PLAYNOTE 歌野晶午『葉桜の季節に君を想うということ』

2010年04月01日

歌野晶午『葉桜の季節に君を想うということ』

[読書] 2010/04/01 06:07

きっかけは現在執筆しているある作品のタイトルを考えていたとき。ヒントはないかとあれこれ検索していたら、「名前がいかす小説教えろ」みたいな2chスレに行き当たったんだけど、そこで2度も3度も紹介されていて印象に残っていた。だもんで、書店で平積みにされていたのを見掛けたとき、即座に購入を決めた。

自分はあれこれ読むと言っても完全に純文学志向で、ミステリーやサスペンス、推理小説、時代小説、いわゆる直木賞寄りのものなどはほとんど読まない。アガサ・クリスティとかはさすがに何冊か読んだけど。だがそれは不勉強というものだろう、と思い、勉強するつもりもあったんだ。何でも2004年のあらゆるミステリーの賞を総なめにしたんだとか。以下列挙。

  • 第57回日本推理作家協会賞受賞
  • 第4回本格ミステリ大賞受賞
  • このミステリーがすごい! 2004年版第1位
  • 本格ミステリベスト10 2004年版第1位
  • 週刊文春 推理小説ベスト10 2003年度第2位

これは読むべし、と思って読んだのだが…。確かにすっげぇどんでん返し、よく計算されたミステリーだった。以下感想だが、ちょっとでも「読んでみたい」と思う人は十分気をつけて。

以前からミステリーの形式について勉強だけはしていて、「叙述トリック」という手法があるのは知っていた。

叙述トリック(Wikipediaより)

小説という形式自体が持つ暗黙の前提や、偏見を利用したトリック。典型的な例としては、前提条件として記述される文章は、地の文や形式において無批判に鵜呑みにしてもいいという認識を逆手にとったものが多い。登場人物の話し方や名前で性別や年齢を誤認させる、作中作(劇中劇)を交える、無断で章ごと(時には段落ごと)の時系列を変えることで誤認させるなどがある。

ようは、文体や構成、提示する情報の取捨選択を計算して、読者のミスリードを誘う手法である。盲点を突くのだ。人は文章を読んだり情報を入手するとき、ただ手に入れたものをインプットするだけじゃなくて、自然とそれを分類したり類推したりして読んでいく。そこを逆手にとって、読者を惑わす。

確かに高度なテクニックだと思うし、本作の構成力は確かに「すごい!」の一言なのだが、叙述トリックって要約すっと、

「あれ、言ってなかったっけ? ごめん☆ ぺろっ☆」

みたいなやり口なのである。

いいか、こっからネタバレすっけど、……主人公の将虎は「何でも屋」ならぬ「何でもやってやる屋」、セックスシーンや車の運転シーンがあったり、フィットネスクラブで体を鍛えたりしている。80kgのベンチプレスができるそうだ。主人公の舎弟みたいな奴、キヨシという男が出てきて、こいつは高校生。将虎はある日ホームで自殺未遂の女・さくらを救出する。将虎はさくらに惹かれていくが、キヨシが思いを寄せている愛子という女が2人に相談を持ち掛けてくる。父が死んだ、轢き逃げだった、他殺かもしれない――。将虎は妹や友人の強力を得ながら、真相解明のために動き出す。轢き逃げ事件の裏には、蓬莱倶楽部という悪徳商法の一団の姿が見え始める。

この後、主に3つのプロットが複雑に入り組んでくる。現在の将虎が追う蓬莱倶楽部に関するプロット、探偵事務所にいた頃の将虎(二十歳前後)が遭遇したヤクザの怪死事件、数年前に亡くなった将虎の友人・安さんの娘探し。これだけ広げた伏線が、最後の30ページくらいでしゅるしゅる紐解かれぎゅんぎゅん収束していく感じは確かにすごい。

