PLAYNOTE うねる方南町

2009年09月21日

うねる方南町

[雑記・メモ] 2009/09/21 00:12

IMG_0005

今日は出演者にNGがあって稽古がOFFだと思ってたからあれこれ打ち合わせや雑事をぶち込んでおいたら急にNGがOKになって稽古はあったんだけど俺は当然行けないから稽古場をカラにして方南町でうねっていた。

写真は多田神社へ向かう途中で目撃したバイシクルに乗るガキ。ポケモンを捨てよ、町へ出よう。見よ、町が揺らいでいる。

起床して最悪の気分、インドの怪鳥ガルーダが五臓六腑のすべてを食い破り、一方では数多のうじ虫が脳内を這い回っている感覚。朝の光が意味不明で状況把握が追いつかず、返ってこなかったメールの意味と、昨夜なっちゃんの前で号泣した自分を思い出す。稽古場に台本を持ってこない作家は死んだ方がいい。

だが今日はOFFなので、とりあえず神社に行くことにした。近所に多田神社というデスロックな名前の神社があったので、赴く。方南の町は名前も忘れたお祭りで浮かれており、目障りな御輿やら耳障りなお囃子やらで賑わっている。黙れ人の子らよ、俺は父なる神だ、ちょっと気が変わったので明日を審判の日にすることにしたんだから、お前ら全員インフェルノで焼かれてしまえ。

とかいう殺伐ハートで取った写真。御輿より『半額クーポン』が目立つ辺り、最高である。

IMG_0004

そして多田神社。よくある普通の神社であったが、由来になった何とかいう歴史上のおっさんの美談・苦労話が石碑に彫られていて、それを読んでちょっと泣きそうになった。

IMG_0008
光にきらめく「多田」の二字

神さまには10分くらいかけて「いい本が書けますように」とお願いしてきた。他のことをお願いしようとも思ったが、それはそれで不幸になるだろうからやめた。

その後、100円ローソンに入ってあまりの安さに驚く。一人暮らし用の野菜くらいだったらサミットよりこっちのがいいんじゃねぇか。小さいノートを一冊買う。2つのことを記録しようと思った。「サラは、物語は一切残さず、苦痛だけを書き残して死んだ」。もう1つはここには書かない。

次に方南町のカクヤスに向かう。ここではかつての同志にして愛妻・Fが働いていると聞く。だが、いない。わざわざレジのおばちゃんに聞いてみたが、「15日づけで異動になった」とのこと。何てバッドタイミング。すれ違いだけが人生だ。麦焼酎・二階堂を一瓶買って、とりあえず一時帰宅。

もう完全にアルコール依存症である。ここまでで起床から数時間、打ち合わせまでまだ間があるから、上演準備に取りかかろうとする俺の心がそわそわして集中力を欠き何も手につかずただざわざわと「うねる」。買ってきた二階堂を正午過ぎからやる。ウィスキーにしても焼酎にしてもブランデーにしてもテキーラにしても、瓶が翌日まで残ることがない。昨夜は寝ている最中に何度か「ぴんぽーん」という音を聞いた。気が狂うなら早く狂ってしまえ、と思う。

昨夜は寝る前に芥川の『地獄変』とウニカ・チュルンの『ジャスミンおとこ』、それに精神病理学関係の本を数冊読んで、ひとつのプロットを思いついた。それも酔っていたから、だとしたら、ユトリロみたいになってきたものだ。

モーリス「どうしたんだよ、みんな、怖い顔して。……ああ。ちょうどよかった。絵の具が切れてたんだ。買って来てくれないか? ジンクホワイトと、エメラルドグリーン、それと…。それと、よかったら、ブドウ酒を一瓶、頼めないかな。
…一瓶、一瓶でいいんだ! いや、コップに一杯でもいい! なぁ! なぁ!」

誰も答えない。

モーリス「一滴でも、いいんだ。」

懐かしい。ヴィルジュイフの憲兵隊庁舎とか、炎上するランスの大聖堂とか。ユトリロの絵がもう一度観たいなぁ。

その後、打ち合わせやら予約していた手続きやらあれやらこれやらを酩酊しながら済ませ、帰宅。芥川龍之介を一気読みする。遺稿となった『続・西方の人』、最高傑作『歯車』の他、『点鬼簿』『玄鶴山房』『芋粥』『秋』など。だが一番心を惹かれたのはこの文章だった。結婚前に、後に妻になる人に送った手紙。

