PLAYNOTE 三日月について

2009年11月29日

三日月について

[雑記・メモ] 2009/11/29 09:18

胸に三日月を刻み付けられたその熊は、西新宿の辺りに住んでいて、昼間から酒をやっている。熊にしては随分と小柄な方だが、それでもアルタ前なんかを歩くときには人より頭一つ分大きくて、彼はずっとずっと遠くを見渡せる。

彼は友達が多くない。仕事上の付き合いがあるレッサーパンダとか、ヒョウとか、ヤンバルクイナとか、そういう動物たちとたまにお茶をやるだけで、酒は基本的には一人で飲んでいる。レッサーパンダもヒョウもヤンバルクイナも、ちょっと前までは荻窪や阿佐ヶ谷に住んでいて夜は一緒に随分と悪い遊びなんかもしたものだが、最近ではすっかり動物園に腰を据えてしまっていて、熊は孤独を感じているらしい。柵越しに語る友情に意味なんかない。

そんな彼の話を僕が聞くことになったのは、ある上弦の月の夜、神田川のほとりをその月に見とれながら、『Mr.Moonlight』なんか歌いながら歩いていて、彼とばったり出くわしたからだった。熊の体毛はごわごわして固く、筋肉も立派だったので、僕は危うく転倒するところだった。熊はとても紳士的に手を差し伸べてくれた。お怪我はありませんか?

僕たちは好きな果物や嫌いな音楽の話でとてもウマが合ったので、あっという間に仲良くなり、口が軽くなっていた。僕は彼に長年の疑問をぶつけてみたのだが、今考えればこれが間違いの始まりだったのかもしれない。何故、ツキノワグマという種族は、胸に月を持っているのか?

彼曰く、それは、忘れられない思い出が心臓から滲み出て、焦げ茶色をした体毛をそこだけ漂白してしまうからだという。漂白。その熊の三日月模様はとても立派で大きくて、それはつまりそれだけ多くのものを漂白されてしまったからなのだろう。ツキノワグマなんて仕事をしていると、胸の三日月が大きければ大きいほど、人気も出るし、それが自尊心にもなる。だが、心臓には大きな穴が空いていて、そこから身体を蝕む思い出という名の漂白剤が常にこぼれだしているのだから、熊の人気は痛みと引き替えということだろう。

何のロマンチシズムも要らない、と熊は言う。高望みをし出したら切りがない。所詮自分は山を下りてしまった熊なのだから、こうして人間たちの間で右往左往して、日に日に胸の三日月を大きくして、その痛みを忘れるために酒をやる。何のロマンチシズムも要らない。できることなら、もう一度山に帰りたいな、と思うが、それですらくだらないロマンチシズムなのだ。

熊には仕事がある。心の汚れた人間を見つけ出して、その頑丈な前足で殴り殺す仕事だ。今日は靖国通りで2人、花園神社裏のラブホテル街で4人、西新宿のあるレコード店の裏路地で3人、ぶち殺してきたという。何のロマンチシズムもない、力強くてさっぱりとした、遠慮仮借のない純粋暴力。こうも乱れて泡立ってしまった人間たちの暮らしの中では、混じりっけなしの暴力なんてそうそう見れるものではなくなってしまったから、彼が代わりにそれをやっている。この仕事を始めてから、少しずつ三日月が小さくなってきているという。それは何を意味するのか?

僕は熊に、どうか僕もぶち殺してくれませんかとお願いしてみたが、熊はゆっくりかぶりを振って、営業時間は九時から五時までだから、とだけ言って、立ち去った。もう1週間も前の話だ。それ以来僕は、あの熊に日中に出会ってぶち殺してもらうことだけを願って暮らしている。僕も彼に負けず劣らず脛に傷持つ身であって、心臓から流れ出た思い出が指先を漂白してしまうから、最近とても青白い指をしている。ボールペンも鉛筆もパソコンのキーボードも、こうも頼りない指先ではうまく扱えないことが多い。そんな僕でもよく晴れた空を見たときや暖かいスープを嚥下するとき、ひとひらの愉快さを感じることもないではないが、基本的にはあの熊と同じようにどうしようもない欠損感を抱きながら、人をぶち殺したいと妄想して新宿をふらふらしている。僕は熊と違ってピュアな暴力を許されない動物だから、だから、僕は熊にぶち殺してもらうことが手っ取り早い解決だと思っているのだ。

ペーパーバック・ライター。黒いペーパーナイフ。牛乳とエスプレッソのバランスが悪いカフェラテ。謎めいた野菜たちの国。銀色のライター。宇宙空間で迷子になる飛行船。ブラックベリーで飾られた唇。ミルフィーユの甘い香り。そういうロマンチシズムを、あの熊ならいとも簡単にぶち殺してくれるだろう。その結果、肉体が滅びても、指先だけいつかの生気を取り戻せたら、僕はそれも悪くないと思っている。僕の首筋にある三日月模様の傷跡は、日に日に隠しようがないくらい大きくなって、いつか自分は人間の形をなくして、八つに切ってきれいに皮を剥いたリンゴのように、のっぺりした三日月型の肉塊に変わっている朝を迎えるだろう。

こうして自由連想の単語を並べてひたすらにキーボードを打つことが、プロットとコンプレックスに首筋を締め上げられて息もできない自分の身体、血が通わずに冷たくなってしまった指先にとってのリハビリになるのだと信じている。コーヒーには少しミルクを入れなければならない。

今日は昼から新宿の美術館に行くので、いよいよ営業中のあのツキノワグマに会えるかもしれない。まだ彼の首には三日月が残っているだろうか?