PLAYNOTE 唐組『盲導犬』

2009年10月26日

唐組『盲導犬』

[演劇レビュー] 2009/10/26 01:33

タイニイアリス宛てに御招待状を頂いていたので観に行った。実はアリスのオープニングのテープカットは、唐十郎と野田秀樹だったと聞いている。どんなだよ。ちなみにアリスフェス2年目では唐さんVS蜷川さんの対談なんて企画があった。どんな時代だよ。

で、久々の唐組。十全に楽しんできた。

唐十郎すごい。やはりある意味、現代日本語による詩劇を完成させた人なのだな。

はっきり言って、話の筋がぜんぜんわかんない。どうがんばっても要約できないし、台詞ひとつとっても解明不可能。言ってることとかやってることの大半が意味わかんなくって、音響が(しかも同じ曲が何度も)「どどーん」つってかかって、照明がどぎつく変わって、全体的にカオス過ぎるから、冷静な目で見るとでっかいクエスチョンマークしか残らないんだけど、

芝居は理性で観るものではないから、十分に面白いし、興奮した。唐が出るだけで俺は拍手をするし掛け声を飛ばしてしまう。唐にやられてる、よくわかってる。唐もサービス精神でやっている、それもよくわかっている。だが、楽しいんだもの。しょうがない。

唐十郎の芝居は、アングラとか小劇場とか言うものの黎明を作り、新劇に対抗する完全に革新的な日本の演劇の方向性を打ち立てたけれど、今やっていることは完全に大衆芸能だ。ファンがいて、要求されているものがわかっていて、歌があって、うっとりするような台詞や魅惑的な身体の舞いがそこにある。演劇の原初的な感動や躍動があって、とても楽しい。

それにやっぱりテントはいいね。なんだかいけないことしてる気持ちになる。鬼子母神神社(すげぇ名前だ)のど真ん中にドンとテント立てて、その中で盲人が出てきて盲導犬がどうしたとかシンナーは第三の肺だとか「爪を燃やしてるのさ!」「爪を!?」みたいな意味のまったくわからねえやりとりを聞いていると、何だかとてもいけないことをしている気持ちになって、初めて演劇を観たころのわくわく感、それはやっぱりアブノーマルであったりアンダーグラウンドであったりする感覚と近い、を思い出した。いけないよ、いけません、唐先生!

「意味がわからねえ」と連呼しているが、それはほめ言葉である。実際、リリシズムとしても演出としても古いし旧来の唐作品の使い回し・斬新なものはない。が、それでいいんだ! と断言できるような感動と興奮があった。唐さんの持っているロマンチシズムは、俺らの世代感覚とはずいぶんズレている、それは間違いないんだが、日本語としてのリリシズムや日本という文化が持つロマンチシズムに直接タッチしている。彼は詩人だ。だから、意味なんかわからなくったって、酔える。

銘柄がわからない銘酒。いい夜であった。