PLAYNOTE モリエールとツーショット

2009年08月20日

モリエールとツーショット

[公演活動] 2009/08/20 14:38
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王子系でもアゴラ系でも下北系でもない、新宿系劇団・DCPOPにとって、モリエール進出には言葉にできない感慨がある。トップス亡き今、次に目指せということになれば、サンモールシアターかスペース109になるんだろうか。別に新宿にこだわる必要は全然ないんだが、居心地のいい街である。

『ブランヴィリエ侯爵夫人』で、パリの街を人々が歩く美しいシーンがあった。あれは、新宿の雑踏を見つめる俺である。「人がただ幸福で、悩みもなく、飢えもなく、歩いているということ」。マリーは知っている、「あの美しい絹のお洋服をはぎとってご覧。汗の臭いのする惨めな動物だわ」。フランソワーズはわからない。最後までまだ信じきれない。「あの美しい絹のお洋服の下には、何があるの?」。フランはつぶやく、「どうしてこんなに美しくて醜いの、人がただ幸福で、悩みもなく、飢えもなく、ただ歩いているということは?」。

あの戯曲は、途中から、ブランヴィリエ侯爵夫人というよりは、俺そのものをえぐる芝居になっていった。大塚さん演じるゴブランは俺だし、原田さん演じるゴオダンは俺だし、日澤さんの神父も俺だし元さんのクロードも俺だが、何よりもアンリとマリー、エレーヌが俺である。「見なきゃならん、それが俺の仕事だ」。「隠されているものは、隠されている限り、絶対に見えないのよ」。「信じているから、開けさせてもらいます」。そういう気持ちの悪いエゴにまみれて、知らんぷりして人ごとのように板に載せているのがあの本である。大きな裏切りに魂を八つ裂きにされて描いた本だから、いろいろといびつで未完成なのだが、その分切実で自分本位で、重要な戯曲となった。

信じるということ、裏切るということ、知るということ、目をつぶるということ。思えばそれは、『小部屋の中のマリー』の主題でもあった。僕はもう、こういう新宿の街に、うんざりしている。1stマリーでは、汚らしく壁を塗りまくりながら、絵のタイトルを問われてマリーは最後にこう呟く。「この美しい世界」。あの子は今、どこで何をしているだろう?
断頭台に乗せられた二人目のマリーは、くじらの胃袋を出てしまった一人目のマリーの、なれの果てだ。それは俺自身でもある。

写真はバラシ後のモリエールの舞台。左手に光る指輪は、一つはイギリス留学中に手に入れた心の支え。もう一つは、自分の初演出作品『マクベス』の前に芝居とマッチしているからと奪い取った、どくろの指輪。片方は寛容や知性、信頼を、もう片方は悪意や欲望、裏切りを宿しているように思える。「センス悪いからはずせ」と言われたことも多々あったが、それはやらない。他のどんな指輪を捨てても、この二つはまだ当分自分の左手に収まっているだろう。

ゴブラン 嘘なら何で隠す必要があるかね。本当だから隠すのさ。隠されてるものには、価値あるものや、本当のことがとても多いし、逆もまた然り、表に見せびらかされてるものは大抵が無価値で薄っぺらいもんだ。美徳、信仰心、慈悲、友情、愛情、教養。

「すべての人が罪を生きているのに、どうして私だけが命を落とさなくちゃならないのかしら?」

あぁ、もっともだよ、マリー。死ななけりゃならんのはお前だけじゃない。お願いだ、僕の両手にその鋼鉄の手錠をかけてくれよ、縛り首でも別に構わない、さもなきゃお前の大事な一人娘をさらっちまうぜ。ブランキージェットシティより。

昨日はで美味いXを食った。北澤と黒い野望を語り合った。そして音楽が始まる。新宿は五時。パリはいつも四時。演劇悪魔。