PLAYNOTE CoTiK第二回公演『源氏物語』脱稿

2008年12月28日

CoTiK第二回公演『源氏物語』脱稿

[公演活動] 2008/12/28 12:10

本当に長い、絶対に終わらないと思っていた戦いがようやく終わった。源氏脱稿。

よくできた戯曲と、いい純文学作品の構成を見比べてみると、これら二つが同じ「文学」の枠でくくられる割に、まるで異なるものであることがわかる。戯曲ってのはいいものほど構成がしっかりしている。俗に言うV字型プロット、序破急、起承転結、フライタークの唱えた戯曲の五要素(だっけ?)、アリストテレス『詩学』に見られる理論の数々。そういったもの。純文学には構成がしっちゃかめっちゃかなのに面白い、というサンプルがいくらでもある。すごい乱暴な理論展開だが(検証するのは面倒なのでやらない)、そういうものである。

で、すさまじいやおい文学であるとともに、一歩引いて全体の構成を見ると急に雄大な構成美すら感じるようなモンスター文学・源氏物語と格闘してはや二ヶ月。マジかよ、俺二ヶ月もこんなのと闘ってたのかよ。台本の上梓が遅くなって出演者の皆様には本当申し訳ないが、あと二ヶ月弱、こいつで頑張っていきましょう。

原作に忠実であることと、演劇的に面白い構成であることの間で揺れつつ、横目でちらちら上演のための要件を満たすこと(会場、出演者の数や力量差、予算、その他もろもろ)を気にする、という、実に難儀なことを二ヶ月かかってやっていた。結果、台本のタイトルの前に一行、サブタイトルとして、「私家版同人翻案戯曲」と書き添えた。どんな日本語だよ、って思うが、ニュアンスは伝わるでしょう。これは言ってみれば、翻案戯曲とも呼べるけれど、俺が源氏を読んで書いた同人誌なのだなぁ、と。解釈の仕方は完全に私家版・源氏物語としか言いようがないし。

とは言え、「初めて見る人でも何となく源氏物語がわかる!」を目指して書いたので、かなりわかりやすく仕上がっていると思います。しかも、もうコッテコテの恋愛とヒューマニティーのお話。TSUTAYAに行ったら「ヒューマン」の棚に置いてあるレベル。こういうタイプの戯曲って書いたことなかったから、もう何か気持ちがそわそわしてたまらなかった。でも意外と「ヒューマン」の棚に置いてある映画好きなので(笑)、稽古でもうちょっと泣きそうになっていたり。意味わからん。

とにかく、終わってよかった。あまりに長い戦いだったので、終わったような感じすらしない。まだ何か残っている気がする。恐ろしい…。もう夢に出て来ないでください。

コメント

投稿者: (2009年01月01日 00:36)

本当にお疲れ様でした。

私も現代語訳を読んでいて思ったのですが、
私達が馴染んでいる小説や文学作品とは根本的に違うと思いました。
私達が馴染んでいるのは仰る通り、起承転結を考え構成されたものです。
源氏物語はそうでなないのですね。
これは紙芝居だ~と思いました。

昭和30年代の街頭紙芝居は勿論知らない年代ですよね。

仕事の関係で当時の紙芝居元の取材とかしたんですが、
構想はあるけど、客の反応を見ながら変更したりです。

結果的に凄い超大作になったり、突然ヘンな形で終わったりするのです。「黄金バット」もまさにそうです。

源氏物語も、そもそも出版文化などない時代の
口コミ的&半パブリッシュな
エンターテイメントだったのでしょう。
当時の熱狂は凄かったのではと想像します。
あたかも子供たちが「黄金バット」の次に期待するように。

あの時代に女の側から、不倫をあからさまに描くなんて
凄いインパクトだと思います。

そういう圧倒的な背景&価値観の違い、
本来の源氏物語の質感等々、七転八倒されたのでしょうね。

でも…そんだけ苦労したほど、ゼッタイ血肉になります。

この難題をどのように料理してくれるのか?
楽しみにしています。


投稿者:Kenichi Tani (2009年01月01日 21:21)

>口コミ的&半パブリッシュなエンターテイメントだったのでしょう。
まさにその通りのようですね。口コミで評判が広まって、回し読みされたり写本されたりして広まったんでは、と。娯楽も少なかった時代だろうし、女文字で書かれた源氏はナイスなエンターテイメントだったはずです。

紙芝居という表現は、確かに自分は本物の紙芝居は見たことがなく、そういう即興的なものは見たことないのでわからないですけれど、むしろ構成されまくった文学が近代以降に多いというのはわかります。近代以降、というよりは、民衆の間の芸術・文芸にはそういうスタイルのものは多かったのかな。

ご期待下さいませ。劇場にてお待ちしております。