PLAYNOTE 逃避

2009年10月23日

逃避

[雑記・メモ] 2009/10/23 01:17

うん。

今日、ある小説を読んだ。とんでもない小説を読んだ。俺が書きたいと思っている表現、情念、濃密さ、細かさ、うざったさ、繊細さ、暴力性、味、性欲、虚無感、もう何もかもが出揃っているようなものを読んだ。実は十年前に読んだものを読み返しただけだ。

あんまりにも出来過ぎていて、もうほとんど自分は自信をなくしている。自分が書いてきたものと比べると、幼稚園児と作家、それくらいの差があって、一言、一単語、一行を読む度に「うわぁ」ってなった。これは、こういうものがもうすでに世の中にあるのに、自分が何かを書くということにどれほどの価値があるというのか。

今回まだ、DCPOP9の回想エントリーを書いていない。公演が終わった後に回想エントリーを書くのは恒例なのだけれど、まだ書いていない。書けずにいる。いろんな人が想像している方向には僕の苦痛は手酷くないが、多分誰も想像していない方向に自分の苦痛が深いことを思い出した。

今回、印象深かった光景に、こんなことを書くのもどうかと思うが、ある稽古場、日中に、奈津美が入って来て、ひたすら俺が土下座し泣いているという光景があった。稽古場に台本を持ってこない作家は死ねばいい、そう思ってやっていて、で、実際自分が持っていけなくて、持っていけないだけじゃなくて、もう書ける自信が全くなくて、しかも奈津美は時間通り来るものだし、俺は俺で「書けない」と言いながらベッドをのたうち回って昼間からウイスキーを飲みながらロックを聴いていたわけで、それは本当の意味で「書けない」の状態を正確に表しているのだけれど、世間一般的な「書けない」は原稿用紙に書いては捨て書いては捨て頭を抱えて唸っている状態であって、その辺のズレの言い訳が、どうやっても作家でない人には伝えようがない気がして、それ以上にやっぱり「書けない」ということが恐ろしくて、その先に待っている観客というものすら首狩り族のようなイメージで俺には思えて、どっか行っちまったミューズを焼き殺すために必死で歌を歌っている自分もどうかと思って、とにもかくにも申し訳なさがバシバシ飛び跳ねてその申し訳なささえもあと数時間で死んじまうんだとか思っていて、そのとき僕は多分数年振りに人前で泣いたのだと思う。で、今も書かなきゃいけない原稿が目の前にあって、そのヒントにと思って開いた一冊が頭蓋骨からくるぶしまで俺の骨や肉を血みどろに叩き壊してしまって、また酒を飲んでいる。それくらいしかやることがないというのも現代的で酷い話だ。マリファナ、ヘロイン、ハッシッシ、そんなものはそりゃその気になれば手に入るだろうけれどアクセスがいいとは言えないし、のも単なる逃避だし、そう、第一、こうやってブログに雑文を書いていること事態が逃避である。逃げまくっている、逃げ回っている、一番大事なものから。誰も気づいてない振りをしているだけなのか、いや、そんなことはない。俺は少なくとも気づいているし、俺と同じくらい「書ける」奴は気づいているはずだ。俺が一体何者なのか。

あと十杯酒を飲んだら寝る。