PLAYNOTE アロッタファジャイナ『今日も、ふつう』

2008年12月11日

アロッタファジャイナ『今日も、ふつう』

[演劇レビュー] 2008/12/11 02:39

何だかもやもやと仲良くしている松枝氏が主宰する劇団・アロッタファジャイナの本公演である上に、ベトナム戦争で共に戦った戦友・菅野貴夫くんが出ているので観に行った。新宿シアターモリエールにて。

フェティッシュだったりファンタジックだったりぶち壊れていたり変態的だったり、割と「異常」を描く人だよなーと思っていた松枝さんが「ふつう」な芝居をやるという。どこぞの高校の文芸部(文学「党」なんて名乗ったりしているが)に所属する女子四名が一応の物語の中心となり、彼女らをとりまく、ネジ工場で若社長を務める主人公の兄やら、彼のフィアンセやら工員やら暴力団員やら、芸能プロダクションの人々やら、スナックっぽい飲み屋やら、しがない純喫茶やら、まぁいろんな人が出てくる。もっとパーフェクトに「ふつう」な人ばかり出てくるのかしらんと思っていたので、ちょっとがっかりしたのは事実。

これだけとりとめもない人々をわらわら出しておきながら、それぞれを交錯させて、でも共通のテーマに揺り戻してくる構成力がまずすごい。最近の文芸批評では「テーマって何だよゲラゲラ」が流行だが、僕はテーマが感じられる作品は好きだし、「ゲラゲラ」な人は大抵知能指数が低いから相手にしなくてよろしい。この芝居のテーマは? とか聞かれて「ハイこれです」なんて即答するのも野暮だろうけど、僕は割とはっきりと、「ふつう」と「異常」のせめぎあいの中に、愛と幸福の位置を探るのがこの芝居の骨だと思った。

一言で言えば、幸福は「ふつう」の中にあるけれど、愛は「異常」の中にある。

菅野貴夫演じるロリコン殺人鬼が、安川嬢演じる(回想の中での)八歳児の太股を舐めるそれを「愛」と呼べるか否かと言えば否だろうが、二人の間に愛の種を捲いたのが異常過ぎる(劇中ではタイトルに引っ掛けて「ふつうじゃない」と言われていた)性欲であり、二人を繋ぎ止めたのが共犯意識と同情とぶっ壊れた夢想的な愛情であり、二人が最後に行き着くのがかつての殺人現場での心中であるとしたら、この作品で描かれている愛は常に異常の中にあったと言える。そう言えば芸能プロダクションのマネージャーの女の子もエリート官僚のフィアンセを捨ててチビの中年おっさん(演じる俳優はチャーミングな人だったが)に走るし、作家の女はレズだし、若き俳優志望の男二人と女子校生との間で繰り広げられる愛憎劇も日常からずれた部分で展開する。

人々は「ふつうが一番」と言いながら、「ふつうじゃない」愛に走っているように見える。見た感じ「ふつう」な人たちなんだけど、「ふつうじゃない」愛に落ちていく。演出のされ方を見る限り、劇団はそれを否定的に描いているどころか、「それも愛」、いや、「それこそ愛」みたいな感じで扱っている。いいね、そうだよ、家賃8万5000円のキッチンで展開される愛のドラマなんか見たくない。

アロッタファジャイナが面白いのは、何て言ったらいいか、エビ食ってるような感じがするところなんだ。エビってすごくおいしいし、いろんな料理ができるけど、ちょっと冷静になってあの目玉と口んとこのギザギザした意味不明なディテールとか、虫っぽい尾ひれとか、うじゃうじゃ群生してる無数の足とか、よくこんなん食おうと思ったよね、って思うでしょう。僕だけですか。とにかく、ああいう「ふつう」じゃない、ズレた・異常な美的感覚を持ちながら、また、『ルドンの黙示』で見せたような人間性への絶望に近い憧憬を抱きながら、きちんと展開させてきちんと美男美女を活躍させて、っていうバランス感覚がとても面白いと思うんだ。

と言うのは僕の感想を割と正確に捉えていると思うんだが、やや甘い評価になるかもしれない。構成の入念さは確かに驚嘆に値するものだったが、余剰な人間がいなかったかと言えばそうとは言えない。また、2時間20分に及ぶ長編、それ自体は全然結構なのだが、ばら撒いたエピソードが繋がっていく快感がやや薄かったように思う。推理ものとしては仕掛けの強度が足りなかった気がするし、群像劇としては真ん中の二人が突出し過ぎて広がりに欠けたという意味でだ。

また、俳優力にもう一つ厚みがあればとも思った。厚みと言うと、違うんかな、凄みかな。台詞や展開に「おお」と思う瞬間が確実に存在するのに対し、俳優でそれをやってくれやがった人が2〜3人程度か。2〜3人つったら小劇場会のレベルを考えたら十分多いんだが、何せ19人も出てるから、印象としては薄くなってしまう。

最後にも一個、演出的なことなのだが、シーンがすいすい切り替わっていくああいうスタイルはアロッタファジャイナの十八番ではあるし、見事な効果を上げていた箇所も多々あったのだが、そうでないところもあった。はけ口一個であれをスムーズにやるのは難しいんだろうな。『ルドン』の方が華麗であったし、何故曲をほとんど同じのにしたんだろう? 単に時間がなかった、というわけではないだろうから、何らかの意図があるのかもしれないけど、読み取れず。

ごめんあともう一個。僕はこれ、カットされた箇所がいくつかあると聞いたのだが、できればフルで見たかったな。実際の上演時間が140分もあって、しかも「これでもまだカットしました」、これは素晴らしいことだと思う。無駄な元気、余剰してしまう欲求、もうちょっと、もうちょっとで気がついたら「延長なさいますか?」「はい」、そういうものに俺たちは飢えているんじゃなかったのか! その通りだ。

前述の通り、僕がアロッタファジャイナを面白いと思うのは、パッケージとしての優しさ・親切さと、中に巣食う変にどろどろしたエナジーのギャップである。もっと長くて変態的でぶっ飛んだ精神異常気味な作品を、もっと優しく親切に見せてくれる次なるアロッタファジャイナに出会えることを願いつつ。アーメン。もうすぐクリスマスですね。きちんと脳みそと情動を使って楽しめた芝居でした。