PLAYNOTE 損保ジャパン東郷青児美術館『モーリス・ユトリロ展 -パリを愛した孤独な画家-』

2010年07月03日

損保ジャパン東郷青児美術館『モーリス・ユトリロ展 -パリを愛した孤独な画家-』

[映画・美術など] 2010/07/03 00:10
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モーリス・ユトリロ『ラパン・アジル、モンマルトル』(1914年)

明後日までで終わってしまうと思い出して、押っ取り刀でばたばたと東郷青児美術館へ行ってきた。敬慕する画家、モーリス・ユトリロの特別展。ユトリロ展には2002年にも2006年にも行ってるんだが、90点余りが「すべて日本初公開」との触れ込みで、期待高まる。

画家としての修行時代と呼んでいい「モンマニーの時代」から数点、自分自身の手法と天才を発見し、それを全部酒代変えて安く叩き売るという形で思いっ切り空費しながらも偉大な作品を多々残した「白の時代」からやはり5~10点、残りカスと言っていい「色彩の時代」から残り70点近く、という構成で、「やっぱりなぁ」と多少落胆しつつも、久々に生で見るユトリロはやはり良かった。

初期ユトリロの特徴は、漆喰や砂、卵の殻まで混ぜ込んで作った重厚なマチエールだ。彼の筆遣いが、一筆ごとにすべて見えるような気さえする。だから、絵の前で足を止める度ごとに、数十年前にこの画布の前に立っていたユトリロの姿に思いが飛んで、胸がじんわり熱くなる。

やはり「白の時代」が段違いに良かったが、それでもユトリロは晩年でも時たま思い出したように名作を描くから油断できない。特に、やはり白という色の使い方については、自分の知り得る限り最もセンチメンタルで、最も孤独で、素晴らしい深みを持っている。後年のユトリロはむしろ緑や赤といった強い色彩をキャンバスに乗せることに喜びを感じていたようだが、しかしそういったみずみずしい色よりも、あのちょっとくすんだ白の方が、何よりも深く雄弁であるというのは何とも皮肉だ。

ユトリロは、白という色を最終的にはあまり好まなかったのかもしれない。「白の時代」に彼が描いた深い白の中には、孤独や悲しみが封じ込められている。アル中であり、私生児であり、バカでニートで母親の愛に餓えていたユトリロの、孤独や悲しみがそっくりそのまま閉じ込められている。そういう色見を出すこと、そういうマチエールの疾患を出すことは、簡単なことではない。漆喰を砕き、砂を混ぜ、朝食に食べた卵の殻まで取っておいて絵の具に混ぜる、絵筆だけでなくパレットナイフや指まで使って塗る、そういう手間がかかるものだ。

それは、遊びや趣味としてやるのであれば何の負担にもならない、むしろ楽しい手間暇だが、後年の彼は、自分の母親と彼女が抱える若いカモメに搾取され、実際に監禁されながら、「白の時代の作品は売れるから、同じものを描け」と言われて描き続けた。自分の作品のコピーを延々と。そういう時代に描かれた「白」は、やはりどこか味気ないし、薄っぺらい。文字通り薄っぺらいのだ。だってもう、その絵の具には漆喰も卵も砂も混ざっていないのだから。

後年に彼が描いた絵は、素人目に見てもあまり時間のかかっていない、ささっと仕上げた作品が多いように思える。厚塗りのマチエールは影を潜め、水彩画と言われても驚かないような薄い色使い、奥行きのない構図、一筆なでただけの赤や緑。この赤や緑には執念がない。「きれいだから置いた」くらいの興味しかない。苦心して創り出したジンク・ホワイトと漆喰の白にあった深さはない。

ただ、晩年になって、彼はそういう「ささっとした創作」を楽しんでいた側面があった、と軽々しく指摘するのは、あんまり正鵠を射ていない気がする。むしろもう一度、あの白に向き合うことが苦しかったんじゃないかな。あの白に向き合うということは、自分の孤独や悲しみにもう一度目を向けることだから。ささっと赤や緑を置いて絵が売れちゃうんだから、そりゃそっちだよ。客はバカだから、「ユトリロ」ってサインが入っていれば、買っちゃうわけだ。

確かに彼はちょっと過大評価され過ぎだったのは事実だろう。エコール・ド・パリの画家の中で、日本人にはブッチギリの人気を誇っているが、世界の美術史的に言えばそれほど重要な画家ではない(と思う)。だけど、彼にとって何より不幸だったのは、客は異口同音に「すばらしい、すばらしい」と言って大金を置いていく、画商も「すばらしい、すばらしい」と言って飛びついてくる、だけど母親と妻にはずっと、ずっと、最後まで、まともに評価さえしてもらえなかったということだろう。母親もお金になるから描かせていただけで、妻もお金になるから描かせていただけで、誰も彼の白をきちんと見る者がいなかった。遠い国の批評家の中には、彼の白を評価する者はたくさんあった。だけど、彼が最も承認欲求を感じていた対象である、母親と妻は、やはり最後まで彼の白をただお金に交換できる色としてしか見ていなかった。

