PLAYNOTE 雑文

2009年11月13日

雑文

[雑記・メモ] 2009/11/13 16:45

原稿を書き始めるまでの指慣らしに書く雑文。

最近、空き時間やなんかにカフェでアイスコーヒーを飲みながらネットブックで原稿を打つことが多いんだが、雑音が多くて、とても楽しい。

この間入った歌舞伎町のエクセルシオールカフェでは、ゴリラみたいな顔をして髪の毛だけホスト風といった風貌のスカウトの男と、彼に連れられて契約の話を聞きに来た29歳の女、確か名前はヒトミとか言った、が隣に座っていた。ヒトミは栗色をしたニットのセーターを着て、酷く短いミニスカートを履いていた。僕は原稿を打つ傍ら、横目でちらりちらりと彼らの会話を見ていた。

ゴリラが喋る。

「マネージャーの仕事はダメ出しをすることです。ですから、ヒトミさんがうちの会社と契約オッケー、お願いしますってことになったら、僕ははっきり言います。それが、女の子のためになると思いますから。うちの会社の方針です」
「女の子はルックスによってAプラスからB、C、Dマイナスまでわけられます。Dマイナスの子ですと、キャバクラとかはちょっと難しいですし、お勧めしません。ヘルスなら、Dマイナスの子でも月に20万から30万稼げます」

ヘルスでそれだけかよ、世知辛い世の中だな。女の方は、はっきり言って美人とは言えない上、顔の上にある種の惨めさがへばりついていた。29だというのにはだが随分くたびれていて、生乾きのぼろ雑巾といった全体像を感じさせた。可哀想な顔だと思った。

「今は、茗荷谷にあるヘルスで働いてます。60分で6000円、90分だと8000円です。名前ですか? 何だっけかな、あ、そうそう、ピュアラブってお店です」

その値段設定の安さにはスカウトの男も驚いていたが、俺も驚いた。俺は風俗には一度も行ったことがないので相場がわからないのだが、店のマージン考えると、1本しゃぶって3000円とかなわけで、さすがにちょっと安すぎるだろう。ピュアラブ、というネーミングセンスゼロの上に皮肉過ぎて冗談にもならない名前が、あまりにも悲しくて逆に笑うしかないような印象を添えている。ヘルス、1本3000円、ピュアラブ、しかも茗荷谷。咥える方も咥えられる方も不幸な方程式だ。

契約の話は進み、ゴリラは両手をテーブルについて、頭を下げて、言った。

「と、いうわけで。契約、して、頂けますか!」

ねるとんじゃねーんだから、って感じのゴリラスカウトの質問に、くたびれた肌に長いマスカラが似合わないヒトミという女は、

「お願いします」

と応え、ゴリラは、

「ありがとうございます。じゃ、まずランクから言いましょう。これ言わないと始まらないですから。僕も初対面の人に言いづらいんですけどね、これ言わないと始まらないですから。ヒトミさんは……、Bプラス、です」

詐欺だ、と思った。どう見てもCマイナスかDプラスだというのに。おそらくAプラスからDマイナスまであるランクの中で、実際に使われるのはAとBとCプラスだけなのだろう。

いずれにせよ、ゴリラみたいな顔をしたスカウトが女を捕まえてヘルスへ誘い、女はたぶん3000円よりはマシな値段で、きっと4000円か5000円で男性器をしゃぶる仕事に就き、少し幸せな生活を送れるようになるのだろう。化粧品のランクが上がるかもしれないし、いい服が買えるかもしれない。借金を返せるかもしれないし、再婚できるかもしれない(彼女はバツイチだと言った)。ゴリラは1人また子飼いの女が増えたことで少し忙しくなり、少し収入が増えて、家電製品なんかを買うのだと思う。あるいは車を購入するためのローンを組むかもしれない。いや、もしかしたら戦車の模型を作るのが趣味だったりして、新しいキットを手に入れるかもしれないし、クラブやキャバクラで遊ぶのかもしれない。それはわからない。こうして、歌舞伎町のエクセルシオール2階という場所で、2人の男女の人生の角度が少し変わったが、俺はこれは芝居のネタにも小説にもならないと思った。それがまたわびしかった。場所がエクセルシオールカフェというのもまた、わびしかった。

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最近、GRAPEVINEをよく聴いている。歯切れのいいギターサウンドと、シンプルなエイトビート、ボーカル田中の書くおちょくったような照れ隠しのような歌詞が、とてもいい。日本語ロックの一つの成果だと思う。Blankey Jet Cityの歌詞がポエムか絵本のようであり、NUMBERGIRLの歌詞が夜中の酩酊から生まれる咆哮だとしたら、GRAPEVINEの歌詞は女性作家の純文学のようだ。

矢野顕子の『ひとつだけ』にインスパイアされて作った『1&MORE』という曲、かなり古い曲だが、これが今でもすごく好きだ。こういう歌詞だ。

あたしだって 欲しい物は 沢山あるの
あたしの事 思ってんなら 少し位なら許せるはず
あたしらしく 生きる方法は 無いのかしら
ああ 世の中って 邪魔が多過ぎんだわ
あたしだけが 不幸なんて

言いたい事は ひとつだけ?
あたしの事 好きだなんて よく言えたものね
いくら求めても いいけど
あたしの事 アテにしないでいて 欲しいのよ
ねぇ 解るでしょう?

