PLAYNOTE チェリーブロッサムハイスクール『アキストゼネコ』

2008年12月08日

チェリーブロッサムハイスクール『アキストゼネコ』

[演劇レビュー] 2008/12/08 00:10

前回公演『その夏、十三月』を観て「すげぇ」と思っただけで、まだ二度目の観劇なのだが、すでに劇場へ行くのが楽しみなチェリーブロッサムハイスクール。新作、『アキストゼネコ』、観てきた。中野ウエストエンドスタジオにて。

本当に個性がある作家というのはこういうものを言うのだ。本当に個性のある劇団とはこういうものを言うのだ。感性と言う、大抵の場合よくあるもののオマージュ・アレンジ・二番煎じに過ぎない作り替えを「オリジナルです☆」みたいに言い切る劇団が多い中、不断の知的探究心の賜物であろうディープな知的要素をネタに、それをたらたら垂れ流すだけでなく演劇作品として洗練した形で構成する。前回の『その夏〜』もそうだったが、作家力の高さに驚かされる。

子供の占いを一応の中心としながら、本格的な黒ミサ的呪詛や精神分析、心理学、サブカル音楽知識まで交えて織り成す物語は、二十代後半から三十代中盤あたりのハートをくすぐる濃密さと骨格を持っている。「むずかしくてわかんないです(><) もっとわかりやすくちゃいけないんですか?(; ;)」みたいなレビューをどっかで読んだが、うん、あなたは観なくていいと思います。わかりやすくて薄っぺらいものばっかり世の中を跋扈して、こっちは辟易してるんだよ。

「ガーデン」と呼ばれる占いと黒魔術と催眠術の中間みたいなアレが実にやばくて、客席に異様な緊張が走る瞬間があった。あれもまた、「演劇だからこそ」と言っていい瞬間であると思う。「演劇でしかできないものを」「ライブの魅力を」みたいなことを言う劇団は多いが、実のとこそれをちゃんとやれてるのって、本当にごく一部。その急先鋒がデスロックであり青年団リンクだと思うが、『アキストゼネコ』にはそういう本当の意味での演劇的緊張感があった。

本筋からずれるが、映像が素晴らしかった。荒船泰廣氏という映像作家が作ったものらしいが、この名前は覚えておきたい。ヘンリー・ダーガーを彷彿とさせる、グロテス・ポップでキッチュなアニメーションは、この芝居の雰囲気に本当によくあっていて、観ている最中もうマジで勃起しっ放しだったんだが、終わった瞬間 The Beatles の "Tomorrow Never Knows" が流れて俺の精神がイッた。「むずかしくてわかんないです(><)」という人は、この感覚を味わえないのだから、マジで損していると思う。こっちへおいで。

前回に比べて演出的工夫も多く、構図的に美しい瞬間が多々あって幸せであったが、さすがに演技力はそうそう急にはハンドルが効かないのだろう(聞けば本の上がりがやや遅れたとのことだったが、稽古期間を二倍にしても演技力はそうは急にぐんと伸びないから、そこは本質的なことではない)。僕はチェリーブロッサムのスタッカートの効いたパーカッションのような、炸裂する情感が飛び交いまくる演義スタイルは嫌いじゃない、むしろちんたらした心理主義より全然見れるんだが、やっぱりもっと、舞台上での会話というものが成立する瞬間が多ければ、もっと良くなる。ただ、このテンポ感と独善的で鋭利な感じを守りつつ、きちんと会話をするというのはかなりの難事だろうなぁとも思う。会話、というのが漠然とし過ぎると言えば、もっと相手の言葉に傷ついていって欲しいのだ、舞台上で。

物語後半の展開にもやや性急で没入しづらい箇所があったが、こういうのは指摘しなくてもいいことだと思う。そういうとこを鬼の首でも獲ったように大袈裟に攻め立てるような劇評って、無意味だと思うのだよ。作家と演出家はもちろん、出演者やスタッフだってそれくらいのことは気づいているはず。小栗さんは観客以上にシビアに作品の弱点を見ていると思う。そういう人でなければ、こういう彼岸にはやって来ない。

チェリーブロッサムハイスクールという名前は、この先劇団が無事に存続していけば、もっともっとあちこちに影響力を持つ、一目置かれる劇団になると思うんだな。近年、手法的なものや、フィール&ルックとしての個性ばかり新しいものとしてもてはやされる感じがしているが、前述の通り僕はこういうものにこそ本当の個性の種が眠っていると思うし、手法やスタイルではなく物語をこそ劇作の中心に据えるこの劇団は、好きなのである。