PLAYNOTE 風琴工房『機械と音楽』

2008年11月17日

風琴工房『機械と音楽』

[演劇レビュー] 2008/11/17 01:00

詩森ろば氏が作・演出を努める風琴工房。先日恐れ多くもろばさんに声をかけて頂いたり、敬愛する中田顕史郎の上が出演されているので、いやぁ久しぶりだなぁと思いながら観に行った。王子小劇場にて。

劇場ロビーで場内整理っぽい方からいきなり、
「場内大変乾燥していますので、のど飴はいかがですか?」
「マスクも」
との声。これには驚いた。確かに入ってみたらスモークガンガンなので、人によってはげほげほするのかもしれないが、こういう些細だが繊細で優しいサービス精神は声を大にして「偉いよ!」「ありがとう!」と言いたい。僕も興行主としてはこういうこと考えるんだが、こういうのって偉い面倒臭いくせにあんまり話題にも上らなくってしょんぼりする、みたいなことがあるんだよね。

場内、美術がまず優美である。風琴工房もスタイルの広い劇団だなぁ。考えてみると僕は三作ほどしか観てないんだが、写実的な舞台もあれば、こういった抽象的で遊びの多い舞台を建て込むこともあるし、ストーリーも柔らかいウェルメイド風のもの、以前は不条理だけの連作もやっていたし、今回は…、これは何と形容したものか。叙事的な、という印象を受ける舞台であった。

内容は、ロシア構成主義建築を代表する天才にして不遇の作家、イワン・レオニドフを中心に、ロシア・アヴァンギャルドと呼ばれた革命の希望と上向きの志向性を抱いた芸術革新運動が破綻していく様を追うもの。当然、アヴァンギャルド運動が破綻してくれば、それに希望を持って携わっていた人物たちも精神的に破滅していくわけで、その辺がこの芝居の内容的な中核。

演出がロシア・アヴァンギャルドを見事に汲み取っている点にはえらい驚いた。尊大な自意識と見下したような現状への絶望を抱きつつ日々を生きている僕にとって、明らかにメイエルホリドを意識させる身体づかいが小劇場で観れようとは夢にも思わなかったし、フォルムと呼ばれるコロスたちの使い方も大胆にして的確で、生演奏の音響と映像と照明、それに俳優の身体がコラボレーションし、一つの美術を生み出していく様なんかは大変美しく見応えのあるものであった。本当に勉強されている方なのだな、好奇心の強い方なのだなと思う。

重く強い金属の音が響く生演奏を背景に語られる台詞の素晴らしさにも酔い痴れた。特によかったのが、かなり冒頭で「革命ってどんなもの?」的な問いに対して答えたイワンの台詞、
「たとえば君の手が、あかぎれにならないような」
という台詞。思わずペンと紙を取り出してメモってしまったよ。今でこそ夢想的であったと断ずることができる共産主義だが、それが当時のロシア人にとってどういうものであったのかがよく伝わってくる台詞だし、↑のように語っていたイワンが、革命が悪い方向へと進む中でそれでも革命から感じた希望にしがみつくうちに、彼の言う共産主義や彼の描く建築デッサンが、「君の手があかぎれにならないような」目線の革命から大きく外れ、どんどんと人間不在の空疎で高慢なものになっていく、という展開とリンクしていて実にきれい。

唐突にメモ。勝手にしやがれ。

  • 理想がないところに創造があるか
  • 見えるまで待てばいい。それまでは一本の線だって引いてはダメだ。
  • 私はただ歩きたいだけ。傘をさしたり、ちょっと塗れたりしながら。(集合住宅の話から)
  • 大変なことが起こりました。
  • 葬送が……、棺が行く。(悪夢)

いろいろいい台詞があったんだが、どれも読めばわかると思うので特に何も書かない。驚いたね、「大変なことが起こりました」って、使いようによってはいい台詞になるんだね。ひねりすぎってのはよくないもんだな、と思った。

演出的にも脚本の文学的要素にしても、構成にしても良かったのだが、今一つ観客席から観たときの視座が定まらなかったのが残念であった。主人公のイワン・レオニドフは木で鼻をくくったような言動ばかり繰り返す人物で、共感するには難しい。彼の隣から物語を観ているようなつもりでいたら、急に彼が敵として向こうに回ってしまったりすることもあって、情緒的な視座が定まり切らずに観てしまう。僕はもっと彼の隣か斜め後ろからこの物語を観続けていたかった。

晩年の彼は一体どういう心境だったのかしら。酒に溺れて、とあったが、一体どういう心境だったのかしら。天才的建築家としてロシア中に名を馳せながら、一件も実際に建物が建築されることがなかった。一体どういう心境だったのかしら。うーん。