PLAYNOTE 芥川龍之介の墓参り

2009年10月20日

芥川龍之介の墓参り

[読書] 2009/10/20 18:03

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所用で巣鴨まで足を伸ばす機会があったので、前々から念願していた芥川龍之介の墓参りに行ってきた。1892年(明治25年)3月1日 - 1927年(昭和2年)7月24日。墓地は巣鴨駅から歩いて十五分ほど、染井霊園の中にある慈眼寺というお寺に、芥川のお墓はあった。

巣鴨駅前の大通りをひたすら直進して、この看板が見えたら右折。この辺、おかしな雰囲気の店、古びた店が多く、歩くのがなかなか楽しい。スナック美幸が目印だ。

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慈眼寺を見つけて中に入る、ちょっと歩くとこんな立て看板が。

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左が芥川の墓、右が芥川の息子や家族らの収まっている墓。どちらも花一つ添えられていない、大正の大文豪のものとは思えないものだった。

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芥川本人の墓はこんな形をしている。何でも芥川が愛用した座布団のサイズに合わせて石を切り出してもらったんだとか。戒名は懿文院龍介日崇居士。文を志す、というような意味だったように思う。彼らしい戒名。

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嘘みたいに、花が一本だけ供えてあった。枯れかけて、すっかりしおれた花が。晩年の芥川作品が持つ底知れない不気味さ、不安定な不安感を感じる、嫌な感じのする花だった。でも、備えてあった。

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墓の前にあぐらで座り、日本酒とビールを一杯ずつ二人で飲んだ。ゴールデンバットはちょっと手に入らなかったので、ショートホープを買って行って二人で吸った。酒好き、煙草好き、女好き、海外文学好き。割と話が合うんだわ、彼と俺とは。ゆっくり1時間、漱石先生の話をしたり、平成で起こっている事件や文学について伝えたりしてきた。

彼の墓の前に座っていると、本当に辺に哀しい気持ちになる。どうして彼は文学なんかに染まっちまったんだろう? どうして彼は死んじまったんだろう? 死んだ後は百パーセント地獄にいると思われる芥川先生だが、せめてもの気持ちでご冥福を何度も何度もお祈りしてきた。彼は多くの人を苦しめたかもしれないが、彼が残した文学は、その百万倍近い人たちを救っていると思うんだ。いや、あるいは、不要に苦しめているのかもしれないけれど。

芥川龍之介と二人で話した1時間。実にいい午後であった。空が珍しくすっと晴れていて、雲が流れていくのを見上げながら、二人で吸ったホープの味は、格別に決まってるだろ、もちろん。

帰り道に、こんなのもあった。ガードレールに殴り書きされている文字、「27」。何だ、俺は呪われてでもいんのかな。今日はいい仕事したつもりだったんだけれど。

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地図も貼っておく。非常にわかりづらいので、安易な気持ちで行かないように。行ってもしょぼくれた墓があるだけだぜ。芥川先生の魂と語らえる素晴らしい場所だけれど、観光目的で行くようなとこではないと思う。


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