PLAYNOTE ジェットラグ『幸せを踏みにじる幸せ』満員御礼

2010年06月05日

ジェットラグ『幸せを踏みにじる幸せ』満員御礼

[公演活動] 2010/06/05 16:20
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俺の原風景、新宿靖国通り

ジェットラグ・プロデュースが主催で、僕が作・演出をさせてもらった、『幸せを踏みにじる幸せ』、無事全日程終了しました。ご来場頂いた皆様、誠にありがとうございました。わずか4日間という公演日程に押し寄せて下さいまして、結果的には動員率88%という満員御礼公演となりました。サンキュー新宿。

以下、恒例の振り返りエントリーだよ。

主な主題は地下室監禁と自殺っていう、全然キャッチーでもポップでもない題材を選んだ時点で、これ大丈夫かよと不安だらけだったし、全然伝わらない人もいたみたいですが、某T中N子さんの「きっちりダルカラしてた」という一番嬉しい感想をもらえて、自分としても、自分らしい方向性を持った作品になったと安堵しています。

去年くらいから死にたい死にたい言っていた自分ですので、しかも三月には体調壊して演出降板という最悪の事態も経験し、その上ロックアーティストがガンガン死んでる27歳の間際に書いた作品だったので、まず書き上げられたこと、無事終幕したこと事態がある種の「再生」を物語っているように感じてしまう。

ぶっちゃけ、体調不良や精神的動揺、飛んでいくお金、乾きゆく日常、掻き乱される心、走り回るハムスターと、滅茶苦茶な執筆環境にあったので、満足のいかない点がいくつか残ったままの脱稿であったことを白状してしまいたい。だけど、例えば演劇ライターの徳永京子さんのコメント。

夜も凄い芝居を観た。ジェットラグプロデュース『幸せを踏みにじる幸せ』atタイニーアリス。壮絶な祈りと救いと、孤独についての物語。明日、マチソワあり。
http://twitter.com/k_tokunaga/status/15040021998

他にも多くの方から泣いただの生きる希望が沸いただの人生がんばるだの作家冥利に尽きる言葉がもらえたのは、鋼の精神と肉体を持つ玉置玲央という傑物俳優が、その身体の語るリアリティによって、物語空間に文字通り大黒柱として君臨してくれたからに他ならない。出ずっぱり&ずっとセンターという位置取りで、まさに本作品を象徴する俳優であり、舞台美術であり、脚本・演出の精神の具現化であった。

頂いた批判の中に、
「死にたい連中なら、玉置ほっといて死んじゃえばいいじゃん」
というコメントが複数あった。ちょっとこれについては書いておきたい。

自殺しちゃう人の大半って、もうどうでもよくなったから死ぬとか、死ねればそれで満足とか、そういう気持ちではない。なるべく家族に迷惑かけないようにとか、遺体が家族に見つからないようにとか、損害賠償や各種尻拭いが家族に行かないようにとか、そこら辺をとてもナイーブに考えて死んでいく。自殺という現象があまりにも隠蔽されている現代において、我々がギリギリ触れる機会のあるものが「電車への飛び込み(人身事故)」だから、「死んじゃう奴はあとのこととかどーでもいいんだ」って思われ勝ちなのかもしれないけど、厚生労働省の自殺統計によれば、平成15年度における自殺者全体に対する「飛び込み」の割合は、わずか3.6%。登場人物にも、死んだ後のことをひしひし気にしている連中を集めたつもりだったので、「勝手に死んじゃえよ」って意見が散見されたのは、ちょっと意外でした。

この一年、サラ・ケインの『4.48サイコシス』を翻案上演したり、自殺未遂から始まる物語を書いたり、自分自身も自殺念慮に苦しめられたりと、自分の中で自殺リテラシーとでも言うべきものがぐんぐん上がった結果、いろいろ他の人とは見方が違うんだろうなぁなんて感じたりもしました。

結構、このお話を身を乗り出して、あるいは身を浸して観てくれた人には、誤解を恐れずに言えば「弱い人」が多かったように感じる。家族や友人を自殺でなくした人は勿論、他人や自分の弱さに敏感な人が、熱烈な感想を寄せてくれることが多くて、それは今も昔も自分の作風における特徴の一つなんだろうな、と思う。DCPOPの第一回公演以来、ニート、アル中の画家、庶民、精神病患者、チェルノブイリの被爆者たち、監禁少女、ドラッグクイーン、飲尿マニアなど、気がつけば社会的弱者あるいは病者あるいは被害者をばかりチョイスしていた無自覚な志向性というものを、改めて実感したりもする。

* * *

ある日のソワレ終演後、舞台の出来がイマイチで、客席で「うーん」と唸っていた僕は、隣の人が書いているアンケートを横からチラリ覗いてしまった。そこには大体こんなことが書いてある。
「ふだん、映像関係の仕事をしているので、舞台の持つ圧倒的なリアリティや痛みを見せつけられて、うらやましいなと思う、ちょっと、嫉妬している」
思わずその場で声を掛ける、ような野暮天ではないので、ふわりと客席を立って客出しへ向かったのだけれど、真ん中でビシバシされていた玲央くんのみならず、舞台上で七転八倒あれこれと悲嘆や絶望の叫びを上げている俳優たち、そういう演劇を演劇たらしめている一番基本的な要素に、改めて感謝をしたりした。

