PLAYNOTE MU『死んだ赤鬼/戦争に行って来た』

2008年11月26日

MU『死んだ赤鬼/戦争に行って来た』

[演劇レビュー] 2008/11/26 00:00

ハセガワアユム氏が脚本・演出を執っており、岡田あがさちゃんが出ているので見に行った。渋谷LE DECO 4Fにて。

もう最近劇の感想とか書いても得がないどころか剣呑していいこと何か何もないのできっぱり書くのを止めており、と思えばたまには「いや、誰かが書かねば演劇はダメになる」と思って急にパソコンに向かったりの間を行ったり来たりなのだが、今回はアユム氏から直接「書いてよ、ねえ」と言われたので書く。

一発目は『戦争に行って来た』。見ていて実に変な気持ちになる芝居であった。それは、肯定的な意味で言って「歪んでいる」からであり、同時に否定的な意味で言って「歪んでいる」からだろうな、と、今となって思う。

例のイラクでの人質事件を下敷きにしているお話。向こうで人質になっちゃって、マスコミでさんざん煽られた女三人が、帰国後も平和活動を続けていて、どうやら今度は人気フォークデュオに反戦歌の製作を依頼したらしい。というようなお話。

戦争に行ってきた私たちは世界平和を誰よりもビビッドに語り得るのよ、というバカ三人へ否が応にも注視が集まる。この三人がバカで浅薄であるがゆえにひどくこちらの胃がイライラする。こういうノータリンが平和を語ること自体が犯罪的であると思うし、戦場カメラマンの薄っぺらい仕事意識にまたイライラする。それは俺がジョン・レノンやガンジーが好きな筋金入りの左翼偏向主義思想を抱いているからだろうし、広川隆一氏の撮る写真がいたく好きで金さえあれば『DAYS JAPAN』を定期購読したいと思っているくらいフォト・ジャーナリズムの力と崇高さを敬愛しているからでもあるだろう。

が、この三人をこういうバカに設定したこと自体が、ハセガワアユムなりの「シニカル」であり、裏返した反戦歌なのだとしたら、よくできたやり方だなと思う。実際問題、劇中のフォークデュオの歌詞が、バカ女三人が提案したように「戦争をやめようよ〜」みたいな歌であるよりは、フォークデュオ連中が(これもいい加減にやった仕事だろうけど)「戦争はなくならない、なぜならもうそれはジャンルだから」と裏返した方が伝わるだろう。演劇でもそれは同じだろう。

そういう意味ではこの人物造詣の配置は前向きに絶望していて興味深いし、彼ら彼女らが言う「違う現実」を覗く感じなんてのは、演劇の主題として実に文学的で面白い。終演後、アユム氏が「演劇に必要なのは文学性だ」みたいなことを喋っていて、おおそれはその通りだ、と変な角度から冷水を浴びせられたような気がしたものだが、彼の言う通りきちんと文学的と言って差し支えない主題が描かれていた点、しかもそれがかなりくっきりと輪郭を持っていた点は、素晴らしい。何となく、もやもや書いちゃえば、文学的っぽくできちゃうもんだけど、ちゃんとブンガクするのは、難しい。

バカ女三人の感覚が麻痺した感じの歪みや、フォークデュオ二人の金銭的・社会的な感覚が麻痺した意味での歪み、それぞれが描き出す破綻した人間関係の歪み、そこら辺は実に面白いなぁと思って観ていたのだが、半面、もう一つ歪んでいて、ここは今一つ感心しないと思った点もある。いくらバカ三人と言っても単身海外まで乗り込んで平和活動に取り組み、帰国後もバッシングを受けつつもそれなりの基盤を作って活動を続けているはずの三人にしては、知能指数も低過ぎるし、肝が座っていなさ過ぎる。フォークデュオ二人も戯画化し過ぎな印象。密度のある芝居にするために焦点を絞ったり人物造詣を鋭利にしたり、それはもちろん必要なことだろうけど、何となく気持ちが白けてしまう飛躍があったのが残念と思う。

続いて(まだ書くか)死んだ赤鬼の方だが、こちらは「弱い人間と強い人間」の垣根というか間隙というか、そういうところを描いた作品で、リュカ・池田ヒロユキ氏の好演もあってかなり真に迫る一本であった。やはり僕はMUの演技スタイルは、描こうとしているものの実直さに対してコミカル過ぎると言うか、親切過ぎる印象を抱いているのだけれど、そんな中、池田氏の研ぎ澄まされた恩讐の演技は実に見事で誠実で、台詞以上にこの芝居の中核を鋭く描いていたように思う。

「赤鬼相談所」という、コミュニケーション能力不全の大人たちを更生する的な施設が出てきてたり、万引き症候群な女が出ていたりと、時相に合わせた題材をおかずに使ってはいるが、むしろ『戦争に〜』以上に普遍性を持つ作品であると思う。池田氏演じるところの和田という男が持つ強がり感、常につま先の背伸びをしながら涼しい顔をして、そういう努力の中からしか人間は克己というものを成し得ない、みたいな思想の持ち方と、それが崩落する瞬間を、シャープに、端的に描きえぐりとった感じ。様々な志向・性質を持った人物たちを配しつつも、すべて和田に向けられた鏡のように機能させている点もGood。小劇場会の「お約束」として、どの人物にも一度は見せ場を作らなきゃならない、みたいな不文律があちこちでまかり通っているが、そういうことみんなやめるといいよね。これには、そういうのが少なかったから良かったのだと思う。

両作品を通して池田氏が圧倒的な技量・風格の差を見せつけていた印象。全体的に隙のない配役で、キャスティング能力に関しては本当にMUはすごいなぁ、よくあんな胃にくる仕事(=オファー)をやるもんだなぁ、と思うが、ただ、ちょっと全体として演技スタイルの不一致があったように思うのが残念。単純なことで言うと発声の仕方だとか。腹から響く・通る声をきちんと出している人もいれば、ナチュラルな会話劇にチューニングしている人もいて、それは発声だけじゃなくて演技の指一本・体一つにしてもそうなんだが、その辺の違和感が、空間というものを感じさせるのを妨げていたように思う。中身が、骨がしっかりしているから最終的には気にならないが、演劇にはまだやれることがたくさんあるんだ。

あれこれと書いたが、結局のところ面白かったのは、ハセガワアユム氏が豪語するように文学性の「かほり」がきちんと嗅ぎ取れる内容であったことだ。『戦争〜』の、現実との向き合い方がずれてしまう感じにしても、『赤鬼〜』の妄執にしても、きちんと時間をかけて演劇化するに足るだけの重みと内実を持った題材である。演劇観に行って「は? え、こんなことやるために一ヶ月も二ヶ月も稽古してたんですか? バカなの? 死ぬの?」と思うことはしばしばあるもんだし、飲みにでも行くか、mixiの日記にでも書けば済むような狭小な事柄を延々二時間かけて上演するようなクソ芝居を観ることもしばしばあるもんだし、この二つがしばしばあるものだから、大抵演劇を観に行くと退屈してしまって、え、俺って何の人だっけ? みたいなことに陥り勝ちなのだが、MUは、面白かった。