PLAYNOTE 村上龍『置き去りにされる人びと―すべての男は消耗品である。〈Vol.7〉』

2009年02月27日

村上龍『置き去りにされる人びと―すべての男は消耗品である。〈Vol.7〉』

[読書] 2009/02/27 23:53

横浜は白楽まで行くことになったので、新宿駅構内の本屋で購入。行き帰りでばっちり読破。短いながら密な読書体験。

いつ頃からか村上龍の興味がやたら経済に傾倒し出したのを見て、「ああ、ついに村上龍も、お偉方に混じって偉そうに経済のご高説なぞ垂れるつまらん爺になったのだ」なんて思ったことがあった。村上龍の小説に流れる暴力的だが繊細な情感の泉に触れて育った人間の一人としての拒否反応である。とりあえず何でもいいから読めるものを、と思って購入し、最初から経済の話が始まったので、失敗したな、と思ったんだが、読み進めていくうちに誤解に気づいた。

おそらく村上龍は、「金」という、ある一定以上の年齢を重ねた人間が最も執着もし最も薄情にも感じるものを通して、人間を見るということを面白がり始めたのだろう。

このエッセイは、実に歯切れが悪い。「~~だ」と書いた後で、「だが私は、××と言いたいわけではない」とか、「それは○○というような意味ではない」など注釈がやたらつく。言い逃れをしているのではなくて、なるべく丁寧に、語弊のないように情報を語りたいのだろうな。そして、この本……、と言うか、村上龍が書いている他のものでもそうなのだろうが、彼の語りたいものは、旧来的な議論の構図の枠組み自体を疑うものであり、迂闊に話せば「それってこういうことですよね? わかりました頑張ります!」みたいな意味のわからないポジティブさに変換されてしまうものであるからだろう。

書いている内容は刺激的で毒舌である。既得権益にまみれた老害をまとめて船に乗せて東シナ海に沈めれば金融危機も経済の遅滞も解消される、みたいなこととか、おいおいって思うけど、きちんと読んでみれば確かに当を得ている。現実的ではないだけで。「現実的じゃない話なら意味がない」と言うのなら、そもそも未来について語ること自体が意味をなさない。現実に沿って敗戦処理をやっているから、こういう閉塞的状況が生まれているのだ。

印象に残ったエピソードとしては、宮本武蔵から学ぶことなんか何もない、という節。小泉首相の訪朝を疑問視する一節。趣味からは何も生まれない、という一節。伝わっていないというルサンチマンが創造の源泉にある、という一節。などなど。

最も強烈で、かつ本書全体を通して一貫している発想に、「格差」というものがある。かくも蔓延している格差について、下の者は気づかないか格差自体を知らないか、上の者は必死にそれを隠蔽するか、それによって日本が成り立っている。下流の人間がバラエティと漫画だけで満足しているのは、格差の実態を直視してもどうすることもできないし(文字通り手も足も出ない)、むしろちらちらと見える格差の実態を忘れたいがために調子のいいものを見ている、というような指摘があって、ははぁ、なるほど、と思った。仕事がつらいから帰ってからくらいは気の休まるものを見たいんだよ、というのはよく聞く言葉だが、その言葉の裏、あるいはその意識の裏を覗いてみれば、自分の能力的な限界を感じるのは劣等感を煽るだけだし、日本経済を相手にして労働者は何もできない、歯がゆいだけ、そういう現実に気づかないでいるために、脳天気なものが蔓延している。経済を語る人間自ら、「日本経済なんていうものを相手に自分にできることは何もない」という点がまず面白い。村上龍が手も足も出ないものに、我々が影響力を行使できるわけがないのだし、そもそも影響力を行使できる人間なんて日本にはいないのかもしれない。

雑誌が売れないのは日本人を一括りに語ることができなくなったから、という論も面白かった。例えば20万なり50万なりという均質・類似な日本人の層を見出すことが難しくなっている。だから、思想的な本が売れないのは当然としても、週刊誌にしたって売れない。

これも繰り返し書いていたことだが、権力とは資源や金銭をばらまく余裕のあるものでなければ存続し得ない、という論と、さらに、戦時中や高度経済成長期のように国全体が一丸となれる=すべての層にとって利益の生まれるような目標が消失してしまった、という論を合わせて考えると、今後の政治の見方が面白くなる。だが、政治家は「国民のみなさんのために」としか言わない。

こういう事情に対して、村上龍は、「どうこうしようとは思っていない。ただ、それを語るメディアや伝える報道がないのはフェアじゃないと思う」「この状況はフェアではない」という言葉を使う。「フェアじゃない」という表現は、村上龍の小説でも随分多く使われていたように思う。アウトローなイメージのある村上龍だが、いや、アウトローだからこそとも言えるかもしれないが、この「フェアじゃない」が、意外と村上龍という作家を語る上でキーワードになるように思う。

面白かった。村上龍はもういいか、なんて思いつつも、読むたび面白いのだから、また読もう。