PLAYNOTE 時間堂『花のゆりかご、星の雨』

2009年06月04日

時間堂『花のゆりかご、星の雨』

[演劇レビュー] 2009/06/04 11:48

時間堂なので当然観に行った。ルデコ4階にて。

ミキは退職勧告された日、骨董屋で祖母の形見によく似た品を見つける。それはかつて東京に出るときに母から盗み、売ってしまった高価な物だ。上京以来ミキは実家に帰らず、母にも会っていなかった。

実家から母が重要な手術を受けるとの連絡を受けたミキは、帰郷の手みやげにと意を決して購入を決める。しかし受け取りに行くと、それはすでに人の手に渡っていた。のんだくれの店長、そのマイペースな妻、威勢のいい店員、そして頑固なオーナーシェフ。やがて半信半疑で「モノの記憶」をたどることになるミキが出会うひとびとは。

というお話。

僕にとってよく見慣れた俳優さんたちばかりなので、懐かしさと新鮮さを感じながら観ていた。骨董品屋という設定ゆえか、静かに流れる宵の口という一日の中で最も美しくなりうる時間設定に、ただ雑談をしてお茶を飲む、という光景に、親近感や、あり得ないことだが懐かしさを感じ(俺は骨董品屋など行ったことはない)、ドラマを観ているというよりは人んちでお茶を飲んでいるような時間であった。いい意味ではリラックスして観れたということだし、難を言えばドラマとしての展開が物足りなくいとも言える。それは同居している。ただ、演劇とは時間を作ることだということを言うのだとしたら、そこに新しい時間が流れていて、心地よいし魔法であった。

俳優たちは無対象行動(平たく言うとパントマイム)で演じ、背後に控えるオフの俳優たちが楽器を鳴らしてその効果音を出す、という演出。観ていて楽しいし、わくわくする。何もない空間であったところから、あるいは俳優の手足の先から、ぐんと世界が広がる感じがする。しかし、この方法論を選んだ理由が今ひとつわからず、少し見づらかった。内容と手法の間にもっと密接なタッグがあればよかった。照明・音響なしというのも、重いマントをつけて修行しているピッコロさんみたいな感じがして、脱げばいいのにと思ってしまう。物の記憶をさかのぼる、という「スピリチュアルな」展開のある戯曲であることだし、照明効果・音響効果を使わない手はない。派手なものは必要ないけれど(ださいし)、でも綺麗な明かりや気持ちのいい音は、それだけで客席をなめらかにしてくれる。お客さんの集中力も途切れない。総じて、この戯曲だからこの演出、というマッチングが欲しいと思った。

そういうわけで、飛ぶ瞬間には違和感を感じたものの、過去のエピソードの中には自分の胸をぐっとそそるような瞬間があった。同じ俳優がまるで違う人物を演じる、という、高いハードルを難なく跳んだという事実に心動かされたということもあるだろうけれど、本質的なことを言えば、多分それは、過去の物語には人間の行動と行動が強くぶつかりあう瞬間があったからだと思う。そこは自分の趣味なのだろうけれど、ドラマ、Drama、ドラーン(行動)とドラーンの芸術、ということで僕は演劇を捉えているから、なのだろう。時間を作ること、ではない方が僕の趣味で、ドラーンとドラーンの対立を描くには、時間なんか飛び越しちゃえ、である。三一致の法則というのが言われていた時代でさえ、数時間のジャンプはあるわけだし、ああもう、意味のわからない方角に話が進んでいる。

この辺で。なお、この記事のよそへの引用、リンクは、極力お控え下さい。

コメント

投稿者:whoco (2009年06月05日 01:23)

初コメ。
そうか、あの首の角度、あの眉根にはコレが隠されていたか。
面白く読みました。感想をありがとう。

投稿者:Kenichi Tani (2009年06月05日 13:29)

まだまだ隠れてますけどね。

投稿者:whoco (2009年06月05日 13:32)

コワっ
谷さんってEよね。
ジェームスディーンに見えるよ。