YouTubeにも動画がないので紹介できないのが残念だが、右上にリンクを貼ったAmazonのページから視聴ができる。この曲に限らず、このアルバムには名作・佳作が多く、気に入っている。

『1&MORE』は皮肉がきいていて、男なら誰もが「ある、ある、こういうこと言われたこと」「いる、いる、こういうこと言う奴」と思うんじゃないだろうか。シニカルでリアルで嘲笑的で、そして自分自身を揶揄しているようで、いい歌詞だと思う。

一転、元になった矢野顕子の『ひとつだけ』

欲しいものは たくさんあるの
きらめく星くずの指輪
寄せる波で 組み立てた椅子
世界中の花 集めつくる オーデコロン

けれども今 気がついたこと
とっても大切なこと
欲しいものは ただひとつだけ
あなたの心の 白い扉 ひらく鍵

離れている時でも わたしのこと
忘れないでいてほしいの ねぇ おねがい
悲しい気分の時も わたしのこと
すぐに 呼びだしてほしいの ねぇ おねがい

二番の歌詞もすばらしいのだが、ここだけでも、『1&MORE』と対比すると面白い。歌詞のフレーズだけでなくメロディラインまでGRAPEVINEはパロってるのだが、似て非なる情景を手に取るように描写していて、僕はどちらも好きだ。矢野顕子の夢のような歌詞も、GRAPEVINEの面倒くさい歌詞も。

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今は新宿のセガフレード・ザネッティというシアターモリエールの近くにあるカフェでまたアイスコーヒーを飲んでいる。六時四十五分まで原稿を書いて、その後、芝居を観に行く。

隣の席に座っていたカップルの会話を、また聞いていた。男の方はもう四十代だろうか、どうやらダンス業界でマネージャーだかプロデューサーだかやってるような奴らしく、女を連れてマチネを観た帰りのようだ。ヒッピーみたいな麻のシャツの上に革ジャンを羽織っていて、ということは多分それほど重要なポジションにはいない人だろう。裏方のチーフとか、宣伝担当とか、そんなところかしら。女の方は二十代前半、てっぺんに大きなぼんぼんのついた毛糸の帽子をかぶり、服はよく見なかったが豹柄の靴を履いていた。男の愛人だろう。ガールフレンド、という死語が、むしろ一番近いかもしれない。

「観れてよかった」

と女は言う。でも、物を作る仕事をする人って大変だねって思った、と続けた。彼女なりの必死のインテリジェンス。男も男で、

「まぁ、大変だけど、その分楽しいよ。仕事していて楽しい」

と、クールに、と言えば聞こえはいいが、つまらなさそうに、と形容するのが正しい声色と顔色で女に答えた。何でもいいからさっさとホテルに行きたい、みたいな応対の仕方で、一生懸命喋る女と、生返事を続ける男という組み合わせは、ありふれているとは言え、男の方がどう見てもイケてない、青春をやめるタイミングを失ってしまった大人のような雰囲気があって、二十代の反骨やシニシズムをそのまま四十代に持ち越してしまったような薄暗い空気を身にまとっていて、反面、女の方は、「ああいうダンスの人ってマイケル・ジャクソンの後ろとかでも踊ったりするのかなぁ」「いや、日本人だし、クラシックの人だから、ないよ」という会話からわかるように、馬鹿なのだろうけれど、何かに向かってまっすぐに生きていて、悪い印象は受けなかった。

帰りしな、男はさっさとカップと灰皿を片付けて席を立ったが、女は何やらもたもたとカーディガンを着たり帽子を直したり机の位置を直したりしていて、その間に男はもう階段を降り始めていた。女は淋しそうだったが、同時に焦ってもいた。最悪のカップルを見てしまって、でも女の方はきっと今幸せなのだろうと思うと、先ほど書いたエクセルシオールカフェのゴリラと雑巾のことを思い出したりした。

同じ店内では、贔屓目ではなしに、ぶっちぎりに可愛い女の子が、一生懸命に本を読んでいる。文庫サイズだがかなり厚い本で、内容やタイトルまではわからないが、もう30分以上黙々と読み続けている。その隣では胸にクロスなんか下げちゃうタイプの、黒くて長い前髪をサイドに流した顔の長い男が、間断なく目の前に座る痩せぎすの女の手をさすり続けている。その奥では、初老のサラリーマンが窓に面した背の高いスツールに座ってテーブルに顔を突っ伏し、眠っている。

僕は新宿のこういうところが大好きである。

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いい感じで精神が収斂してきたので、そろそろ原稿に手をつけよう。ある程度瞑想的な精神状態に自分を持っていかないと、馬鹿馬鹿しくて台本なんか書けない。5000円のヘルス、Bプラスの子飼いの女の子、豹柄の靴を履くような若い女の膣、ダンス公演に連れて行ってくれる年上の男、分厚い本、やせぎすの手、クロスをつけた細面の男。新宿に転がる幸せの形。そういう中で一人きりになってみると、僕はようやく書くことを思い出すような気持ちになる。

周囲の目から見れば、俺もまた、空疎な幸福で自分を誤魔化している、哀れな新宿人だ。

この街にはあと一年半は子連れのカラスが飛んでこない。僕は昼間に読んだアメリカ人の小説に出ていたニューヨークの光景に憧れながら原稿を書く。存在証明、なんて言うと安っぽいが、他に表現のしようもない。