PLAYNOTE やることがない

2009年05月09日

やることがない

[雑記・メモ] 2009/05/09 17:16

雑記。

また改めてまとめエントリーを書くけれど、『ショート7』が終わって、やることがない。いや、目の前に山積されてはいる。

  • 記録映像の編集・記録写真の捻出
  • 各種清算・支払い
  • お礼状書いたり
  • 決算書まとめて某所に提出
  • 清算会・九十九里の旅・ほか企画

ざっと書いたけどこれ全部終わらせるだけでゆうに二週間はかかると思われる(記録映像の編集が超手ごわい)から、やることはひたすらあるんだけど、そんなにすぐに手を付けられないって。

一ヵ月半、まじで一日の休みもなく毎日10時間以上演劇をやっていた。それが神経に及ぼす影響にはとんでもないものがあって、筋肉痛や眼精疲労や睡眠不足は解消されたが、公演終了から二日、死んだように眠ったり、惚けたようにスーファミ(PSとかPS2とかWiiとかではない)やったりしていた。あと、古い愛読書を読んだり、ぼんやり音楽聴いたり。

こんだけ働いたんだから遊ぶぞー! とか思ってたんだけど、スーファミも読書も音楽も、一日で飽きた。他にやることないかな、と思ってもやもやしていたら、結局次回公演のプロット考えたり、フライヤー考えたりしていて、ぜんぜん遊べていない。その前に清算やれよって言う。

休日出勤しちゃうサラリーマンの気持ちが何となくわかりつつある。仕事の他に、充実した生命の発露を感じられる瞬間がない。赤坂サカスも映画館もショッピングモールも下北沢も特に行きたいと思わない。何も感じない。すぐさま現場に入りたい、とは思わないし、これ以上働きたい、とも思わないんだけど、他にやることがない。これは致命的ではないか。

ハイバイ岩井さんのブログを愛読しているが、彼はちょっとした隙にウイニングイレブンとかモンスターハンターとかやっていて、うらやましいなぁと思う。俺もなんかそういうの欲しいと思って、ヨッシーアイランドとFC版ウィザードリィを始めてみたが、すぐ飽きた。かと言ってPSPとかWiiとか買う気にならないし、読書だの映画鑑賞だのはどっちかっつーと演劇の下準備、種まきの前の耕作に近いもんだから、それはもはや娯楽なのか、って言う。

特に飲みに行きたいとかも思わない。あぁ、なっちゃんなおちゃんと三人でしっぽり飲むとか、小栗さんとか船岩くんとがっつり飲むとか、久々にれおくんとゆっくり話したいとか、大介さんちでBABYの顔見ながら飲むとかはやりたい気もするし、九十九里に行きたい願望は大変なものがあるが、自分で旗振るのがかったるいし、都内までの交通費がバカにならないのでえいやって気にならない。枯れたもんだ。

久々に指輪物語を読み返しているんだけど、言葉がちくちく胸に刺さってすばらしい。ファンタジー、いいなぁ。ハイファンタジーな。富士見ファンタジア文庫とかじゃねー奴な。俺もビルボみたいに旅に出たい。でもがんじがらめマイライフ。第一線のサラリーマンに比べたらそんなに忙しくもないし責任も重くないはず、なのに、魂の自由を求めようとすると、そんなに触れ幅がないことに気付く。せいぜいが新宿の路上で雑踏を遠巻きに眺めながら、マルボロをふかして缶ビールを呑むくらいだ。

ボロ雑巾。ボロ雑巾。ボロ雑巾。第二回公演、ユトリロの話で、彼の後半生を形容した言葉だ。ボロ雑巾。そうならないように創造なり創作なりに魂を燃やすにはどうしたらいいだろう? いや、真摯に創作していたら、やっぱりそうなっちゃうのかな。

ところで今日は高校時代の旧友と何故かばったり柏で鉢合わせて、らーじゃでビールを飲んだ。彼と飲むのは楽しかったが、久々に人と会うので神経が磨耗した。日本の教育はどうあるべきか、とか、政治はどう社会と関係すべきか、みたいな話をしたが、すべて無意味だ。むしろ彼と飲んだビールの味にこそ、そこにだけ、価値があるのだと思う。言論が無意味なこの時世において、では物書きは何を書けばいいのであろう。痴話喧嘩や個人的な葛藤・懊悩を拡大してさぞ大層なことのように描き続けるくらいしか、社会に対するノーは提出できないのだろうか。俺はそんなクソッタレな日本が大好きだが、同時に恨んでもいる。ただ、ガンダルフいわく、いつだって人は生まれる時代を選べない、その時代をどう処するかしか選べないのだ。だってよ。

新しい手帳を買って、とりあえず元気だ。