アーティストとして働いてきた実績を評価して選んだわけです。それ以外にも宮崎県立芸術劇場には永山智行さんという若いプログラム・ディレクターがいたりとか、そういったことが日本の地方の劇場でも実際に、すでに起こってきているんです。

ですから、そんなにすごく年をとってからなるものではないと。ちょっと話が長くなって申し訳ないんですけど、若くでなった方がいいと思っているんです。僕は、学生とか若い演出家たちによく言うんですけど、20 代後半で2億円も事業予算渡されて、それを全部自分の芝居につぎ込むというような勇気のある演出家はいないですよ。そうすると自分の好き嫌いだけではなくて、地元の人たちにどういうお芝居を見せたらいいかをそのときに考えるわけですよ。

僕でさえも――僕でさえもと言うとなんか偉そうに聞こえるかもしれませんが――富士見市の芸術監督になって、随分見て回りましたね。二兎社とか加藤健一事務所とか、普段は知っている役者でも出てなければ見に行かないところも見に行って、呼んで、大衆性とか先進性とか実験性とか国際性とか、いろんなバランスをとった1 年間のプログラムをつくるのが芸術監督の仕事なので、若いうちに責任と予算を任されないと、そういう感覚は育たないわけです。要するに、それが公というものの感覚だと思うのです。

日本では年とってから芸術監督になるものですから、そうなっちゃうとしがらみがあって、せっかく芸術監督になったんだから、あいつも呼ばなきゃ、こいつも呼ばなきゃってなっちゃって、市民の方に顔が向かなくなってしまうんじゃないかと。ですから、芸術監督というのはそんなに重たい職業ではなくて、若い、フットワークの軽い人間がなる職業だとお考えいただくといいんじゃないかなと思います。

もうひとつは、よく地方に行くと、「劇場法ができたら、地元の劇団はどうなるんですか」とか言われます。でも、例えば、名古屋で中日ドラゴンズとかグランパスが優勝できるのに、先発メンバー全員名古屋出身じゃなきゃ嫌だっていうファンはいないと思うんですね。監督だって外人でもいいわけでしょう。要するに勝てばいいわけですよね。

演劇で勝つということは、いい作品をつくって、それが市民、県民の誇りになるということだと思います。それは、その地域の出身者が入っているに越したことはないですけど、フランスの国立演劇センターでも、その地域出身の人間が芸術監督になるということは非常にまれですし、俳優もみんなパリに住んでいるわけです。ただ、その中に、例えば近所の村出身でパリのコンセルバトワールを出たとかっていうのが1人でも入っていると、それは地域の人は喜ぶわけですけれども、その程度のものなわけです。

では今まで頑張ってきた地域の劇団はどうするかというと、これはやはり、私たちは受益者サイドというか、消費者サイドの視点でものをつくっていかなきゃいけないわけですから、税金で作品をつくるためには最高のクオリティのものをつくらなきゃいけない。そこにはきちんとした競争と淘汰がなきゃいけない。一方で、でも、やっぱり演劇は続けたい、地域で演劇を続けたいという人たちには、教育、社会教育を含めて、そういった場所で活動してもらうという方向を考えたいと思っています。それを進めているのが、もうひとつのコミュニケーション教育における演劇教育の制度です。これは来年度からもう予算がついていて、来年度は試行ですけれども、再来年度から本格
的に始まります。

来年度は2億円の予算ですが、最終的にこれを200 億円まで伸ばしたい。そうすると、僕の試算ではコミュニケーション教育で5000 人。簡単ですね、200 億円を5000 人で割れば1人400万円です。食べていけますね。天下りを排除して、直接的にアーティストにお金が渡るようにすれば、それは十分に可能なことなんです。そして劇場で5000 人。合計1万人の演劇人の雇用を確保したい。要するに、近代演劇が始まってから約90 年、日本の演劇人が初めてプロ化していくということです。しかし、プロになるためには競争と淘汰が必要です。いや、それは嫌だっていう人も多分いると思います。今の状態の方がいい。それも一理あると思うんですね。今の何となく仲良くやっている方がいい、というのも。

ただ僕は、やはり文化予算全体を増やすためには、もう一段きちんと競争と淘汰があって、公的な視点に耐えられるような制度設計が必要なんじゃないかと思います。それはもう、皆さん、事業仕分けを見てよくわかったと思うんですね。今のままでは事業仕分けに耐えない状態になっています。ですから、コミュニケーション教育と劇場法を車の両輪にして日本の演劇をプロ化したい。演劇人は、今までは貧乏に強いとか、我慢強いとかっていうので生き残ってきたわけですけど、そうではなくて、きちんと競争と淘汰によって生き残っていけるシステムをつくりたいということです。

では、劇団への助成はどうなるかということです。昨日は、ピーター・ブルックとかの例を出して、どうしても劇団でしかいられないところがあると言いました。フランス国家は全盛期にはピーター・ブルックをパリにとどめておくために年間4億とか5億、使っていたわけですけど、それでも十分ペイしたわけですよね。そういうところは別にして、やっぱり若手に人材育成という形でお金を出すべきだと思っています。これは今のように公演単体に助成金を出すのではなくて、奨学金に近い形で、将来性のある演出家には年間200 万とか300 万とか、少なくともアルバイトをしなくても生きていけるぐらいのお金を出すと。僕はこれは、ばらまきでもいいと思っています。そのかわり年齢制限をきちんと設ける。35 歳までとか、10 年以内とか。セゾン文化財団がやっているような方法です。

これは海外公演も同じです。これが今日の話題のひとつになると思いますけど、今は文化庁からお金をとって行けば、とにかくだれでも海外で上演できる状態です。だれでも、何度でも行けます。これはやっぱりおかしいですね。例えば、2回までにして、3回目以降は先方の資金と見合った額の資金援助を、国もする。要するに、向こう側がちゃんとお金を出しているのかどうかということが大事です。そういった選定基準をしっかり設けていくことが大事なんじゃないか。

そうすると、35 歳までは若手の育成、その後、演出家は淘汰されて芸術監督になっていきますから、年収300 万とか400 万が保障される。そういう階層化が可能なんじゃないかということです。

大体考えているのはそんなことです。

できればPDFをダウンロードして全文読んでみて下さい。平田オリザと岡田利規、どちらも海外での活躍が目覚しい二人だけあって、視野が広く、勉強になります。

劇場法に関する平田オリザの発言は、こちらも併せて読むことをオススメします。