PLAYNOTE 文通内容 - 愛と鳥の餌について

2009年07月29日

文通内容 - 愛と鳥の餌について

[雑記・メモ] 2009/07/29 05:12

いまメールで文通している、えらい先輩女性演出家のメールより。

> まがいものの愛でも、美しい瞬間はあるものです。

同感です。
純粋な愛なんてもんは、どんくさい・田舎くさいものか、鳥の餌みたいな質感を感じます。
なんて言ってしまうのは、僕が若いからでしょうか。

鳥の餌、は、我ながら的確な表出だなと思うが、多分いろいろな人に伝わらないという点で、適切な表現ではない。今日はHさんと演劇をハンバーグに例えて会話をしたが、それも、僕と彼の間でしか伝わらない可能性のある表現だ。

が、俺にとって愛と鳥の餌の間には、密接な繋がりがある。愛という名の鳥の餌、それをついばむ小鳥は美しいだろうし、それを差し伸べる手も美しいだろうけれど、結局は鳥の餌だ。という意味においてもそうだし、鳥の餌というある種完璧に調整されている(であろう)完全食は、だがしかし、美的に美しいものではない。消化しやすいように粉砕され噛み砕かれた、食べ物「であったもの」、それはもうすでに「餌」なのだ。

愛は餌である。愛が果実である瞬間は短いし、愛が炭水化物である時期は、果実である時間よりもう少し長いが、それほどでもない。愛は餌であり、崇高であったものも凡庸さの中に回収されていく。凡庸さの中に崇高さや美がときどきひょいと現われたりするから、人生はシンプルではないのだけれど。

27にもなって愛について考えているから、ぺーぺーなんだろうな、俺は。お笑い芸人について書こうかな。それとも衆院選の予想でも書こうか。

衆院選の結果ほど、俺の人生にとってどうでもいいこともない。ノンポリではない、むしろ政治的に結構偏っている気がするが、無神論に対して不可知論というものがあるように、政治に対して白紙でありたいという立場、それもまた一つの政治的意見であると思う。神はいるともいないとも言えないのだ。

そして、愛は餌であるともないとも言える。が、いくら囓っても減らない果実である場合もある、とでも信じない限り、人生はあまりに空虚である。

まぁ、腹いっぱい食えて、一年に一度旅行に行けて、毎月の支払いが滞らなければ、それでいいのだ。それが愛の正体である。添え物のパセリは、真っ先に皿から捨てると、食事がしやすい。

コメント

投稿者:みあざき (2009年08月01日 09:57)

両親みてると愛って餌だよ。って言われてもうなづいてしまうな…。たにきゅんが言うよりもっと即物的な意味だけど。
私はパセリは食べるよ。生ぬるいビールと一緒で他を影響しない苦味がすき。