PLAYNOTE リディア・ポストマ絵、ウィルヘルム・菊江訳『グリム童話集』(西村書店)

2009年05月22日

リディア・ポストマ絵、ウィルヘルム・菊江訳『グリム童話集』(西村書店)

[読書] 2009/05/22 00:45
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グリム童話集

新宿ジュンク堂書店にて衝動買い。子ども向けに翻案されちゃう前の、名状し得ない不穏さを含むグリム童話の原型をとどめる文章に、怪しくも美麗なイラストがフルカラーで踊る魔法のような一冊。プレゼント用だが買って良かった。

文章が美しい。訳がいいのかな。原文もシンプルで美しいのだろうけれど。たとえば白雪姫の書き出し一つとったって、

羽根のような粉雪が舞い降りるある冬の日、お后は窓辺で縫い物をしておられたのですが、ふと外の雪を見上げたときに針で指を刺してしまわれました。血が三滴したたり落ちました。「黒いコクタンの窓わく、白い雪景色、したたり落ちる赤い血、なんて美しいのでしょう。こんな女の子が欲しいわ」と、お后はつぶやかれました。

これだよ。美しすぎる。そして、黒いコクタンのような髪、雪のように白い肌、したたり落ちる赤い血のように真っ赤な唇を持った女の子が生まれてくる。

『本当は恐ろしいグリム童話』なんて本が流行ったおかげで、グリム童話のグロテスクさ・不条理さみたいなものは世に随分知れ渡ったが、個人的にこの手の童話で最も恐ろしいのが、説明不足感である。

例えばあの有名な『灰かぶり』一つとっても、灰かぶりがお父さんにお土産として要求するのは「帰り道で一番最初に肩に触れた枝」。は? 何それ? って思うけど、何の説明もない。実の親に娶られそうになって逃げ出した女の子が、様々な苦労の末に結局妻にされてしまう。悲しいお話、みたいなトーンすらなく、さも当然にそうなったかのように書いてある。得体の知れない三人のこびとが森の奥に住んでいて、あれこれと魔法めいた力を発揮するが、正体は知れないまま。一つ目・二つ目・三つ目という女の三兄弟が生まれるが、誰から・どうして生まれたとかの説明まるでなし。

出来事のほとんどに論理的な繋がりなどなく、ただ淡々と叙述されている。物語を書くことは、筋を見つける作業である。あなたの人生の物語を人に語るときだってそう、あるフィクションのお話を書くときもそう。ふつう、筋を見つける作業、論理的な繋がりを見つける作業、あるいはイメージの繋がりを見つける作業であることが多い中、童話は何がなんだか全然わからん。混沌とし過ぎているし、唐突である。これを、一人の男が書いたとしても得体が知れないが、民間伝承される中で今の形に整ってきたのだとしたら、もっと意味がわからない。人間の頭の中は一体どうなっているのだ?

中世物語を読むときには、森=キリスト教的な管理・光の届かない世界、日常の裏側、禁忌の場所、というイメージを強く持つと理解しやすい。また、よく出て来る踊りという行為を、性交渉としてとらえるとすっと筋が通ることがある。だが、そういう置き換えや解釈をしたところで理解できない話が多すぎる。童話、もっと知りたい。

面白かったし、美術品としても一級品です。