PLAYNOTE 深夜の咆哮その2

2010年06月25日

深夜の咆哮その2

[公演活動] 2010/06/25 03:12

世間はどうやらサッカーワールドカップの日本代表VSデンマーク戦とやらを見ているらしい。ハートの中でナポリタンの皿がひっくり返って興奮した子猫が大暴れ中の俺にとっては、対岸の火事っつーか、遠い惑星の宇宙戦争っつーか、隣の家の葬式っつーか、もう何かどうでもいい。非国民になりたい。

どうでもいい土地で延々と井戸を掘り続ける。雑草が生えて空き缶が転がる、去年殺人事件があった他には何の特徴もない、どうでもいいこの土地で、真っ黒い人が延々と井戸を掘り続けている。

ライターズ・ブロックという言葉を手に入れた。「書きたくても書けない状態」のことを、英語ではこう言うらしい。Writer's block. なんか「書く」という行為を脳科学的に考察するおもしれー本を手に入れた。そこに出ていた。

僕は今、また延々と井戸を掘り続けているけれど、こんな土地を掘り続けて一体何になるのか、誰の興味をひくのか、さっぱりわからない。喉元に突き刺さったままずっと取れない小骨なので、いや、そろそろ抜かなくちゃいけないのはわかってるんだ。化膿してぐじゅぐじゅになっているし、そこからただれた肉が食堂を通って胃袋に落ち、体に染み渡っていく。腐った肉が再び血になって体をめぐるってのは、タンパク質のリサイクルかもしれないけれど、唾棄すべき、軽蔑すべき、汚らしい現象だ。

恥ずかしい、とても恥ずかしい感じがする。

さっき、自己催眠というのをかなり真剣にやってみた。いい状態の俳優も、いい状態のサッカー選手も、いい状態の作家も、どれも一種のトランス状態であることは間違いないから、無理矢理に自分の精神を麻痺させてみたんだ。割と暗示にかかりやすい性質なので、インターネットからダウンロードした催眠誘導ボイスに任せて、手足の感覚を忘れて行く。

よく昔、夜中に酒をガンガン煽り、大音量でロックンロールをかけて、一人でヘドバンとかしながら、「俺は天才だ、俺は天才だ、にゃおー」みたいなことを叫んでいた。あれも一種の自己催眠だったんだろう。書くという行為は、特に台詞を書くという行為は、冷静さや計画性が必ず必要だけれど、だけどクールな心では多分一文字も書けない。台詞が固く、乾いてしまう感じがする。一人で脳内エチュードをやっているような状況だ。設定がある、背景がある、登場人物の個性がある。そいつらが頭の中で何度も何度もエチュードをする。どれも、大抵、うまくいかない。どうやったらうまくいくか考えたり、条件を変えてみたり、いろいろするが、結局最後はまぐれ当たりだったりする。

書くという行為は、人間が発明した文化の中で、最良のものだ。と、上に紹介した本の序文で筆者はあえて断言していた。ソシュールは言葉(あるいは名付け)こそ人間の知恵の出発点であり、抽象的思考を可能にしたものである、と喝破したし、事実、人間の智慧の至高のものは今も文章として残っているけれど、先程の本の序文で作者がああも大見得を切ったのは、それは多分、自分自身を奮い立たせる意味合いもあるんだろう。だって、あまりに無意味なんだもの。アンクル・トムの小屋はもう建たない。アンクル・トムは死んでしまう。アンクル・トムはもういない。

社会的な動物になることと、いい作品を書くことはまた別のことなんだろう。トランス状態でスーパーマーケットに買い物に行ってはいけないが、銀行の預金残高を考えながら原稿用紙を埋めることもまた不可能である。気持ちを切り替える? そんな簡単にいくものだろうか。

そうしてまた、執筆に戻ります。……夜食、食おう。

コメント

投稿者: (2010年06月26日 07:02)


投稿者: (2010年07月01日 05:46)