PLAYNOTE ざわり代田橋

2009年09月19日

ざわり代田橋

[雑記・メモ] 2009/09/19 01:06

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写真は代田橋付近のよくわからん串カツ屋。こういうとこでさらっと一杯やって帰る、そんな小粋をなびかせる生き方がしたいものだ。だがおい小学生くらいのそこのガキ、串カツ屋の中にお前が居ると、光景がとてもシュールになる。やめてくれ、人間には居場所、いるべき場所というものがあるのだ。貴様はサッカーグラウンドかイトーヨーカドーのオモチャ売り場で笑っていてくれ。串カツ屋で笑うな、ガキ。俺とサッカーしようぜ。

以下、ただの日記。最近会った人とか、考えたこととか。

最近来訪した人や会った人のことを書いておく。

21世紀最初のヒッピー、Sと飲む。サイケデリックな脳味噌をした奴の言葉はどれもうさんくさい匂いがぷんぷんして、それが人間臭さなのだ、ヒューマニティーなのだ、と思う。逆説的に人間を愛している女である。

名言をいくつか。

(愛媛の話をしていて)愚陀佛庵、激アツっすよ。」

「教授(坂本龍一)パネェっす。音楽で人間を扇動できるらしい」

「私、行きつけのホームレスがいくつかあって」
(事実、よく観察しているホームレスが新宿だけで4人くらいいるらしい。好奇ではなく同情や共感、あるいは恐怖として)

「武蔵野市はカラス対策に共食いするカラスの檻を作っていた。私は毎朝それを見てから学校へ通っていた」

・武満徹 小さな空 うたうだけ 死んだ男の残したものは 明日ハ晴レカナ曇リカナ
・なかたよしなお

彼女の口から聞いたのは、羽を持った黒い虫がいかに早く世間を飛び回るかという証左であり、四方八方にこぼれ落ちる同情であった。最後はあの世界一孤独で世界一飢えていて、そのくせ世界で一番マイナス方向の感情をロックとブルースを持つ音楽に転化することに成功していた、あの女の話であった。

ジャニス・ジョプリン。最近、彼女の歌を聴くと、あのがさがさした悲しみの肌触りに魂が引っ張られる感じがして、実に苦痛だ。歌は怖い。あまりにも音楽は強い。彼女の歌と音楽は、ヒビ入り過ぎていて美しい。

「私は決められないの」。じゃあ、どこに人生を選び取って生きている人間がいるというのだ?

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『心が目を覚ます瞬間 ~4.48サイコシスより~』の演出協力を依頼している吉田小夏嬢と稽古場トーク。台本を読む集中力と、自分の言葉、自分の感覚でテキストへ対峙していく彼女の姿に、あぁ、演出家ってこういうもんなのね、という感動を覚える。他の人はこうやってんだ。

重要なのは、何をしたいのか、ということなのだと改めて気がつく。方法論をばかり話していても仕方がない、こういう優秀な頭脳と瑞々しい感性を持った人に手を貸してもらっても、まず俺の腹が決まらなければ駄目なのだ。すでに決まっている腹なのだから、思い切ってかっさばいてしまえばいい。

悲しい話を笑って話す僕たち2人は、Nさんがアヴィニョンで観たという、サラ・ケインのテキストを語る2人のピエロのようであった。サラ・ケイン、4.48サイコシス、キーワードは多分、鬱、自殺、投薬治療、喪失、渇望、そして諦念、あるいは情念。そんな言葉の断片が僕たちの脳をくすぐってわき起こらせるいくつかのエピソード、それはとても悲しいものなのだが、悲劇は喜劇らしく、喜劇は悲劇めいて上演されるべきものである。その方が悲しいとも言えるし、その方が楽しいとも言えるが、それが人間らしいってことだろう。人間らしい、それは愚かしいとほぼ同義であるが、愛くるしいとも似た言葉であって、全部ないまぜに炒めて食べちまえ、そうすると、多分割とおいしく頂ける。

