PLAYNOTE 村上春樹のエルサレム演説に触発されての雑感

2009年02月18日

村上春樹のエルサレム演説に触発されての雑感

[トピックス] 2009/02/18 03:10

村上春樹のエルサレム演説について書いているようで、一つもそれに触れない、私的な記事。

村上さんは、戦争を生む社会システムを「我々を守る一方、時には組織的な殺人を強いる『壁』」と呼び、人間を壁にぶつかると割れてしまう「卵」にたとえた。ただ、卵は個性を持つかけがえのない存在であり、自分は「常に卵の側に立つ」と宣言した。その上で、「壁は高く勝利が絶望的に見えることもあるが、我々はシステムに利用されてはならない。我々がシステムの主人なのだ」と述べた。

エルサレム賞の村上春樹さん「ここに来ること選んだ」 : 文化 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

少々、事情があって、と言っても芝居を一本書くために、昔のメールを読み漁ったりしていたのだが、民主主義の在り方についてあれこれ書いていたり、戦争と経済の仕組みを知って憤然ぷんぷんしていたり、22才の僕はやはり若かった。

が、なぜ年をとってしまったんだろうか? 村上春樹はまだ年をとっていないというのに?

もう一点、関係ないけど、面白いインタビューを読んだ。この小説家の本を一冊も読んだことのない僕が、インタビューから読むという酷い逆転現象はさておき、一部抜粋。

小説家は、サラリーマンが定年になるまで見ることを避けている人生を見る仕事なんですよ。サラリーマンのように働くってことは、いろんなことで時間を潰し、一番大事なことを見ないですましているってことですから。小説なんて何の役に立つ?と、バリバリ働いているつもりの人は言うんだけど、そういう人だっていずれ働けなくなるし、そのとき人生そのものに向かわざるを得ない。逆にそういうことにしか僕は関心がないし、大事なことだけ見ている時間しかないだろうと思います。

#136 途方に暮れている状態だけが信じられる | mammo.tv

決定論→解明したい願望

自分は負けず嫌いで虚栄心が強く、何事も理屈が通らないと納得しない筋の人間だ。おそらく親父の影響だろう。親父は機械技師をやっていた。自分を「技術屋」と呼び、こんなことをよく言っていたものだ。

「機械は嘘をつかないからいい。動かなかったり、おかしかったりした場合、原因は必ず人間にある。人間のミスか、人間の思い違いか、人間の無知か」

親父はまだ存命だが、定年を過ぎて閑職に甘んじているからか、単に年をとって覇気を失ったからか、こういう熱っぽい言葉はもう吐かない。

すべてに理由があるはずだ、と思っている。カオス理論なんてのもあるが、それもミクロのレベルから眺めれば解決がつく。量子物理学によれば、古典物理学と違って結果が全く予測できないなんてケースもあるようだが、これもマクロのレベルに引き戻して考えるときちんと予想が可能だ。決定論とかラプラスの魔とか引き出すともう話が広がり過ぎてどうにもならないが、何でも解決できるだろう、と思う。

宇宙を一つの大きなビーカーに例えてみる。中にどれだけ雑多な物体をぶちこもうが、精密にシミュレートすればそのビーカー内が100年後にどうなっているかを予測することは可能なはず。人間の心ですら、クオリアというアンチテーゼはあるにせよ、物質主義で解明が可能になると思う。遠くない将来。

理由を知ると

そういうことを考えながら、何でも解決したい、理由を知りたい、と思っているうちに、世の中のいろんな解釈不能な出来事を少しずつ自分なりに整理してきた結果、いろいろなことに匙を投げたい気持ちになっている。

例えば、あのやりっぱなしアフガン戦争に反感を覚え、その裏に様々な国際政治上の問題、アメリカ国内政治の問題、軍事産業との関係なんかの匂いを嗅ぎ取っていくうちに、「何でだよ!」という憤りはもっともらしい説明の登場によって少しずつなだめられてきた。自分は無力であるということを痛感したということである。仮に、自分がどれほど素敵なポエムを書いたところで、自分が渋谷で1万人のデモを先導したところで、自分が内閣総理大臣になったところで、アメリカが戦争をするのは止められない。

目下、イスラエル情勢がこの先どう収束していくのかとか、アメリカによるアフガニスタン再派兵(というか増員か)がどういう顛末を迎えるかとか、興味津々ではあるが、それはニュース番組で殺人事件の顛末をポテチ食いながら野次馬根性で眺めている、そして時々「怖いわねぇ」とつぶやく主婦と大して変わらない。そういうことに非常にふがいなさを感じる。

もちろん、僕にも何かやれるかもしれない。が、それは、ポテチを食ってる主婦がある日21世紀最大の思想家になり、世界の思想をひっくり返す確率とほぼイコールだろう。少なくとも今のままでは。

これからは

むしろ、これからは、わからないことをわからないままに描き出すような発想が必要なのかもしれない。

例えば自分は、精神病やそれを取り巻く社会にまつわる「?」を粉砕しようと一本の芝居を書いた。結果、それはかなり自分の理解を助けたし、気持ちがすっとした。例えば自分は、チェルノブイリの汚染地域に住み続ける老人と子どものお話を書いた。結果、それはかなり自分の「?」を砕いたし、気持ちがすっとした。が、実際のところ、何も解決していないということを忘れてはいない。

何をどうすればいいのかはわからないし、上述の村上演説ですらポテチの主婦と同じくらい無力だと思う。が、ポテチの主婦になりたくない以上、何か考えなければ。

リンク:
村上春樹: 常に卵の側に