PLAYNOTE zakki

2009年09月16日

zakki

[雑記・メモ] 2009/09/16 04:48

森に行きたいが、森に行くと何が起こるかわからないから、怖い。あっ、鹿だ、と思ったらそいつはダイヤモンドの牙を持った"Q"(おおつのじか(C)ローグ)かもしれなくて、そいつに噛み殺されるかもしれない。

時計を見たら深夜四時四十八分、うわ、気持ちわり。『4.48サイコシス』を翻訳し続ける夜な夜な。

深夜にどんな「台詞」を翻訳しているのかというと、

肌を覆うかさぶた、心臓にしまってある鎌
床一面のゴキブリの上で私は踊る
延々と続く地獄のような状態

「台詞」です。まじかよ。

心の支えが何もない状態でこういう文章と取っ組み合って、耳たぶくらい噛みちぎられて、心臓に風穴を開けられたまま、延々と辞書を引き続ける。ふつう翻訳していて辞書なんか引かないんだが、さすがに「anathema」とか「depose」とか「Baal」とか知らないしわかんない。日常会話ならいくらでも訳していけるが、もはやポエムだものこれ。

どう演出するか。どう上演するか。そんなことを考えるとぞっとする瞬間もあるが、このテキストを素材の1つとして、美しい空間、暴力的な空間を削り出す、そういう作業として想定すると、楽しめなくもない。遊べ。

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昨夜は『プルーフ/証明』の稽古をみっちり3時間半。はっきり言って、楽じゃない。演出をしているというよりは、自分の心の闇をえぐり出しているようだ。非常に触発される戯曲である。リアルでソリッドな戯曲である。だから、きちんと心臓をえぐってスライスして、したたる血もそのままに皿に乗せて出す。グロテスクに思えるだろう? そんなことはない。みんなレバ刺し好きでしょう。おいしいんだ。

演技指導をしたくない、と思う。自分の仕事は演出だ。演技の余白は俳優のためにとっておきたい。

なんて理路整然としたことを考えて演出をしているわけではない。目の前でのたうち回る恐怖や憎悪や愛や後悔や、あるいはエラーや僥倖とただ戦っている感覚である。昔、少林寺拳法をやっていたんだが、そんで乱取りの全国大会・学生の部で2位まで行ったことがある。上の方に行けば行くほど、理論だの基礎だのに伺いを立てている瞬間はなくなる。直感、本能、反射。身体を楽に構えて、素直に反応する。きちんと自分の恐怖心や嗜虐心に耳を貸す。たぶんこれは、生まれたての子猫にミルクを上げて、トイレの場所を教えてあげたり、猫じゃらしで遊んであげたり、抱っこしてあげたりしながら育てていく類の現場ではなくて、よくわからんが太ももの辺りを二三発ライフル銃で撃ち抜かれた瀕死のライオンの狂騒と格闘するような現場になるんだろう。臨むところ、ではない。できれば俺も猫カフェとか行ってまふまふしながらお茶でも飲んでいたい。でも、そういう本でもないし、そういうことやってたら前に進めなくなる。臍を噛みながら演出に耐える。

そういうスタンスで向き合っていて、今日の顕史郎さんは実に面白かった。教えられるところも非常に多いが、一緒に創っている感覚があって、そして腰が低く辛抱強い。しかも天の邪鬼でパンクである。

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とか何とか書き散らかしているのは、要はストレス解消である。書くことがストレス解消なんて酷い人間が出来上がったものだ。

いろんな人から活動休止を惜しむ声を頂く。入院したら途端にチヤホヤされる中学生とか、過労で倒れた途端に気を遣われる入社2年目の社員のようだ。ありがたいのだが、ちょっと身体が痛い。特に肺の辺りと心臓が。まじで死ぬんじゃねぇかこれ。いろいろ質問やら激励やら頂いているので、それについて答えようと思って今5個くらいQ&A書いてみたんだけど、沈黙は金と言うか、喋れば喋るほど不要な憶測が飛び交う気がするので、当分黙っています。

当分黙っています。胸に秘めた言葉と苦痛は、作品に込めよう。『心が目を覚ます瞬間』。