PLAYNOTE 宇宙世紀最大悪女・カテジナ・ルースの正義と狂気について

2010年03月14日

宇宙世紀最大悪女・カテジナ・ルースの正義と狂気について

[トピックス] 2010/03/14 04:05

宇宙世紀ガンダムシリーズ最大の悪女、小説・漫画・映画・演劇を通して僕が知りうる限り最高に頭のはち切れたサイコキャラ、青少年の恋を一年かけてトラウマに変貌させた凄絶なビッチ、カテジナ・ルースのTシャツが売られている。表には、アニメ最終話にて、視力を失った彼女の名台詞がプリントされている。

「Don't you feel sad when winter comes?」
「冬が来るとわけもなく悲しくなりません?」

「機動戦士Vガンダム」は、1993年(平成5年)の4月から翌3月まで、全51話が制作されたTVアニメである。ファースト・ガンダムこと「機動戦士ガンダム」から連綿と続く宇宙世紀シリーズにおいて、今のところ最も後の時代を語っている(『ガイア・ギア』や『Gセイバー』など除く)

「Vガンダム」は、ガンダムシリーズにおいて最も「トチ狂った」お話だった。主人公は13歳の少年、自軍の兵士はほとんどが女性と老人だけ、敵は新興宗教…。地下鉄サリン事件が1995年で、カルト宗教が世間を騒がせるちょっと前に作られているから、よく時代を象徴していた、予言していたと言えるだろう。

当時小学5年生だった僕は何の疑いもなく「新しいガンダムがTVでやる!」と知って、毎週金曜日、ビデオのリモコンを握り締めながら放送時間を待ったものだ。今でも実家の押し入れを漁れば全話を録画したVHSが出て来るだろう。だが、僕を待ち受けていたのは、宇宙世紀史上、いや、ガンダム史上最もトチ狂ったアニメであった。死にまくる敵味方、ギロチンを用いた恐怖政治、主人公のお母さんは敵の戦艦に轢かれて首チョンパ、味方で唯一の男パイロットは妻を娶った矢先に死亡、幻覚や幻聴のオンパレードで演出される最終決戦……。

人がバッコンバッコン死んでいく展開は、当時の自分にはそれほど抵抗なく見れたと思う。酒鬼薔薇聖斗や西鉄バスジャック、秋葉原通り魔事件の犯人たちと同世代の僕らにとっては、死は上の世代が思っているほど現実離れしたものではなかったように思う。「死の実感が薄い」なんてメディアのおじさんたちには怒られたものだが、逆だと思っている。「人は簡単に死ぬ」ということを、むしろ直感的によくわかっていたのだ。それが何故なのかはわからないが。

Vガンダムがどれくらいトチ狂ったアニメだったかは、以下の動画をご覧になると大体わかると思う。宇宙世紀最大悪女として名高いカテジナさんを通して、Vガンダムを振り返る動画である。

いやぁ、「富野節」の凄まじさが全回されておる。何でもこの作品を作っている最中、監督である富野由悠季は鬱のど真ん中で、これを最後にアニメ制作現場の第一線から向こう5年ほど遠ざかっていたそうだ。いわゆる「黒富野」の総決算的なキチガイっぷり。見事である。

なぜ彼女は、カテ公ことカテジナ・ルースはこれほどまでに狂ってしまったのか? 少し考えてみたが、考えてみるとむしろ逆に、彼女はまともであろうとしたがゆえに狂ってしまったのだ、という結論に辿り着く。

彼女は両親のうす汚さや13才の少年を前線に出さなければならないリガ・ミリティアの老人たちに隠すことなく軽蔑の目を向けている。彼女は美しく、頭も良くて、しかも自分の意見をはっきりと人に言うことができる気丈さを持っていた。そして彼女は、女としての本能に忠実であった。潔癖で理想主義的な態度、聡明さと気丈さ、そして女の本能、これら3つのカードを並べて引っ繰り返すと、狂女カテジナの誕生となる。

