PLAYNOTE サーカス劇場『カラス』

2009年03月06日

サーカス劇場『カラス』

[演劇レビュー] 2009/03/06 04:13

以前から一ヶ月ぶちぬきロングラン公演とか夢の島でテント芝居とか、着想の時点で頭が悪いが実行力という点において確実に頭が良く、眠れる獅子のように静かな存在感を放っていたサーカス劇場をついに観てきた。

タイニイアリスを、実際のタイニイアリスよりも、よりタイニイアリスらしく使っており、かつ演劇内容も濃くて非常に楽しめた。久々に血管の中から沸く興奮を味わった気がする。15日まで。

作家本人自ら唐十郎からの影響を肯定している通り、唐チック。設定はほぼ現在・平成っぽいのだが、アングラめいた空気感と昭和チックな単語のチョイスが強烈な色を放っている。

とは言うものの唐十郎や過去のアングラの物真似や劣化コピーという印象はなく、言葉に脂が乗っていて、得も言われぬ音の快楽がある。芝居は耳で観るものだ、とは、シェイクスピアや歌舞伎以来の伝統だけれど、そういう、劇場に来てうずうずしている耳を楽しませてくれるし、よく意味はわからないんだが役者のエネルギーと情念でストレートに言葉が届く。

はっきり書くのがフェアだと思うのでそうするが、僕は今回の劇全体を貫くリリシズムの中心に浸り切れずにいたのは確か。あの壁の奥に消えた男を、理解も共感もできないまま、むしろ一種の敵対する相手のように芝居を見終えたが、それは作家の狙いだったのかすら判然としない。情緒を共有する、という視点からすれば、僕はこの芝居を楽しめたとは言えないのだろうが、そんなセンチメンタルな見方をせずとも、重なって繋がる言葉のイメージや、俳優の身体から立ち上る熱気、間断ない急転直下のストーリー展開など、全く飽きさせることのないローラーコースターのような臨場感のある芝居であった。

とにかく臨場感という意味で群を抜いている。俳優の気迫が目の前で炸裂するので、客席にいて危機感を覚えるほどだ。いい鍛え方、いい追い込み方をしているなぁ、やるな、演出家、という感じ。公式サイトだったかな、に、「決闘のようなダイアローグ」なんて言葉があってなるほどと思ったものだが、ぶつかり合う役者の情念の火花にあっと息を飲み、喧噪の去った後に肩を落とした後ろ姿とつぶやくリリックに心を重ねる、そういう楽しみ方のできる芝居であった。

アングラを換骨奪胎する企みの一つとしては完成度がとても高い。が、自分はどことなく古臭い印象が拭い去れない。それは、ドラマツルギーであったりミザンセーヌであったりが古臭いと言っているのではなく、単純に、登場人物の醸し出す泥臭くていかがわしいテイストや、選ばれる単語の切れ端(赤ちんとかワンカップとか)に感じるのである。そういう「浪漫」を共有し得ない自分のような現代っ子には、差し迫った印象がなく、えぐっている問題や人間像の把握の仕方としては実にポストモダンだなぁと思うのだが(心を落としたとつぶやく男や、羽織っているコートの方が自分の記号としてよく機能してしまっている男など)、ギャップを感じたのは確かである。ただ、これはもう好き好き、趣味の問題なので、どうこう言うものでもないんだろう。

出演者では、風琴工房の浅倉洋介氏が、昨年の『機会と音楽』のイメージを遙か彼方へ投げ捨てる怪演を見せておりまず印象に飛び込んでくる。屈折しまくった、つぶやくような、ささやくような声と目線の使い方が観客の背筋をくすぐる。今まで観た中で一番よかったかもしれないと思うほど。演劇集団砂地の公演で強烈な印象を受けた尾崎宇内氏は相変わらずシャープで瞬発力のある演技で、出番はさほど多くないものの、異彩を放っていた。目を引く人だし、乱暴そうに見えるが意外と丁寧にやろうとしているのが見えて良い。他にクロカミショウネン18のワダ・タワー氏があまりにハマリ役だったが、これは劇場で観て欲しいなぁ。奇人変人びっくりショーとか観てるみたいだった。

と、ここまで書いて感じたが、見世物小屋的ないかがわしさのある人物像の中に、極めて現代的なニヒリズムだったりペシミズムだったりエゴイズムだったりが流し込まれている感じがした。その辺が妙な違和感とならず、解け合っていた点は素晴らしいと思う。この辺りに作家性を読み解くことは可能なのかもしれないが、一本、一度観ただけで何とも言えるものではないから、黙っていることにする。

この値段でこれだけのものが観れるなら、そして、新宿の真ん中でこれほどいかがわしいものが観れるなら、行って損はないと思います。個性が濃い分、人を選ぶかもしれないが、僕は、面白かった。

作・出演・代表の清末さんや、役者兼制作の森澤さんと少しだけお話して帰ってきた。森澤さんは野心的だが開けっぴろげで面白い方だったなぁ。今後、他劇団との合併話があるそうだが、その後も意表を突く展開を期待したい。