PLAYNOTE 桐生操『世界性生活大全―「愛」と「欲望」と「快楽」の宴』

2010年04月07日

桐生操『世界性生活大全―「愛」と「欲望」と「快楽」の宴』

[読書] 2010/04/07 13:33

まぁこういう資料も必要なんじゃない? 好いた惚れたは何のかの言うても人間生活の中心であるわけで。本書は世界各地(主にヨーロッパ)の性生活、つまり一言で言ってセックスにまつわるエピソード集である。セックス・トリビアだね。全300ページ弱だが100以上のあれこれが紹介されていて読み応えがあるが、一つ一つの記事は2~3ページにまとめてあるので電車での移動中やちょっとした空き時間に読むにはうってつけ。こんなタイトルの本を電車で開く勇気があればだけど。

興奮を高めるためにロシアの歴代の女帝たちが雇っていた足裏くすぐり専門の侍女、領主が嫁入り前の農家の娘と初夜を過ごす権利があった中世ヨーロッパの「初夜権」、他にも、花嫁オークション、貞操帯、ペニス・コレクション、試験婚…。古代、中世から現代に至るまで、世界中から集めた「性」にまつわる仰天エピソードが満載。

随分前に資料として読んだので内容はうろ覚え、と言うか暗記するような類の本ではないんだが、様々なセックス・トリビアを読み漁るうちに、色々と人間の本性というものが透けてくるような思いである。

文学に限らず映画や音楽、TVドラマに至るまで、ギリシャの昔でも平成の日本でも、恋愛問題は常に娯楽や芸術の主題であり続けてきた。居酒屋やカフェで繰り広げられる「最近どうよ」話も大抵が恋愛事情である。恋愛本能というのはどうやら人間の真ん中にあるらしい。

細面のペシミスト、皮肉屋・芥川龍之介はこんなことを書いている。

恋愛は、ただ性欲の詩的表現を受けたものである。

『世界性生活大全』のセックス・エピソードを通して僕の頭に浮かんでくるのは、そういうからくりであった。こと性欲に限らずとも、文化とはすなわち、欲望をデコレーションすること、あるいは誇張したり修辞したりすることと言ってしまってもいいだろう。殺したイノシシの肉をただ焼いて食うという欲望は、調理加工やテーブルマナーくっついて料理という文化になる。ただ穴蔵に身を横たえて泥のように朝まで眠る睡眠の欲望も、ベッドや布団の発明、寝具へのこだわりが加わればやはり文化である。原人同士の奪い合うような肉欲は文化とは言えないだろうが、性の技法の幅が広がりそこに至る作法や習慣が加わればセックスという文化になる。

我々は、食欲自体を崇高なものとは普通思わず、それを料理・食事という文化にデコレーションすることによって文化にする。同様に、性欲自体を崇高なものと思えない我々は、セックスをコミュニケーションの一つであると修辞し、恋愛という性欲のテーブルマナーを定めることによって、性欲を文化として肯定しようとしてきたのだ。

であるからして、セックス・トリビアを読み漁ることは、それ即ち恋愛を読むようでもあり、こういう本はとにもかくにも下賤で下世話なものとして見られ勝ちだが、いやむしろ「セックスです!」と言っている分潔く読み心地がよい。ケータイ小説でもTVドラマでも少女漫画でも、恋愛というものをあまりにクリーンに描き過ぎるから、ぶっちゃけ読んでて・見ててイライラすることが多いという私のような曲がった人間には、「セックスです!」のこの本の方がよほど愛の本質というものを見せてくれる。『ロミオとジュリエット』を僕が嫌いではないのは、後朝の別れと肉欲が物語に織り込まれているからだし、乳母や神父を始めとして恋の裏にある愛欲に関する指摘・箴言をしゃべる口が用意されているからである。

で。
まぁとにかくいろんなフェチズムや変態行為が描かれまくっているわけで。本当に、セックスってのはコンプレックスや個性というものが出るものなのだなと改めて思ったり。自分でも気づいてないような人間性の核や根底というものを、ぐるんと裏返して提示してくる。足フェチ手フェチ、SとM、経験人数や処女性への信奉、どれもこれも日常の生活言語や会話では表現できない人間性が、裏返って出たものなんだろう。そういう研究対象としても面白い。

あれこれ書いた、そういう発想の飛躍もできるけれど、基本的には「えーマジでゲラゲラ」と言いながら、だらしなく読み流す類の本である。オススメします。いいネタになるよ。