物語の中盤から彼女はマリア主義の大義名分を盾にして敵方のモビルスーツ・パイロットになり人をばしばしぶっ殺していく。おそらく劇中で登場した人物の中で、2番目にたくさん人を殺したキャラクターだろう(1番は言わずもがな、主人公のウッソだ)。彼女は大義名分を叫んではいるが、上記まとめ動画を観てみると、それが文字通り大義名分に過ぎず、本音の欲求は他にあったのだということに気がつく。

カテジナは、自分の足で立ち、自分の能力を存分に発揮する場所を見つけてしまった。その潔癖敵理想主義、その知性と気の強さ、そして女としての欲求。これは、間違いなく、気持ちがいい。ウーイッグの故郷でお嬢様をやっていたら、親の七光りで家業を継いだり富裕な男の妻に収まったりしていたら、彼女の増長した理想主義は満たされることはなかっただろう。彼女は世界と対決したかった、自分の生きている社会の仕組みを肯定的に受け入れることをしたくなかった。お嬢様や奥様をやっていては、その知性も気の強さも仇にこそなれ役には立たない。しかも、彼女は男を見つけてしまった。ウッソはカテジナを追い回してはいたが、彼が追い回していたのはカテジナの幻想であり、彼女の本質を全く見ていなかった。それは以下の台詞から明らかである。

ウッソ「ウーイッグのカテジナさんの言う台詞じゃないですよ!あなたは家の二階で物思いに耽ったり、盗み撮りする僕を馬鹿にしていてくれれば良かったんですよ!」
カテジナ「……男の子のロマンスに、なんで私が付き合わなければならないの!」

「盗み撮りする僕を馬鹿にしていてくれれば良かった」なんて、あまりに素敵な富野節でびっくりしちゃうね。オデロもカテジナに対して「あんたはウーイッグでお嬢ちゃんをやってりゃよかったんだよ!」と言っていた。が、カテジナは自分の足で立ちたかったし、そんな自分を理解してくれる大人の男が欲しかった。クロノクルは決していい男ではないと思うが、それくらいでちょうどよかったのかもしれない。カテジナは優越感を感じていなければ、生きてはいかれないタイプの人だろうから。

「狂ってる、狂ってる」と言うのは簡単だが、何故カテジナがああいう道を辿ったんだろう、と考えると、僕は上述の通り、まともであろうとし過ぎたがゆえに、狂ってしまったのだ、という結論に至らざるを得ない。彼女にとってのまともは、彼女の潔癖な理想を追うことであり、自分の能力を活かすことであり、自分を認めてくれる男と寝ることだった。

大義があり、仕事があり、恋人がいる。こんなに居心地のいい場所はない。生きる興奮を発露できる場所もない。カテジナは敵国に寝返ったと思われ勝ちだし、事実上はそうなのだが、恐らく彼女にとっては寝返ったと言うより、自分の国を見つけてしまったのだろう。ウーイッグにいたとき、彼女はきっと、1人だった。

* * *

「たまには」と思いガンダムに関することを延々と書いてみた。しかし、ウッソはこんな烈女に惚れて、追いかけ回して、ちょっと仲良くなって、そしたら手ひどく裏切られて、裏切られたどころか殺されかけて、さらには友達や仲間をバチバチ殺されて、最後までハメられそうになって…。気が狂わないのはおかしいが、気が狂わないのは当然でもある。Vガンダムで1番気の狂ったキャラクターは、間違いなくウッソ・エヴィンだ。このお話は、狂った大人たちをパーフェクトな子どもが修正していくという話である。そんな少年などいるはずがない、嘘なのである。だから彼は狂わないし、最後は幸せになっている。まだカテジナの方が理解できるというものだ。

僕の好きなガンダムはZガンダムとVガンダム、そしてポケットの中の戦争です。おや、どれも人がたくさん死んでいる!