PLAYNOTE 東浩紀『動物化するポストモダン』

2009年07月05日

東浩紀『動物化するポストモダン』

[読書] 2009/07/05 16:26

オタクについて考える本でも、ポストモダンについて考える本でもない。オタクの消費行動が示す文化状況や、ポストモダンの概念を用いて、現代の日本社会をわかりやすく「哲学」する本である。

いやー、名著だわ、これは。わかりやすいのに話題としては随分奥の方まで突っ込んでいる。オタク文化について詳しくない人でも、ポストモダンとか全然興味ない人でも、最後には筆者が「動物化するポストモダン」と呼ぶ状況に気づくことができる。

ポストモダンとは、ポスト=次、モダン=近代、つまり「近代以降の時代」のことを漠然と示している言葉だ。「近代以降の時代」とは、具体的には1970年代以降くらいを指す。「くらい」と書いたのは、まぁそもそも曖昧な概念だし、日本におけるポストモダンと、アメリカにおけるポストモダン、あるいは文学におけるポストモダンと、音楽におけるポストモダン、あるいは建築におけるポストモダン、それぞれちょっとずつ違うから。

「近代」とは何だったのか、を考えると、ポストモダンはよくわかると思う。近代とはつまり、数々の市民革命やら技術革新を経て、理性的で主体的な個人というものが現れた時代のことだろう。両大戦が終わり、かつ資本主義VS共産主義の対立も終わって、近代という時代が終わった。そこでは人間は「大きな物語」を失い、新たな価値基準や考え方を必要としている。

そこでオタクに注目する、という点がまず面白い。オタクは偶然の産物なんかではなく、ポストモダンの社会状況に適合した新人類である、というわけだ。

東は「データベース」と「シミュラークル」という用語を用いて、オタクの消費・購買状況を分析する。「シミュラークル」とは、オリジナルでもコピーでもない、その中間形態のことを指すという。オタク文化の場合、二次創作やパロディがこのシミュラークルに該当する。

え、じゃあそれってつまりコミケが流行してるとかそういうレベルの分析? と思えばそうではない。現代においてヒットしているサブカルチャーの商品は、どれもがシミュラークル的であるというのだ。キャラクターたちは皆が一様にどこかで見たような特徴を持ち、やれメガネっ娘だ、やれ知的クールだ、やれメイド服だ、やれツンデレだ、どれも血の通った人間というよりは「萌え要素」を適切に組み合わせたパズルのようである。そしてオタクは物語よりキャラクターで物を買うから、キャラクターこそが作品のアイデンティティになる。物語は弱くなり、どこかで見たようなお話ばかり、つまりこれも既存の物語の引用だったりパロディだったりシミュラークルだったりが増えてくる。

シミュラークルによる作品創造の形態が定着する背景には、オタクたちが共有する「データベース」が想定できる。かつては「ツリーモデル」によって作品は解説できた、作品を読解することで作者の意図や主題に迫ることができたが、現今の流行を解析するには、一人の作者を追いかけるよりむしろ、作品の背景に存在している膨大なデータベースを読解する方に意義があるという。

この辺は、最近のサブカル、演劇、あるいはテレビドラマなんかを他人事ではなく考えている自分としては、非常に頷ける。要はすべて組み合わせなのだ。そして作者の言葉で言えば「物語消費」を終えた人間が「データベース消費」にゆるやかに移行している現在では、強い物語がある作品より、強いデータベースに支えられた安い物語の方がウケる。コンテンツ志向とコミュニケーション志向という言葉も作者は使っているが、それはつまり、

コンテンツ志向 …… 物語に感動する
コミュニケーション志向 …… 物語をコミュニケーションの材料にする

という違いである。例えば「かわいー」という言葉、これは、「私はこれが可愛いと思う」という意味ではなく、「かわいー」とつぶやくことで、同意を得られるかも、話題が広がるかも、というコミュニケーションを志向とした言葉だ。オタク文化を分析してみると、物語よりもデータベースに興味を持つ傾向が、コンテンツよりもコミュニケーションに興味を持つ傾向が見えてくる。

これは、モノづくりをしている人間は、読んだ方がいい。

動物化という言葉について。めんどうくせえから適当に書くけど、
人間……他者や環境と闘争しながら欲求を達成
動物……他者や環境に調和する
大きな社会変革があった19世紀~20世紀、彼らはその闘争を人間的なものとしてむしろ誇りに思ったが、今の社会に闘争はない。いるのは動物である。即物的に、コミュニケーションも必要とせず、欲求を解消しようとする。

オタク文化に象徴される非物語のコンテンツはこの先も増加する。動物化する社会という状況も加速する一方だろう。そういう危機感を感じながら生きている、モノづくりをしている自分にとっては、大変面白い一冊だった。もう一回読み直したいくらい。

一方、続編の『動物化するポストモダン2』は、一冊目ほどの衝撃はなかったかな。一冊目がオタク文化が跋扈する日本社会のポストモダンを分析する本であるのに対して、二冊目は文学論としてオタク文化を評論する内容で、いやいや文学の変化を考える上では面白い本なのだが、文学にもオタク文化にも興味がない人にはピンと来ないかも。