PLAYNOTE 大きなホッキョクグマの客

2009年11月05日

大きなホッキョクグマの客

[雑記・メモ] 2009/11/05 01:12

今日の僕は大変忙しい一日を過ごしたと言っていい。

今日の僕は大変忙しい一日を過ごしたと言っていい。午前中にきちんと起きて、仕事のメールをし、昼には渋谷まで劇場視察に行った。DULL-COLORED POPが企むシークレット・イベントについて、僕は考える。顕史郎さんと近所のタリーズ・カフェへ入り、3時間にもわたって延々と話し込む。演劇について、演劇批評について、才能について、未来について、あるいは谷賢一という人間について、中田顕史郎という人間について。その後、彼と別れ、駅近くにある静かそうなカフェで明後日が締め切りの資料を殴り書きする。片足のないおばあさんが入ってきて、カフェオレを注文した後、やっぱり、ミルク、牛乳、ありますか、と言い直したことだけ覚えている。その後、映画の試写会へ行き、reset-Nの夏井さんや田中のりちゃんと歓談をしながら帰路につく。家に帰り、ほとんど憧れに近い対象であった作家・演出家と電話で話をし、知己を得る。僕は紅茶を入れて、それにミルクを入れる。

そして、原稿を書こうとパソコンを叩いていると、ホッキョクグマがやってきて、話を始める。

ホッキョクグマは地上最大の肉食動物でありながら、遠目には愛らしい姿形をしている。存在自体が矛盾の相克に満ちており、だから彼は白い毛並みをしている。

彼は僕のことを精神科医だと思い込んでおり、リチウムかハルシオンをおくれとしきりにせがむ。僕は彼に何度も自分は芸術家であって精神科医ではないと告げるが、彼は頑として聞き入れない。ほう、そう仰るか、ではその白い衣裳、どうです、否定のしようがありますまい、お医者先生がつける白衣そのものだ。僕が着ているのはただの白いTシャツだが、彼は耳を貸さない。

彼はマフィンを切り分ける手つきのように優しく柔らかい流れるような口ぶりで、自分の仕事について話し始める。彼は某国でマフィアをやっている。彼の主たる任務は運び屋であるから、自分が何をしているのか全く見当がつかないのだと言う。

「運び屋にとって重要なのはね、先生」

彼は言う。

「自分が何を運んでいるか、知らないってことですよ。運び屋は何を運んでいるか知らずに運ぶ、運ばせる方は何を運んでいるのか知っていながら運ばない。この分業が、我々の仕事を完璧なものに近づけているのです」

彼は自分の仕事に誇りを持っていると言うが、だが一方、一体自分が何を運んでいるか全くわからないということに無限の不安を感じもする、と、ぽつりと呟く。わかりますよ、と僕が彼に伝えると、わかりっこない、と応えるものだから、僕もこう切り返す、僕だって、何を書いてるのか全く自分で理解してないが、だからこそ作家という仕事は成立するのだ、そしてもっともっと自分は自分が書いているものの正体を忘れたいのだ、と。

ホッキョクグマ、仮にH氏と呼ぼう、H氏は、診療代として鮭の缶詰を一つ持ってくる。僕たちはそれをパスタにかけて2人で食べる。H氏のために僕は人間にして5人前にも相当するパスタを茹でてやるが、彼にかかればそんなものはぺろり、一口である。身体が大きいということを彼は気に入っているそうだが、食費がかさむ点だけは頂けない、と漏らす。えらく燃費の悪い動物でしてね、あっしらは。

H氏はもう欲しいものは何もない、あるとすれば向精神薬だけであると言う。彼は何でも持っている。故郷の北極にはきちんとした家があるし、各国に家を持っているから、経済的な不自由はない。趣味や嗜好もこれと言ってないから、日に三度三度メシが食えれば高望みはしないという。彼は運び屋の仕事を楽器でも弾くように愛し、そして楽しんでいる。だって先生、昨日の仕事はこんなちっぽけな小箱一つだったのが、今日の仕事は大きな車じゃなきゃ運べないような得体の知れない機械だったりする。スリルを味わうということ、未知の領域に前足を差し込む瞬間、それを彼は非常に好んでいる。彼は言う。先生、シャンプーを押す回数を減らしてシャンプー代を減らそうとしたり、こまめに電気を消して電気代を浮かそうとしたり、遠回りをして電車代をケチったり、そんなことに意味はありゃしませんでしょう。どれも一晩、酒でも女でも博打でも、遊んじまえば吹っ飛んじまう額だ。

僕は彼に何故薬を欲するのか訊ねてみる。ホッキョクグマは彼の体躯に似合わない甲高い声でそれに応える。それはね、先生、あっしが欲してるんじゃない、上からの命令でしてね、いざパクられたときに精神科の既往歴があったりしたらそれはあっしらを官憲の手から守ってくれるし、それにあっしらも、図太い身なりと神経をしてますがね、こう見えて結構デリケエトですから、ナイイブですから、酔っ払っちまいたいんですな。彼はほとんど明治時代の人のような喋り方をする。日本語が達者だが、彼は酷くゆっくりと喋る。

結局僕は、彼に様々の薬品を渡して追い返す。彼は帰り際に一言、こう呟く。

「明日の朝、電信柱に鳩が1羽止まっていたら、それが先生の運命だ」

おかげで僕は電信柱を見ざるを得ない精神状況に追い込まれる。ホッキョクグマが残していった抜け毛を手に取る。近くで見てみると白というよりそれはほとんど透明である。透き通った体毛に包まれたホッキョクグマは、渡したオリーブオイルやアイスコーヒーをきっとリチウムやハルシオンと思い込んで得意顔で飲むだろう。

僕は突然、4年も前に書いて5ステージだけ上演された幻の作品、『ハルシネーション・ロッジ』について思い出す。ある山荘へ撮影ロケに行き、そこで次々と幻覚キノコを食っていく映画部員たちの話だった。彼らは事故だか病気だか(思い出せない)何らかの事情で早世してしまった彼らの部のカリスマ、卓抜した才能であるGという男に強い尊敬と思慕、そしてコンプレックスを抱いている。彼ら凡人たちは、幻覚キノコを食っている間だけ、創造と想像の陶酔に浸ることができる。が、芝居は一同がそこから脱却し、悲惨な殺人事件を起こしたところで終わる。あの作品を再演する機会は、自分には恐らく回ってこないだろうと思うと、妙な感じがする。つまり、あの作品はもう死んでしまった。あれを書いていた自分も、もう死んでしまっていて、もう2度と生き返らない。僕と彼は他人であると言える。

気がつくと僕は路上にいて、鳩のとまった街灯に照らし出されている。胸の中で白い砂のお城が建ち並んでいることに気がつき、そのレイアウトされた窓の配置に僕は脊髄の神経を直接素手で撫でられるような悪寒を感じて、もういてもたってもいられなくなってしまい、それらをすべて手で叩き壊す。急いで部屋に戻ると、僕の椅子にはあのホッキョクグマが腰掛けていて、難しそうな顔をしてキーボードを叩いている。

僕は彼が真っ白い体毛をしているから、彼は医者であるとの確信を得る。