PLAYNOTE コーヒーと核兵器の朝

2010年08月06日

コーヒーと核兵器の朝

[雑記・メモ] 2010/08/06 07:43

半年ぶりに実家に戻っている僕は、ご飯に納豆、明太子、温泉卵、味噌汁にコーヒーという朝食をとった。統一感がないように見えて統一感がある。我が家的には。ご飯と納豆と味噌汁とコーヒーが並ぶ食卓は、本当に何でもない実家の日常をよく表している。忙しい中で作る我が家らしい朝食は、平和の匂いがする。

一方、8月6日は原爆記念日であるからして、朝からニュースで原爆の映像やら被爆者の語りやらが放送され続けているが、僕には無力感ばかり垂れ流されているように感じられる。

戦争反対。Make Tea Not War. War is over, if you want it. そんなことは誰でも思っていることだ。

できることなら平和より戦争をしていたい、という人間はそんなにたくさんいないのはわかっている。武器商人や一部の頭はちきれた軍人、政治屋、一握りの人間には戦争万歳な人種もいるが、そいつらだって金が欲しいだけであって、戦争こそ生き甲斐みたいな偏執狂はそんなにいないんだ。

だけど、「まぁ、しょうがねーから」で戦争は始まる。まぁ、しょうがねーからな。

いい加減、戦争の悲惨さを全力で訴えられても、僕には少し食傷気味だ。日本のように義務教育の間ずっと反戦教育をやっていれば、たいてい誰でも「戦争は良くないと思います(`・ω・´)キリッ」くらいのことは思っている。アメリカさんだってアラブさんだってそうだろう、でも戦争がなくならないのは、僕らが未だに、何も知らないから、である。戦争の悲惨さは十分にわかった。しかし、じゃあ、どうやったら戦争がなくなるのか、ということについて、誰も知らない。何も知らない。カントでもアインシュタインでもジョン・レノンわからなかった。

カントは最晩年に『永遠平和のために』という著書を残していて、その中で「常備軍の撤廃」を訴えた。常備軍の存在自体が隣国にとって驚異であり、その結果、軍拡は続き、驚異自体が開戦理由になるのだ。だから、必要なんだ、「常備軍の撤廃」。でも、そんなもん無理だって、と、世界の誰もが、憲法九条の国である日本人だって思っている。カント残念。まぁ200年くらい前の人だしな。

闘争は人間の本能であるばかりか、発展の原動力でもある。受験戦争も開発競争も、ワールドカップの選抜争いも、どれもベクトルの方向性が違うだけでエネルギーとしては人を戦争に駆り立てるもの、競争に勝ちたい、人に劣りたくない、というのと同じものだ。「戦争したい」欲求は絶対になくなることがない。

そこで少しひねくれて「仕方がないさ」と開き直るシニカルさ、あるいはニヒルさを、僕はカッコいいとも賢いとも思わない、むしろ現状への負け犬が理屈の上だけでもプライドを守ろうとしている(これも闘争本能の一種だ)と思うから、「何とかして絶対戦争なくそうぜ!! 兄弟!!」と言い続けていたいが、やはり手段がさっぱりわからない。アメリカのアフガニスタン侵攻にしたってイラク戦争にしたって俺は未だに全然承認してないんだが、じゃあ当時どうしていたらあのイジメみたいな戦争をせずに済んだのか、わからない。全くわからないんだ。

俺だってやっぱり、ご飯と納豆と味噌汁とコーヒーが並ぶ朝の食卓に、突然兵士が乗り込んできてカラシニコフでも乱射されたら、包丁とお鍋の蓋を手にとって立ち上がり、アバンストラッシュ的な必殺技で、そいつらを殺してしまうだろう(俺は主人公補正がかかっているのでまず殺されない。ラッキーに勝利する)。そうして勝利の声を上げた俺のことを、今度は彼らのために朝食を用意していた人たちが殺しに来る。一人が二人になり、二人が四人、四人がいずれ何万人になり、全国のコーヒーの朝は、いつか核兵器の朝になる。

戦争の悲惨さなんかもうよくわかっているんだし、ひとりぼっちの人間が闘争本能に抗えないのだってよくわかる、だから多分、もっと大きな意味でのルール作りや常識作りが必要なんだ。残念ながら、僕が盗みもせず殺人もせず強姦もせず生きているのは、道徳心ゆえというよりは警察コワイの一心である。

でも僕は警察が大っ嫌いだ。どんだけくだらないことで、あいつらにイジメられたことか。例えば国連が強大な軍事力や一方的な開戦権とか持ち出したら、それはそれでまた新しいイジメが始まるだけだろう。それに、世界で共有できる法律なんて作りようがないだろう。旧約聖書はユダヤ教、キリスト教、イスラム教など全世界の大半の人にとって聖典だが、あれ暴力と復讐だらけだし。そういうことなのか?

結局わからないので、今朝のテレビと同じように、解決策がわからないまま、「戦争は良くないと思います(`・ω・´)キリッ」なんて言ってるのが関の山か。歯がゆい。如何とも歯がゆい。

原爆で命を落とした方々に心から追悼の意を表します。無意味だけどな。