PLAYNOTE 奥秀太郎演出『黒猫』

2008年12月08日

奥秀太郎演出『黒猫』

[演劇レビュー] 2008/12/08 02:35

今年で一番ひどい舞台を観た。こういうとき、普通は「関係者に猛省を促したい」と書くものだが、いいやいいや、演出と脚本と映像を担当した奥秀太郎その人に猛省を促したい、っつーか二度と演出などやって欲しくない。新国立劇場小劇場にて。

先日、友人と話したときに、フライヤーに「演出」のクレジットを入れなかった団体に注意を述べたという話を聞いた。
「芸術上の責任者を明記しないって時点で、あ、ここは意識低いな、と思われるよ」
という、至極真っ当な意見である。演出家は20世紀に入って神のような扱いを受け、20世紀後半から21世紀にかけてあれこれと見直されてはいるものの、未だにやはり、と言うか、この職分がある限り、芸術上の責任者である旨を逃れられないだろう。

しかも、演出だけじゃなくて、脚本と、今回の舞台の最大の目玉である「映像」まで担当しているのが一個人であるとすれば、全責任は彼にある。

ストレートに言って、一番の失策は、演劇を使って映像をやろうとしてしまったことにある。映像を使って演劇をやろうとしたのではない、その逆である。

観ていて笑いそうになってしまったのだが、こんなシーンがあった。主人公の女が外を歩いている。プロジェクターから打ち出された映像が、主人公を中心とした5m四方くらいの広さに背景を写し、そしてその背景が歩調に合わせてするすると流れていく。こう書くとロマンチックと言うかスタイリッシュと言うかおしゃれと言うか、いい感じに聞こえるが、実際はその真逆。その場で足踏みしているだけの女、その嘘だらけの肉体と、背景を流れる映像の克明さがくっきりと真逆のコントラストを描いて、ひどく不調和な空間が生まれる。

一言で言うと、猛烈にださい。もう逃げ帰りたくなるくらい、失笑してそのはずみでうんこ漏らしそうになるくらいださい。

このだささに気づかなかった者はいないのか。演劇において心情や関係性のみならず空間をも描くのはひとえに俳優の身体から立ち上るリアリティのみである、とかそういう難しいこと考えなくていいよ、ださいだろ? とにかください。すっごく遠目から見れば観れたかもしれないが、もはやそれは立体的な身体を失ってしまっているから、劣化した映像作品でしかない。

映像で舞台の背景を描くことによって、場転を速やかにこなすのみならず(実際にはすごい手間取っていたが)、その背景が揺れ動き、主観的な心情に合わせて歪んだり変化したりする、それがこの舞台での一つの目玉だったんだろうが、やる前に気づけ、やった後でもいいから気づけ、それは演劇的な面白さではないんだよ。テーブル一つに椅子二脚、あとはDFが二灯だけ、それの方がどれだけ演劇的にロマンチックでリアルでスタイリッシュで美しくかつスリリングであったことか。だせえ。

脚本の筋立ても演劇的とは言えない。演劇の筋立てで最も重要なのは関連性、密度である。前の場面で起こったことが直接の理由となって次の場面が引き起こされる、それが演劇において最も理想的な筋立てである。これはすごーく昔の理論家が言った言葉だが、古今東西の名作を見てみると、大抵この理屈は通るものだ。本作『黒猫』の筋立ての一貫性のなさと言ったら。場当たり的に次のシーンを繋げていったようにしか思えない。突然事件が起こるから、しかも予想だにしなかった角度から事件が起こる上に、どれも掘り下げ方が浅すぎて、見れたものではない。

俳優の質も酷いものである。主演級の人々も、演技における方向性があまりにバラバラ、と言うか、何か共通した理想なり方針なりを持って舞台に立ったのかどうなのかすらわからないくらいにバラバラ。一人一人は個性もあり魅力もありで、もっといい形で観たいと思わされてしまう、それが逆に残念だったりして。アンサンブルの学生っぽい人々に至っては、あれチケット売るために頭数集めただけだろ、と言わざるを得ない。観ててもそんなに数なんか必要じゃねーし、一人一人の台詞は少ないし、基本的にモブとしか使ってねーし。で、チケット代が6800円? ふざけるなよ。ネットの書き込みで読んだ話なので本当かどうか知らないが、ノルマがあったという。馬鹿にするなよ。アンサンブル20人×50枚だとして、680万円も巻き上げてんのか。恥を知れ、恥を。いい大人が、若い奴の夢なり向上心なりを食い潰すなよ。もう一度書くぞ、恥を知れ。

ぶっちゃけ、学生演劇より酷い、お粗末な仕上がりだったが、学生演劇や旗揚げ直後の劇団でこれを見せられても、僕はそれほど怒りはしない。が、いいかオイ、これ、新国立劇場でかかってる芝居だぞ。小劇場とはいえ、440席あるそうだから、440×10ステージ=4400人もの人が、「ああ、演劇ってやっぱつまんないんだなぁ」と思って帰ったんだから、これは、犯罪である。ん? 面白いと思った人もいたって? じゃあ2000人が「つまんないなぁ」、これでどうですか。これは犯罪ではありませんか。新国立劇場ともあろう劇場が。

頭に来たのでカーテンコールの最中に堂々と席を立って帰ってやった。本当ならブーイングしてやりたいところだったが、日本にはブーイング文化がないので仕方がない。主に僕は奥秀太郎という人について怒っている。誰それと一緒に仕事したとか、どれそれの映像を撮ったとか、そんなことはどうでもいいんだよ。映像畑の人が演劇をやってみるのも別に否定しない。だが、結果を出せなければボコボコに叩かれる、それだけだ。

と言うか、こういう酷い舞台を、周囲の人間は止めなければならない。新国立劇場ですらこんなアマチュア以下の舞台をやるんなら、どこに行っても安心なんかできないな。ロングランシステムが日本でどうにか根づくまでは、こういう怪我は免れないのだろうか。いや、ロングランシステムなんていう単一の機構じゃなくて、もっと構造的な問題、根っこの問題ではあるんだろうが。何かに八つ当たりしたい気分だね。

コメント

投稿者:通りすがり (2009年01月16日 01:37)

読売演劇大賞でノミネートされましたね
拝読し、検索してここへきました