「演劇のリアリティは俳優の身体からしか立ち上り得ない」
と言い続けてはや三年? 四年? わかんないけど、たぶん小説ではやれないこと、映画にしても面白くないものをやっているんだ、ということに、これからも興味があるんだろう。

* * *

これは谷版『隣の家の少女』ですか? という質問をいくつか受けたが、あんまり関係ありませんでした。着想の元は、スタンフォード監獄実験。普通の大学生を囚人役と看守役に別けて模擬監獄を作ってみたら、いつの間にかみんなマジになっちゃって、ガチンコの虐待が始まっちゃった、という心理学の分野で有名な実験です。映画『es[エス]』のネタ元としても有名ですね。

虐待は、する側もされる側も感覚が麻痺していく、ということが着想の元であったことは確かなんだけれど、二時間という短い時間の中でその些細ながら膨大な心情の揺れを凝縮し切ることはできなかったし、書いてる途中から段々と興味が他にズレていった実感もある。じゃあ何が自分にとっての中心的主題だったのか、と問われれば、ラストの台詞に集約されるんだと思います。

前述の通り、自殺について考え続けた一年を終えて、最後に書いた一行が「生きたい生きたい生きたい」だったというのは、偶然の産物と言えども、象徴的なことである。松岡修造のパロディとかも入ってはいたが、それがまさかこういう形で収束するなんてことは書き出した当初はもちろん考えてもみなくって、偶然とか、巡り合わせとか、そういうものに平身低頭、感謝したい気分です。

ただ一つ言えるのは、生きるも死ぬも偶然だし、生きたいと思うのも死にたいと思うのも偶然で、誰もそれを操ったり導いたりすることはできない、ということだ。とあるお客さんに、「私、死にたい人の気持ちとか、全然わかんなくて」と言われて、じゃあこういうことですよ、って説明してやることもできないし、逆に死んじゃいたいって思ってる人にとっては、生きたいなんてつぶやいてる人の心のからくりは絶対にわからない。さらに、死にたいって思ってる人を心の底から生きたいって導くことは不可能だと思うし、逆もまたしかり。

ただ、どうしようもないってこととはまたちょっと違うのも確か。「お前生きろよ! 生きてろよ!」って言い続けることは、決して無駄なことじゃない。

* * *

プロデュース公演の大変さを痛感したクリエイション作業でした。最終的にはいい空気の座組と現場に仕上がったと思うけれど、じゃあ逆にギスギスしてるけどひたむきな現場を作れるか、と言われれば、ちょっと難しい気もしている。今回は題材が題材だけに、あんまりギスギスしたりコンコンしたりすると本気で心やられちゃうよ、って思ったから、割とガスを抜きながら作っていったけれど、プロデュース公演でありながらギリギリまでギスギスしてだがしかし本気、という現場の誘導をできるようになりたい。難しいだろうけど。

やはり劇団制、あるいはカンパニー制は、必要なんだ、と逆説的に感じもした。でもこれからの演劇創作は、やはりプロデュース性がメインになっていくんだろう。劇場法が通って、その後十年くらい経って、さらに劇場が芸術監督だけじゃなくてカンパニーを擁せる段階になるまでは、プロデュースが主体であり続けるんだろう。プロデュース公演でしかできないこともたくさんある。

だから、プロデュース公演をやるのなら、プロデュース公演である必然性のある作品を、やらなければならないと思う。長くなりそうなので、ここまで。

* * *

以下、頂いた感想など。

CoRich 舞台芸術!
http://twitter.com/komagometonari/status/14962365636
http://twitter.com/Ameri_suzuki/status/14957077305
http://twitter.com/serikurosawa/status/14964379219
http://blog.livedoor.jp/love_sick_baby/archives/65465442.html
http://ameblo.jp/pirorisenpai/entry-10548215363.html
http://personal-ensign.seesaa.net/article/151479509.html
http://personal-ensign.seesaa.net/article/151558682.html
http://twitter.com/k_tokunaga/status/15040021998
http://ameblo.jp/kidtwist/entry-10548538101.html
http://kawahira.cocolog-nifty.com/fringe/2010/05/p-00a3.html
http://inabaya-k.mo-blog.jp/inabayakmoblogjp/2010/05/post_e3e4.html
http://ameblo.jp/shimorix/entry-10547790890.html
http://twitter.com/sea_horse_/status/15090458155
http://twitter.com/shuko_i/status/15297500536
http://twitter.com/hori63/status/15127684172
http://twitter.com/gunzam1969/status/15093106980
http://twitter.com/komako4/status/15308513006
http://d.hatena.ne.jp/kseikaku0801/20100531/1275305803

ご来場、マジでマジでありがとうございました。

この作品を精神のどん底から作り始めて、でも最後の一行を「生きたい生きたい生きたい」で締めくくれた自分は、さぁもう一度けろりとした心で、演劇と文学に命を賭すことができそうです。いい作品書ければ死んじゃってもいいや、という心持ちから、生きていくためにいい作品書こうぜ、って気持ちに、どうにかこうにかシフトできそうな気がしている。

それはどう考えても偶然の産物なんだけれど、やっぱり、偶然は理屈より強いのだ。偶然に感謝し、偶然にキスの雨を降らし、偶然と歌を歌いながら散歩して、生きていきます。