PLAYNOTE ハロルド・ピンターたちの死について(本読み会リーダーズへ寄稿)

2009年01月04日

ハロルド・ピンターたちの死について(本読み会リーダーズへ寄稿)

[演劇メモ] 2009/01/04 18:20

本読み会の会報(?)に寄稿した文章。

ハロルド・ピンターたちの死について

谷賢一

2008年のクリスマス・イブ、20世紀最大の作家の一人であり、戯曲文学を暗くねじれた形で革新した挑戦者であるハロルド・ピンター氏が亡くなった。78歳だった。その一報は、とても奇妙で嫌らしく皮肉な形で僕の目に触れることになった。何やら隠喩的でもあり、見方によっては嘲笑的とも感じられたものだ。

その日僕は、自分の劇団に所属する女優の日記を見た。mixi上の走り書きである。時刻は4時48分。彼女は以前にも4時48分に陰鬱な内容の日記を書いていて、僕が彼女にサラ・ケインを読めと薦めたことがある。サラ・ケイン、1990年代のイギリス劇壇において最大の話題をさらったその女流作家が発表した生前最後の作品が、『4時48分サイコシス』である。mixiという浅薄な馴れ合いコミュニティに書かれたある女の日記が、二度に渡って4時48分という時刻を示したという、見過ごそうと思えばいくらでも見過ごせる、何てことのない偶然を、自分は面白いと思った。4時48分という時刻には、何かやはり魔術的な力があるのだろうかと。

無責任に面白がって「サラ・ケイン読め読め、あ、でも翻訳あったかな」みたいなコメントを残した自分に、横レスする形で別の友人が絡んできた。これも演劇上の友人だが、これは僕がその人の知識と才能に多少のやっかみを抱きつつも賞賛している男で、まだそれほど親しくもないものだから話題を振られたこと自体に少し驚いてもいたのだが、書き込みの内容には文字通り言葉を失った。それは単純にその情報がショックであったということだけでなく、偶然の連続に少し背中が寒くなったからである。ハロルド・ピンターが死んだと言う。

サラ・ケインもまた傍若無人で繊細な挑戦者だった。ジョン・オズボーンが怒りを込めた拳を振りかざしてイギリス演劇界のスノビズムに殴りかかったように、シド・ヴィシャスが客席にうんこを素手で投げつけながらイギリス社会を罵倒したように、サラ・ケインは暴力的なセックス描写と破綻した構成のストーリーで20世紀末のイギリスの面の皮を剥ぎ取ろうとした。そんな彼女がもっとも影響を受けた作家の一人がハロルド・ピンターである。

4時48分の符号に浅ましい高揚をかき立てられ、インターネット上の陳腐な馴れ合いの場でニヤニヤしていた自分の前に、横から飛んできた訃報、しかもその名がハロルド・ピンター。たいしたことのない偶然のように聞こえるかもしれないが、偶然に価値を認めるか否かはひとえにその人物の主観にかかっているのだし、そうして大げさな解釈を与えられた偶然が、創作家の心をくすぐり続けてきたのが芸術の歴史の一側面である。冒頭に「隠喩的である」と書いたのは、まずサラ・ケインの死と切り離せない4時48分という数字について考えていたところにハロルド・ピンターの訃報が飛び込んできた、という意味でであるが、同時に、この二人のように文学にとって、つまりは人間という謎に対する人文科学上のアプローチにおいて最大級の仕事をした二人について、ほとんどの人が無知であるばかりか、自分すらも気づかずにいた、しかも一報を聞いたのがよりにもよってこの糞ったれなmixi上であった、という意味において、である。文学の地位の低下と人々の無知を半ば嘲笑っていた自分だが、その自分がmixiでピンターの死を知る。それは、隠喩的であるばかりでなく、嘲笑的である。ひどく悪趣味なコメディだが、よくできていると思った。

さて、そんなとき、僕が相談できる相手は、あの人しかいない。Google先生である。ピンターについて何かを語ろうと思っても、相手は数えるほどもいない。ましてや深夜である。Google先生、どういうことですか、と検索語を打ち込んでみたが、追い討ちをかけるように、ピンターの死が国内ではほとんど報道されていないという事実を知った。彼がイギリス文学に寄与した業績のその内容を考えれば、また、ノーベル文学賞受賞者という皮相ではあるが絶大な権威を誇る冠の威光を考えれば、信じられないことである。飯島愛の死に埋もれて、ピンターの訃報は一行、二行で済まされてしまった。

最近特にメランコリックでペシミスティックな自分には、こういうった様々のことが、文学の死という大仰な飾り文字を掲げて迫ってくるように思えた。ピンターの作品から我々は何を学んだだろうか。ピンターの死に我々は何を思っただろうか。答えはほぼゼロに等しく、どんなに考えてもゼロに等しく、ピンターほどの仕事をしても世界の真ん中に空いている愚鈍と無知という穴や、循環する歴史が証明する人間の動物的蛮行を前にしては全くの無力であり(ピンターは晩年政治活動に献身し、アメリカの覇権主義を厳しく批判した)、芸術も文学も一時の気晴らし、pastimeでしかないのだろうか、と気持ちがぐずつく。pastimeとは無論これで一つの単語であるが、辞書も引かずに想像を巡らす限り、pass time、時間を過ごす、という語からの派生だろう。一歩一歩と近づいてくる死に行き当たるまでの時間潰しにしか、文学や芸術や用を成さなくなってしまったのかもしれないし、いや、今までずっとそうだったのかもしれない。

今ちょうど読んでいる本の一説に、ある作家の言葉としてこんな一行が引かれている。「文学とは生存がしかけてくる攻撃に対する防衛策である」(スーザン・ソンタグ『反解釈』p78、チェーザレ・パヴェーゼの日記より)。ここでいう防衛策とは能動的・反抗的な意味に感じられるが、受動的な意味のバイアスをかけてこの言葉をそらんじると、やはりpastimeという言葉に行き着くような気がする。「文学とは生存がしかけてくる攻撃に対する防衛策=pastimeである」。かつては文学が娯楽であると同時に啓蒙であり、教養であると同時に栄誉であったような時代もあった。だが、文学は死んだのだろう。

そういう時勢の中で、しつこく文学を読もうとしているこの本読み会という取り組みは崇高ですらあると僕は思っているが、今一つそこでのやりとりに知的興奮を覚えないというのも本音である。選ばれる戯曲はいつも美しいが、それを受け取る我々に覇気・鋭気が足らない。と言いつつ自分でさえ、迫り来る煩雑な日常にその場しのぎの組み手をとっているうちに身も心も疲弊して、とても胸を張れるような勉強ができていないのが実情であるから、フルタイムで働く人間に文学文学とわめいて聞かせるようなことはもはや犯罪的ですらある。心の隙間にそっと文学を、とか、電車では居眠りより読書がおしゃれ、とか、そういうくらいがちょうどいい。そういうくらいで仕方ない。文学は死んだのだから。

本読み会でピンターを取り上げたのは夏の盛り、2008年の8月だった。彼の死去が芯まで凍るような12月。サラ・ケインの死が1999年の2月20日である。さて、2009年の本読み会がどう展開されるか、楽しみである。