だが、俺は「ふっざけんなよ!」と、声に出して言った。言ったね、朝の6時だったけど。まぁ、そういう意味では、乗せられちゃったんだろう。

巧妙な叙述トリックは、実は、登場人物が全員60~70代であった、というところ。こいつをキーに、すべての誤解が解けていく。……正直、最初の50ページくらい読んだところで、「何かおかしい」とはわかっていたんだ。ヒロインであるさくらに関する視覚描写が極端に少ないし、何か出て来る小道具がどうも若者感覚ではない。時系列を思い出しているうちに、あれ、そもそもこいつらいくつだよ、と思う。キヨシは未成年なのに居酒屋行ってる……。きわめつけは六畳一間の描写。物語冒頭で主人公は六畳一間に住んでいると言っているが、妹と同居もしている。これはおかしい、ミスとは思えないし、何か誤魔化してるんだろうか?

でも、まぁ、そんなもんだろう、純文学とは違うんだからな、話を先に進めることが重要なんであって、いろいろ感覚違うんだろう、くらいに思うことにしてスルーした。したら、背負い投げだよバカヤロウ。

僕はまんまとハメられたわけだが、やっぱりミステリーは読まなくていいやと思ってしまった。少なくとも、ミステリーのミステリー部分に重心があるようなものは。だったらゲームでもやってるわ。楽だし。

叙述トリック、体感してみての感想は、「くやしい」でした(笑)。叙述トリックは、僕は反対だな。叙述トリックの要素が全く存在しない小説なんてものは存在しないだろうけど、こうも叙述トリックに軸足が置かれると、読んでいる感覚が違ってくる。どうも、「解き明かすために読んできた」という感覚が持てない、むしろ「騙されるために読んできた」という感覚になってしまう。むかつくんだよ。

一部では叙述トリックのような書き方のことを信頼できない語り手なんて呼ぶようだから、「むかつく」と読者が言っても作者は「ざまぁwww」くらいなのかもしらんし、騙されちゃった時点で負けなんだけど……。

ただ、小説ってのはさ、読んでいくことは、育てていくことなんだよ。キャラクターや、世界観や、雰囲気をさ。せっかく育ててきたイメージを、最後の最後で引っ繰り返すってのは、いい気分がしない。読んできたのが無意味であるような気がする。別にカッコいいはずの主人公がヨボヨボのじーさんだったから嫌、みたいな幼稚なことを言ってるんじゃない。漫画でよくあるだろ、「実は私……、宇宙人なの!」とか、「俺はまだ実力の50%も出しちゃいない」とか、「死んだんじゃなかったのか!?」「ふ、実はあのとき……」とか。

そういうのは確かに作劇のトリックとしては面白いけどさ、俺は別に小説読んで「わー楽しい、スリリングだった☆」みたいなのが欲しいわけじゃないんだよ。エンターテイメントならエンターテイメントと事前に知りたかったな。本の煽りには

あらゆるミステリーの賞を総なめにした本作は、必ず二度、三度と読みたくなる究極の徹夜本です。

なんて書かれてるけど、トリックがわかっちゃったら俺はもう二度と読み返さないと思うぜ。人それぞれであるにしてもだ。

悪い本じゃないんだ。確かに凄まじく巧妙に構成されているし、謎を解いていく、真実に迫っていくミステリーの醍醐味みたいなものも味わえる。僕はかなり、この作品を愛しながら読んでいたように思う。だから、最後の「ごめん、実は☆」な展開に、ぶっちぎれたのである。ある意味、快感かもね。

……まんまと騙された、という憤慨が、裏返ってこういう評価に繋がってはいるんだろうけれど、それにしてもやはり叙述トリックを僕は支持したいとは思わない。

ただ、この作品がとんでもなくよくできているということに関しては、全く異論はない。あとは好き好きだ。

文章は、色気はないけれど的確でスマート、読みやすい。読みやすいので3時間くらいで読めてしまった。