PLAYNOTE サラ・ケインと俺と。何故4.48サイコシスを上演するのか。

2009年09月23日

サラ・ケインと俺と。何故4.48サイコシスを上演するのか。

[公演活動] 2009/09/23 02:29

なぜ今ここでサラ・ケインか? きちんと理由を書いていなかったので、夜半過ぎ、多くの人が「私は幸せだ」と自分に言い聞かせ、その片隅で「私は不幸だ」という思いを噛み潰そうとしている時間、そして俺にとっては、ようやくソリッドな演出プランが固まりつつある今、書いておこうと思います。

その前に公演の宣伝。観てもらわなきゃ始まらない。

DULL-COLORED POP vol.9『心が目を覚ます瞬間~4.48サイコシスより~』
原作:サラ・ケイン 翻訳・翻案・演出:谷賢一 出演:谷賢一、堀奈津美
DULL-COLORED POP「『プルーフ/証明』 『心が目を覚ます瞬間~4.48サイコシスより~』」予約ページ

僕とサラ・ケインの出会いは、確かイギリスの後期授業であった、イギリス現代作家という授業で、でした。しかも、一番手だったと思う。

サラ・ケインから始まって、マーティン・マクドナーやマーク・レイブンヒルといった割と最近の作家から、エドワード・ボンドとかキャリル・チャーチル、ハロルド・ピンターとかいう大御所、J.B.プレーストリーなんて戦前の作家まで扱う授業でした。毎週お代の戯曲を一冊ないし二冊読んでくるというハードな内容で((これよりハードな授業はいくらでもあったが)、毎週毎週エキセントリック・トンチキ、略してエキセントンチキな戯曲を読み続けていたときのことです。

初めて読んだのは当然『Blasted』。どういう作家だったかは、以下を読んで下さい。フライヤーより。

「吐き気がするような汚辱の饗宴」と評され、賛否両論を巻き起こし、90年代イギリス演劇を象徴する問題作となったデビュー作『Blasted』で、サラ・ケインは、ホテルでいちゃつく中年男と少女の戯事の最中、突如として壁を破って侵入する兵士を登場させた。彼は内戦の凄まじさを語った後、男のケツを犯し、目玉を抉り出して食べ、銃で頭を打ち抜いて自殺する。

サラはこう語る。

「人生における暴力はいつも突然、ドラマチックな筋立てを持たずに“ただ”起こるもの、だから恐ろしい。この劇における暴力と一緒」。

彼女の生前の写真には・不思議と笑顔のものが多い。

とにもかくにもまぁグロテスクな内容で、でも切実で、最初は「クソだろ」と思ったし、クラスメイトも「よくわからん」「実験したかっただけじゃね?」みたいなライトな反応から、「よくわかる」「逆にリアル」みたいな読み方をする人もいて、俺を混乱のどん底に陥れた作家であった。

その後、評論文や他の戯曲も読んだけれど、ピンと来なかった、と言うよりは、ピンと来始めてしまって、その暴力性に、避けていた。暴力性に、というのは少し違う。暴力性とは、サラの言う通り、リアルであるということだ。

人生のほんわかした側面ばかり観ていたい人はそういう芝居を観ていればいいし、俺もこうも精神が弱っているとそういう芝居を観たいと思う。思うんだが、自分がやるとなると、ハッピー・エンドな芝居はなかなか書けない。嘘を感じてしまうからだ。『エリクシールの味わい』が僕を悩ます奇形児なのは、そういう意味でだ(だが、奇形児でも僕には愛らしく思えるし、奇形児だからこそ自分の子供という気もするし、いや、そもそもあれは奇形などでなく、俺の似姿ですらあるかもしれない)

で、このタイミングでサラ・ケインというのは、俺と一緒に出演する奈津美と大きな関係がある。以前奈津美はちょいちょいと4:48にmixiに日記を書くという癖があった。当時のmixi上での会話を、伏せ字混じりに紹介してみる。

奈津美の日記:

だぁぁぁれもわかんないけど 2008年12月20日04:48

今、たった今********、そんな瞬間てない?

だぁぁれもいないけど。聞こえるのはただただ過ぎてゆくどこぞと知れない車たちだけだけど。

そういう時、ない?

4:48って完全いかれてるけど。

俺のコメント:

昨日すこし喋ったサラ・ケインという90年代のイギリスで最もいかれた女性作家が死の直前に書いた芝居のタイトルが
「4.48サイコシス」
4:48のことね。これ書いてこいつ鬱で自殺した。いい感性だなぁ。また飲んで遊ぼうぜー!

この時点では、
奈津美「また4:48だなぁ。不吉な数字だなぁ」
俺「おっ、サラ・ケインやっぱり知ってるのか。なかなかやるじゃねぇか」

これくらいの認識だったと思うのだけれど、恐ろしいのが、奈津美はサラ・ケインの存在すらほとんど知らなかったという。これ一回なら偶然だろうけど、こういうことが、数回続いた。俺が今確認できただけで、三回以上。

そういう意味で、俺にとっても彼女にとっても「のろい」のような戯曲である。

かつまた、フライヤーにも書いたが、サラがこの作品を書いたのが27歳。俺がこの作品を上演しようとしているのが、27歳。こういう符号にいちいち振り回されてちゃいけないってのはわかるが、無視するには僕らは夢見がちすぎる。

27歳。ジャニス・ジョプリンが死んだ年。Nirvanaのカート・コベインが死んだ年。Doorsのジム・モリスンが死んだ年。ジミ・ヘンドリックスが死んだ年。The Rolling Stonesのブライアン・ジョーンズが死んだ年。俺の中で、特別な数字だ。サラが死んだのは28歳だが、28歳と2週間で、『4.48サイコシス』を書いたのは、27歳だ。

そういう符号が、俺を駆り立てている。俺は、これを書き上げて、そして生き延びることを望んでいる。だが、死んでしまいたいと思う夜がここ最近とても多い。毎日包丁と首つりのことを考えて生きているといっても文学的誇張ではない。そういう自分がやるには、最もキテいる戯曲である。

自分が一番、サラをわかってやれる人間だと思う。神さまにチョイスされた感じだ。なんでお前も出演すんの? と思われるかもしれないが、ここまで書けば、それはわかってもらえるだろう。大人数でいじくり回すより、俺と奈津美で看取ってやるのが、一番いい戯曲なのだ。

そして、あまりにも破綻した内容なので、自分の演出家としてのキャパシティを試されている感じもする。これやるんだったらヘンリー4世とか間違いの喜劇とか演出した方がまだマシだ。こんなに演出しづらい戯曲もないが、だからやる。そういうウェイト・トレーニングの意味もある。そうして、そういうウェイト・トレーニングだからこそ、今の自分はかなりキテいる。

ここには書かない方がいいと思うが、サラに近い体験を昨日してきた。こういう私的体験をも演劇に利用しようとしている、だからこそ、俺はこうして坂道を転がっていくのだろう。芥川の『地獄変』、それに登場する義秀という画家に、自分の似姿をダブらせる。

そろそろ仕事に戻る。わざわざこういうことを書いているのは、一つには自分の気持ちを整理するため。クールダウンするため。もう一つには、お願いします、観に来て下さい。5ステしかねーんだよ。

DULL-COLORED POP vol.9『心が目を覚ます瞬間~4.48サイコシスより~』
原作:サラ・ケイン 翻訳・翻案・演出:谷賢一 出演:谷賢一、堀奈津美
DULL-COLORED POP「『プルーフ/証明』 『心が目を覚ます瞬間~4.48サイコシスより~』」予約ページ