文ちゃん、少し見ないうちに又背が高くなりましたね。そうして少し肥りましたね。どんどん大きくおなりなさい。やせたがりなんぞしてはいけません。体はそう大きくなっても、心はいつまでも子供のようでいらっしゃい。自然のままのやさしい心持ちでいらっしゃい。世の人のように、小さく利巧にでも駄目です。××××のようになってはいけません。あれではいくら利巧でも駄目です。本当の生まれたままの正直なところがないからいけません。あれの持っているものは、ひねくれた、こましゃくれた利巧です。あんなになってはいけません。素直な真っ直ぐな心を失わずに今のままでどんどんお育ちなさい。

……つくろわず、かざらず、天然自然のままで、正直に生きていく人間が、人間としては一番上等な人間です。どんな時でもつけやきばはいけません。今のままの文ちゃんは×××××を十人一緒にしたよりも立派なものです。いつまでもその通りでいらっしゃい。それだけで沢山です。それだけで誰よりもえらござんす。少なくとも私には誰にも他にくらべものがありません。

天然自然のままで。天然自然のままで。僕がベンジーやジョン・レノンや芥川や×××を好きだったのは、ピュアネスゆえだったんだろうと思う。天然自然のままで。

なんて、アルコールでどろどろになった人間が言うことではないな。だがユトリロは純粋ではなかったか? あぁ、彼は純粋だった。透き通った悲しみを持った人間だった。僕は彼のようになりたくない。だが、芥川の言うような、「ひねくれた、こましゃくれた利巧」者にもなりたくない。

すでにウィスキーをロックで八杯くらいやってるんだが、まだぎりぎり文章は書けている。飲んでいる方が調子がいいかもしれない。なら何十杯でも飲んでやるし、何千倍でも苦しんでやる。多田神社には、そんなことを願ってきた。

ただし、普通の場合、酔い過ぎると書けないし、苦しみ過ぎると身体も起こせない。

~~~

親戚の叔父さんが病気で罹患部を切除する手術を受けるという。だがその部分はよりにもよって、叔父さんの膝から下なのだという。彼は学生自体マラソンランナーで箱根にも出たほどの人で、その後も趣味で走り続けていたんだが、切り落とさないと命に関わる。

俺は会ってないから何とも言えないんだが、もう足はほとんど萎えてしまっていて、あるだけ邪魔、絶対に走ることなんかできないってくらいの痛み具合らしい(病名はとても珍しい病名らしく、ググっても出てこなかった)。だが、やはり叔父さんは切るのをためらう。治る方法が見つかるんじゃないかと思っているらしいし、治らないとしても切ってしまうには惜しいというし、これで死ぬならそれも本懐みたいに考えている節があるという。

僕は叔父さんに会うことがあれば、言ってやりたい。自分が大事なら、切らずに死んじまえ。家族が大事なら、切ってしまえ。そうして僕は同時に、叔父が切らずに死んじゃうような腐れ外道であることを、心のどこかで望んでいる。俺も、多分、そういう状況下なら、切れないと思うから。汗と筋肉で輝いていた頃のイメージを覚えているからこそ、自分を速度に乗せてずんずんと先へ運んでくれたからこそ、黒ずんだ左足の現状が信じられないんだろう。

書き終えてしまうことが恐ろしいが、これにて叔父のエピソードはおしまいだ。だが、叔父の人生はまだまだ続くし、俺の人生もまだ続く。芥川は言った、こんなまとわりつく苦しみを、「生存苦の寂寞」あるいは「娑婆苦」と。そうして最後まで、天然自然のままで、そこにこだわって、ぼんやりと死んでいった。

芥川の入門書には上記の一冊がマジでオススメ。代表作がすべて網羅されている上に、解説・注釈がとても親切で、読みやすい。

僕は、芥川の全集を買う決意を固めました。

コメント

投稿者:search engine optimization vancouver (2012年01月13日 07:20)

このサイトでスパムの問題がありますか、私もブロガーです、と私はあなたの状況について興味があった、我々はいくつかの良いプラクティスを開発していると我々は他の人々との交流の方法を探している、私に興味を持って応じて電子メールを撮影してください。