PLAYNOTE 日記(夏目漱石先生の墓参り、reset-Nリーディング)

2009年03月16日

日記(夏目漱石先生の墓参り、reset-Nリーディング)

[雑記・メモ] 2009/03/16 23:28
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Mrs.fictions『15 minutes made vol.5』の本番中、13日昼の出来事。シアターグリーンのすぐ近くに雑司ヶ谷霊園という墓所があって、漱石先生の墓はそこにある。漱石先生。違和感のある呼び方だ。漱石、芥川、太宰。呼び捨てが当然の偉人でも、墓の前に行くと「先生」と呼ばなきゃならない気がする。面前に引き出されて睨まれているような心地がするから。

漱石先生の墓は雑司ヶ谷霊園の中央通りといちょう通りがぶつかった辺りにあって、世の喧噪から逃れようとでもしているように、通りに背を向けるような形で建っている。ありがちな解説のパネルや「夏目漱石の墓 直進200m左」のような看板もなく、近代日本至高の作家とは思えないほど質素で地味だ。

マチソワ間の空き時間を使ってあわただしく足を運んだので、花も酒も線香も持っていなかったから、漱石先生も好きだった煙草に一本をつけて、線香がわりに鉄の筒に差してあげた。漱石先生と一緒に吸う煙草の味は、まぁ普通のマルボロの味だったが、曇天の空模様を仰ぎながら己の狭小さを思うと、ひどく足場の悪い土地に立っているような、不安定な気持ちになった。和学漢学・英文学に通じ、人の弱さに優しく声をかけるように物語を紡いだ漱石先生の偉大の前では、自分は何の取り柄もない、道に迷って餓えた野良犬のようなものだ。

幸いなことに高評価を頂いている新作『15分しかないの』だが、ひとつのスタイル上の実験に成功し、ひとつの佳作を残したに過ぎない。浮かれてはいないし、卑下もしていない、いやむしろ心底面白いと思って毎日のアップや本番を観ているが、これが終われば気持ちを切り替えて、シビアな反省をし、新たな窮地に追い込まれなければならない。僕は窮地でしか書けない。

夜、心が空っぽになる。自嘲。

14日夜。ひどく体調の悪い朝、我孫子駅で唐揚げ蕎麦を食うが、頭がふらふらし、そして強風のため電車は来ない。這うようにして池袋につき、タクシーさんと会い、ショート7フライヤー入稿前最終チェック。アップとダメ出しをし、マチネを終え、アップとダメ出しをし、ソワレ本番をすっぽかしてreset-Nリーディング公演を観に行く。

一瞬にして嫌な気持ち、どん底な気持ちにつき落とされる、すさまじい作品であった。夏井さんは年を経るごとによりストイックでストレートになっている。勇気の要ることだ。だが、終演後お話させて頂いたら、最近では楽しんで書けるようにこういうやり方をしている、ということを仰っていた。意味がさっぱりわからなくて、また唸る。

プラスアルファで上演されたピンターをアレンジした一品もすばらしかった。東京で一番アヴァンギャルドな劇団の一つである。うちはポップ過ぎるかもしれない。