PLAYNOTE 東京デスロック『ROMEO & JULIET -Japan Version-』

2009年10月28日

東京デスロック『ROMEO & JULIET -Japan Version-』

[演劇レビュー] 2009/10/28 19:04

多田さんの芸術監督として初仕事を目撃するために観に行った。富士見市文化会館にて。

全3幕構成。1幕、ひたすら音楽が流れる中、『ロミオとジュリエット』の英語原文・坪内逍遙訳・松岡和子訳が流される。それぞれのテキストを比較できる時間だが、実は俺、ぶっちゃけここで泣いていた。ベースとドラムの効いた音楽と無茶苦茶なスタートのさせ方にわくわくして、少し心のバランスを失っていたからかもしれないし、そもそも最近ずっと心のバランスがとれていないからかもしれないが、あまりに甘美、内容的にも文学的にも甘美なシェイクスピアのテキストにどっぷり浸れて、たぶん俺だけだろうけど、涙していた。涙もろくなったもんだな、最近。いいもの見てるってことだけれど。

2幕。「HUMAN」と題され、俳優たちがじっとこちらを観続け、ゆっくり、一人ずつ順番に、それぞれの恋愛体験を語っていく。緊張感はあったが、アドリブではなく用意されたテキストであろうことが伝わってきて、少し興醒めていた。

3幕。「HUMAN & TEXT」と題され、俳優たちの口がシェイクスピアの台詞(松岡訳)を語り、肉体が状態を表現する。例えば目隠しをしてあちこち手探りで歩き回る、人と人がすれ違う、ぶつかる、逃げていく。目隠しをして手探りで進む俳優たち、というのは以前『トランス』上演でも観ていたが、「目」や「見る」という比喩が多いテキスト、「恋は盲目」という有名な比喩、そういったアレゴリーをアレゴリーからフィジカルな表現に移す的確な演出。俳優たちの体つきや反応を見ていると、すごく「デザインされた動き」であることがわかる。目隠しで進む、というと、アクシデントやハプニングを予感して緊張感が走るものだが、あ、音に反応していない、とか、あまりに華麗に細い導線を通っていく様を見て、なるほど、これは「目隠しされた状態」ではあるけれど「デザインされた動き」であり、心配する必要はない、ということがわかる。

最初は眉をひそめて観ていた、「こんなんロミジュリじゃない」と思って観ていたのだが、途中から的確に「デザイン」された演出指示に、やはりこれは『ロミオとジュリエット』である、と思わされてしまった。テキストの抜粋の仕方にしても、それの立体化にしても、多田氏の理解力と豪腕っぷり、センスのよさが伝わる。

が、台詞っていいよね派の人間である僕からすると、テキストがあまりにも不利な状況に置かれていたことには不満が残る。Act1にてテキストの比較を見、Act2で現代口語の持つ説得力を感じた後で、松岡訳のテキストを、テキストと身体がかなり乖離した状態で演じるものだから、台詞はどうしてもパロディ的になる。松岡訳のテキストでも十分な演劇的説得力を持ち得ることを知っている自分としては、何だか分の悪い勝負をさせられた後で負けを認めるような、苦い感じも残った。

だがそれは、自分自身の上演で反証を成立させればいいだけのことである。今回の多田演出は、極度にデザインされた動きと、明快に解釈された演出意図に支えられた、挑戦的な『ロミオとジュリエット』であった。公共ホールの芸術監督になってもスタイルを全く崩さない多田氏の豪腕さには、何だか凄まじい恐怖も感じたりしたが、応援したい。