PLAYNOTE マリウス・フォン・マイエンブルク作『醜男』

2010年07月14日

マリウス・フォン・マイエンブルク作『醜男』

[公演活動] 2010/07/14 11:03

某筋からご厚意でご招待頂いた&ちょっと会っておきたい方がいたので観に行った。世田谷パブリックシアターにて。

作者のマリウス・フォン・マイエンブルクは、ドイツ演劇界のホープとして最も期待される若手劇作家です。『醜男』は3年前に発表され、ヨーロッパで大ヒットし、再演を重ねています。

だそうです。僕も名前はよく聞きますが、長いのでその度に忘れていました。だが、多分もうこれで忘れやしません。名作過ぎました。

主人公は目も当てられないほどの醜男であるレッテ。形成外科手術で人生は一転、女なら誰もが寝たがるほどの美男子に生まれ変わる。最初は戸惑っていたレッテだったが、やがて彼は内面まで生まれ変わったかのように、高慢になり、横柄になり、怠惰になっていく。金だけは儲かる。

やがて、彼の手術を担当したい者は、レッテに施したのと同様の外科手術を多くの人間に向けて売り出していく。美しくなったレッテと同じ顔が世間のあちこちを歩き回るようになり、妻ですら見分けられない。それどころか、かつてはレッテの内面を愛していた妻は、今や気持ちをレッテの顔に乗り換えており、他のレッテ顔の男たちと関係を持つようになる。

え、SFですか? 不条理ですか? SFと不条理を内包したコメディでした。とにかく大変よく笑った。世田谷パブリックシアターの広い客席で、周囲にはばかることなく笑えるというのはすごいことだ。はばかる必要はない、だって周りもげらげら笑ってるんだもん。

脚本は見事の一言。約85分と短尺ながら、怒涛の展開、台詞の妙で惹きつける。わかりやすくって、笑えて、だけど知的な、よくできた本だった。

その脚本の良さを引き出したのは、河原雅彦のスタイリッシュでスピーディーで笑いに満ちた演出であった。河原さんと言えばやっぱりハイレグジーザスなイメージなので、泥臭いと言うかバタバタした演出を想像していたのだが、シンプルな舞台美術を抽象的に使いながら、立ち位置・置き道具の位置・カットチェンジの照明変化で次々とシーンを展開させていくまさにスタイリッシュな演出で、正直意外ながら完璧な演出である。イスが四つとテーブルが二つあるだけなのに、屋上から飛び降りるシーンなんかでは緊張感さえ漂わせていて、まさに演劇的な演出。

そしてあの笑いの多さ。この脚本を頭の硬い奴が演出したら、きっとまるで正反対に、じめっとした、深刻ぶった、つまり難しそうでつまんない」お芝居になっちゃうと思うんだ。観てる方も「顔とは人間のアイデンティティーと直結したものであり云々」とか考え出しちゃうし。しかし河原演出は、戯曲の抉り出す問題を笑いの中に誤魔化して見えなくしちゃうようなことはしないものの、最後の最後までそれを貯めておく。最後の最後までは気楽にへらへら見ていて、クライマックスに差し掛かる頃、急にぞくっと悪寒を誘うグロテスクを見せてくれた。見事な演出であった。

出演者陣も実にいい仕事をしている。戯曲が面白くて演出のセンスがよくても、俳優に技量と愛嬌がなければ笑いなんて取れないものだ。山内圭哉氏は安定感すら感じさせるボケと間合い、朴訥としたキャラが素敵。内山理名嬢はこんなに上手いとは思ってなかった! すみません。でも、三役くらいのキャラクターをまさにカットチェンジするように切り替えていき、コミカルに妻のコケティッシュを戯画化したかと思えば、手術のシーンなんか凄みもあったし素晴らしい。入江雅人氏の洒脱な演技も、全体の空気を支えていた。

そして舞台美術と照明が見事であった。照明が仕込まれた透明アクリルの床と、正方形をマス目のように並べた壁面だけのセットなのだが、ライティングとの相性が実にいい。硬質で冷たい表情を見せることもあれば、ふっとなごむ瞬間もあって、セットを活かした演出・照明であった。映像まで絡めてくるとは思わなかったけれど、映像の使い方も斬新だったな。ト書きをそのまま映写するというのは初めて見たが、実にぞっとする効果を生んでいた。電気メスを渡す。フライス盤で削る。ファニーはそうする。エトセトラ。

よかったんだ。