彼の白は、彼の孤独と悲しみが深く深く染み込んだ色だった。

* * *

話の舵を切って、もう少しだけ。

僕が美術というものに具体的に興味を持った切っ掛けは、このユトリロだった。大学入った頃くらいには背伸びしてあちこちの美術展とか行った覚えがあるけれど、そもそも絵の見方がわからないので何が面白いんだかさっぱりわからない。「自分の見たいように見ればいいんだよ」というのは馬鹿を甘やかすだけの言葉だから信用しちゃダメだ。映画だって漫画だって演劇だって、ただ見てもそりゃもちろんそこそこは面白いけど、そのアートとしての性質を理解し始めると、もっともっと面白く見れる。

で、何だかわからんままにあちこちの展覧会とかに行っていたんだが、確かそれって「印象派展」とか「20世紀ポストモダンのアメリカ」とか、そういう寄せ集め点だったと思うんだ。それももちろん時代性を見る企画展なんだけど、これはもう美術史の知識がないと面白くない。だけど、ユトリロの展示が面白かったのは、一つにはまずはっきりと画風の変遷が素人にもわかるほどはっきりと感じられたことと、その変化が個人史に結びついて語られていたこと、そしてその個人史が言葉にできないくらい面白かったからだったんだろう。面白かった、戯曲にしちゃうくらい面白かったんだ。

一度、そういう「変化」がわかるようになって、しかも一人の画家をきちんと見るようになると、他の画家の見方もわかるようになってくる。絵画における、写実と抽象の意味だとか、題材や構図の持つ意味だとか。時代性がわかると革新性もわかる。印象派とか、今見て面白い絵だとは思わないけれど、確かにそれまでの古典主義な画壇と比べると、目が飛び出るほど違いがわかる。

そういう意味でユトリロはマジで初心者入門者向けの画家なんだろう。一度ユトリロの画業を把握してしまえば、そこからじゃあ印象派との比較にも行けるだろう。モンマニーの時代の作風は、そのままコローとかシスレーとか印象派とかバルビゾン派と比較したら面白いし、色彩の時代に時折見られる乱暴な色使いやデッサンのデフォルメは、野獣派や表現主義と一見似たように見えるけど明確に志向性が異なることが見えてくる。ユトリロは、がっつり写実主義の画家と比べれば随分と印象派寄りで、自分の主観に正直だけれど、野獣派とか表現主義ほど抽象的でも実験的でもない。要は、写実と抽象がの間で、ちょうどいい位置にいる画家だ。

いや、いきなりシスレー見て「この絵の具の置き方、光彩を捉えていて見事だ」とか、いきなりゴッホ見て「この色使い、画家の内面が投影されていて興味深い」とか、ビンビンきちゃう生粋のアーティストにはそういうプロセスは不要なんだろうけど、少なくとも僕のような「絵とかほとんど興味ないです」「は? 何でこの落書きにウン千万、ウン億円払っちゃうの? 馬鹿なの?」と思いながら生きてきたようなパンピーには、いきなりファイン・アートの一番アヴァンギャルドなところ見せちゃダメなんじゃないかな。印象派は素直に見れるけど、その分、絵画の持つケレン味や大胆不敵さを伝えるにはちょっと素直過ぎる気もするし。

ユトリロから絵画鑑賞を出発した自分は、ラッキーだったと思う。

* * *

ユトリロに限らず、どんな画家でも、やっぱり複製画やポストカード、ましてやネット画像だと良さが全く伝わらないのが残念だ、と書きかけて、いやそれはラッキーでもあるのだな、と思い直す。簡易複製の無限連鎖でデッドコピーがいくらでも流出してしまう現状では、塗り方や微妙な色使いに文字通り「厚み」のある油絵は、あと百年経ってもやっぱりオリジナルが一番よくて、それを見るために美術館は生き残るんだろう。

ただ、それすら複製可能になったとしたら(技術的には十分に想像可能だ)、やっぱり美術館にも行かなくなっちゃうんだろうな。美術館行くのは確かにかったるいけど、アナログレコードに針を落とす楽しみを知らなかった僕は、そういう不自由さに少し憧れてもいる。だけど今さらアナログ盤を揃えるほど音響マニアでもないし、もうCDですら音楽を聴かない、MP3で十分だ。

とかいうことを最近どうしても考えてしまう。iPadが出て、ロボット演劇が現実化する昨今だものね。Macとイラレとフォトショップを渡したら、ユトリロはどんな絵を描いただろうか? 描かなかったかもしれない。彼は多分、絵の具をいじくること自体がまず、楽しかったのだろうから。

コメント

投稿者:hanna (2010年07月03日 07:59)

こんにちは。おひさしぶりです。
ユトリロといえば谷君のことをいつも思い出すhannaです。

私も明日、最終日だけど、ユトリロ展に行く予定です。
展覧会に行く前に谷君のレビューが読めてよかったです。

久しぶりついでに
谷君へのオススメの展覧会が2つあります。

①猪熊源一郎展いのくまさん(オペラシティ 7月4日まで)
→絵本をそのまま展覧会に。
 建築家がデザインを手がけた展示室は駄菓子屋さんのイメージ
 ダンボールとビニールの空間がとってもかわいい

②建築はどこにあるの?(東京国立近代美術館 8月8日まで)
→舞台芸術でも評価されている建築家がインスタレーション出品
写真撮影OK。ブログ掲載OKという点でもめずらしい取り組み。
ご希望あれば、招待券用意できますよ~。