こなちゃんがくれたチョコケーキ? みたいなものがえらく美味しく、制作・北澤と2人でおいしく頂いた。

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現在充電中の超高性能コンピューターにしてオレンジ色のスマイルフラワー、ハイエナなみの貪欲さときつねのママみたいな慈愛を持つ少女、Sと久々の再開。近所に越してきたんだからちょっと一杯やろうよ、などとずっと言っていたので、嬉しい再会。ちゃんと話すのは2年ぶりくらい? だが、並んで歩く、それだけで、あの机を並べてひたすらに話を連ねたあの夏がすっと胸に戻ってくる。

お目当てのタイ料理屋が満席だったので、ガラス張りの壁がきれいなカフェでパスタとピザを頂く。Sと僕の人生の接点は非常に少ないが、演劇への愛と、それが呼び起こす憤懣だったりガッツだったり、身を削るような努力の量だったり、シェアできるものがとても多い。いつか王子小劇場の裏にあるしみったれた居酒屋で、おでんなんか食いながらK.S.と3人で飲んだ夜があった。それぞれのやり方で道を切り開いている3人だが、またあの裏飲みをやる日がいつか来ますよう。

他人にポジティブな空気を与えられる人がとても好きだ。自分には全くできない芸当である。野生の狼みたいな目つき、それだけが自分のやり方だとしたら、あまり誇るべきことではない。Sは鋭い牙とクリアな頭脳、挑戦的なハートを持ちながら、スマイルをばらまいて下北沢の街を歩く。そういう人間が一番強い、だが同時に孤独なのだろうと思うと、何だか泣きたい気持ちになる。戦ってんなお前、最高だぜ。

世の中は5連休らしく、Sは熱海にでも行こうかななどと言っていた。熱海。そんな場所がまだ地図上に存在していたとは。熱海とか軽井沢とか湘南とか鎌倉とか、およそ観光地や癒しスポットなどと思われている場所は、片っ端から焼夷弾で灰燼に帰したと思っていた。この間の戦争で。この間の戦争では、人間が少しだけ死んだ。0.5人くらい。宣戦布告はあったけれど、休戦協定はまだ結ばれていないようである。民主党の対応が問われる。いや、問われない。

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『プルーフ/証明』稽古で、野生の動物の話をする。野生の動物、それは、不安や恐怖を絶対に表に見せない。見せた瞬間、食われるからだ。有名になってしまった話だが、ヒグマと出会っても絶対に逃げてはいけない。恐怖や不安をぎゅっと心臓の奥にしまいこんで、相手の目をじっと見ながら、一歩ずつ後ろに下がるのだ。なぜなら、ヒグマの方でも同じくらいに、心臓の奥にぎゅっと恐怖をしまいこんでいるから。キャサリンはそういう野生の動物、手負いの熊である。

BLANKEY JET CITY『パイナップルサンド』より。

ところでオレたち有名になって
最高になるはずだったんだけれど
野生の狼みたいな目つきに
帰ろうと思う今日このごろ

ベルカ、吠えないのか、が、もう一度読みたくなる昨今。耳にiPodを爆音で聴き、誰かから目をそらすように自分の左側の壁を睨みながら、歩く下北沢。野生の動物が2匹、改札の外でお互いの尻の穴を舐め合っている。ティッシュを配るアルバイトの男が、首から血を流しながら笑っている。毒リンゴを50年も売り続けながら近隣住民に愛されている魔女の吐く臭い息。そんな駅前通りを殺伐と抜けて、獲物になりそうな兎や豚と出会わなかったことだけを幸福に思いながら、遠く聞こえる焼夷弾の音に足を止め、振り返る夜。明るくなってみれば、明るくなってみたで、また違う景色が見えるのだろう。下北沢は、元々嫌いな街ではない。

愉快な夜であった。ここから、『心が目を覚ます瞬間』および『プルーフ/証明』の上演プランとの格闘の夜が始まる。それもまた愉快な夜だろう。