PLAYNOTE 三谷幸喜監督『ラヂオの時間』

2010年07月14日

三谷幸喜監督『ラヂオの時間』

[映画・美術など] 2010/07/14 10:46

十年ぶりくらいに見返したが、今見ると色褪せている。ファッションとか生活スタイルとか。だのに笑える、だのにぐっとくる。やっぱり名作でした。

この頃の三谷さんにはモノ作りに関する話がとても多いのだよね。『SHOW MUST GO ON』もそうだし『笑いの大学』もそうだし、これもそう。十年前には憧れだったモノ作りの世界にいる僕は、まだまだぺーぺーであるとは言え、西村雅彦演じるところの牛島の言うことがよくわかる。

脚本をボロボロにされて、「名前を載せないで下さい」と叫ぶ作家に対して、牛島は、

「我々がいつも満足してスタッフロールの名前を見てると思ってるのか」

と切り返す。

この二人の議論は平行線だ。片や芸術でメシ食ってる人間、片や芸術で心を癒している人間。どっちも正しくてどっちも間違ってる。「いいもん作りたい」と「金にならなきゃしょうがない」の間で引き裂かれそうになっているだけ、この現場はマシなんだろう。「言うても金ですがな」みてーなものは、もはやあんまりありふれていすぎて話題にするのもおこがましい。

とにかく、伏線の撒き方と回収の仕方がまさに職人芸と言う他ない。一体どうやったらこんな話を書けるのか、と、素人のような疑問・感銘を抱いてしまった。自分の願望や夢を作品に投影し、自分の満足する作品を作りたいと思っている鈴木京香演じるところの作家と、プロデューサーやスポンサーの要求や人々の顔色を伺ってモノ作りをしている牛島、二人の対照的な人物を置いておきながら、どちらにも過度に肩入れしていない。冷静かつ客観的なのである。きっと、三谷さんの中にはどちらの観点もきちんとあって、作品を書いているのだろう。

さんざん笑いをとって最後はちょっとほろりとさせて、そうしてエンドロールとテーマ曲、なのだが、ここで三谷はもう一度舌を出す。エンディング・テーマが、あまりにもバカバカしい……。「千本ノッコさえ満足してくれればいい」と断言する編成部長の堀ノ内修司というキャラクターがいるのだが、そいつをそのまま歌にしている。演歌調で。感動的に収まっちゃうのも、お洒落に収まっちゃうのも恥ずかしかったんだろうなぁ。洒脱なラストであった。